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駄目オタ徒然草
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「ところで、『まぶらほ』って何?」(アニメ評:まぶらほ)
まぶらほ」全26話 J.C.STAFF
監督:木村真一郎 原作:築地俊彦
maburaho

 いつか、書こうと思っていた。はじめて見たのがもう2年くらい前になり、実はその後何度か見返してみた。「とても面白い」というわけではないが、なんだか、心の片隅に引っかかる作品。
 まあ、それなりの色気と、綺麗な作画は、ある種の固定ファンの心をわしづかみということはないだろうが、いわゆる「萌えオタク」のニーズを満たすものではあるから、一定の支持は得ているのだと思う。
 原作は、いわゆるライトノベル。残念ながら読んでいないし、読む気もないが、人気があるからこそ、アニメ化されたのだと思う。アニメ化されたのは、全編ではなく作品の一部らしいということは、ウェブ上でちょっと調べたら分かったこと。最終話に画面の片隅にしつこいようにでていたキャラがいたが、そのキャラが原作では、今後重要な役割を果たすらしい。もしかしたら、第2部の制作の話があったのかな? 残念ながら、その後そういう話は聞いたことがないが…。まあ、ダカーポが、パート2やってることだし、始まってもおかしくないことではある。制作会社のJ.C.STAFFが、非常に細やかな仕事をするので、パート2ができれば、それはそれで楽しみかも…。

 さて、作品のあらすじをば…。
 この作品は、現在の世界と似ているがちょっと違う世界。魔法が社会システムの一部になっており、この魔法が使えるか、どれくらい使えるかが、社会階層でどの辺にいけるかの指標となる。
 主人公式森和樹(以下公式ページキャラ紹介参照)は、葵学園の学生。この学校(全部がそうなのか走らないが)は魔法学級がある名門。特に和樹がいるクラスは、一癖も二癖もある魔法使いがわんさとおり、問題クラスでもある。
 そんな中で和樹は、たった8回しか魔法が使えない落ちこぼれ。しかもお人好しで押しが弱いから、クラスの中でも最下層の位置に属するらしい。
 が、ある日、突然その状況ががらっと変わる。まず葵学園にこの作品のヒロインたる美少女宮間夕菜がやってくる。やってきた早々、和樹に「あなたの妻になります」と宣言。まあ、よくある押し掛けびっくり妻パターンだが、その理由は…。
 時を同じくして、上級生の風椿玖里子と下級生の神城凛(こちらは、微妙にスタンスが違うが…)も、和樹に言い寄ってくる。

 さて、実は、和樹の先祖をたどれば、安倍清明やノストラダムスや、その他諸々の、まあ、魔法使いというかそういう能力のある者の血がふんだんに混ざっており、和樹の遺伝子はその子に爆発的な能力を有する魔法使いを生み出す可能性があるということが判明したからというのが、この、立場180度転換の理由。
 そこで、名門風椿家のご令嬢や、神城家の娘、宮間家の娘が、この遺伝子を獲得すべく、それぞれ実家から和樹を落とすよう命じられてきたというのが真相。
 もっとも、その中で夕菜だけは、少々ニュアンスが違うらしいことが、だんだん分かってくる。

 というわけで、ラブコメのどたばたが始まるのだが、実は、この魔法回数制限の設定には、もう一つ重大なポイントがある。魔法を使い切ってしまうと、灰になって消えてしまうのだ。ところがお人好しの和樹は、8回しかない魔法制限をどんどん使ってしまう。そして、とうとう最後の1回も使ってしまい…。
 というのが中盤までのあらすじ。

 世界観が面白いことを除けば、まあ、ありきたりの話ではある。が、それだけなら、それほどボクが惹かれるはずもなく…。

 いうまでもなく、この作品のポイントは、「魔法」が当たり前の世界であるということ。ハリーポッターよりも、魔法が日常化している。しかも、いかにも日本的なのだが、魔法は数値化され、科学的にある程度分析されている世界。
 実は、この作品「魔法」というワードを使っているが、少々の毒をもって、「能力」を数値化して、人の将来を「偏差値」とか、「知能指数」で計る現代社会(少々古いイメージだが)の風刺でもある。その数値で計るヒエラルヒーでは落ちこぼれである主人公が、実はそのヒエラルヒー自体をひっくり返すポテンシャルの持ち主であるというところが、いわゆる「偏差値」教育からは「天才」は生まれないことの写し鏡になっている。
 もちろん、原作も、このアニメ自体もその対象は、いわゆるオタク層であるから、そんな小難しいことを正面に据えているわけではない(少なくともアニメはそう)から、そんなことを声高に主張するキャラも、それを正面切って批判するエピソードもない。だが、生まれてくる軋轢、矛盾はまさにそのことにあることは、誰でも何回か見れば、何となく気づく。
 特に、中盤以降、主人公が「幽霊」になると、その辺のことは、より一層あからさまになってくる。「幽霊は生徒ではない」「幽霊は(子孫を残すことができず)価値がない」と、それまで以上に主人公を虐げるクラスメイト。いったんはヒエラルヒーをひっくり返されそうになった者達の、再復讐はえげつない。

 もっとも、そんなことを考えながら、この作品を見るのは、やや無粋とも言える。要は「非モテ」が、偶然の理由から「モテ」要素を備えた超人であることが分かり、モテ始めるのだが、最後にその主人公の危機を救うのは、「モテ」要素から主人公に近づいたものの、その主人公の人間としての魅力に惚れてしまった者、そして、もともと「非モテ」の頃から、その主人公の人間性に気づき、ずっと想いを秘めていた者だったということ。
 はっきり言えば、普通のラブストーリーっていうわけだ。

 そして、この普通のラブストーリーを、仕事が丁寧(やや平板ではあるが)な、J.C.STAFFが、きっちりと作り込んでいるから、作品としては、繰り返し見たり、じっくり見たりする対象足り得る良作となっている。
 正直、あまり期待してみるのもどうかとは思うが、設定や、いろんなところの1000字レビューで紹介されている内容を見て、見切るほどには駄作ではないと思う。

 ただし、個人的な感想をもう一言だけいわせてもらえれば、でてきたヒロイン達の「絵」が好きになれない。キャラデザインがボクの「ストライクゾーン」に入ってこないわけだが、まあ、そんなことは好みの問題なだけでどうでも良いわけで、それでも、繰り返し見るということは、深層心理では「絵」が気に入っているのか、それともストーリーが気に入っているのか、自己分析はできていない。
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