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駄目オタ徒然草
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「我思う…」(雑記帳)
雑記(3月13日)

 つらつらと、批評めいたものをいくつか書いてきたが、どうも、批評と批評の間(時間)が長くなると、余り気持ちのいい物ではない。
 というわけで、この「雑記」と記されるものは、間があいた日の埋め合わせ文書としてカテゴライズすることにする。カレンダーの浮いた日付を埋めるので、書いた日と、カレンダーに埋め込まれている日付がずれることがあるが、まあ、あんまり気にすることもなかろう。

 さて、雑記なので何を書いてもいいというルールにして、今回は、私の批評文について。

 いくつかの批評を読み比べていただいた方なら、わかると思うが、批評によって、私は文体を変えている。変えていると言うより、変わっているといった方が正しいかもしれない。
 割と、ほめるときには、小難しい言葉を使い、だである調の堅苦しい文章を書くことが多く、逆に、ちょっとくさす場合には、話し言葉や、軽妙な口調を使う場合が多い。

 なぜだろう? と、少し自己分析してみた。
 どうも、それぞれの制作者に気を遣っているようなのだ。もちろん、この自己分析が当を得ているかは不明だし、そもそも客観的な自己分析などあり得ないと思っている以上、反論をいただければ諾するほかない。

 ただ、そのように思ったのは訳がある。
 元々、私自身が絵を描き、文章を書く人間だ(それで、糧を得ているという意味ではない)。実はそういう人間というのは、自分の作品の欠点を、他人以上にわかっているのである。もちろん、私は、マーケットを意識して作品を発表する、私の批評の餌食になる人たちとは違う。私は、発表という形式をとらずに、あるいは発表するにしても、その制約がなく、また、自分の好きなものだけやればそれで事足りるという気軽な「制作者」である。
 そういう制作者でさえ、自分の欠点はよく見える。
 しかも、商業的な対価を得る制作者というのは、時間と対価を天秤にかけ、その釣り合う範囲でしか、発表することを許されない。

 私の批評の対象は、まさにこういう人たちの作品なのである。
 そうだとすると、その制約の範囲の中で、(少なくとも私の目からは)すばらしい作品を提示してもらったと思えるものに対しては、襟を正し、これに対峙する必要があると、あるいは、無意識に思っているのかもしれない。
 逆に、その制約に負けちゃいましたね^^;と、(これも、少なくとも私にとってはだが)思える作品には、ちょっと、軽妙に語り「気にすんなよ、わかってるはずだからさ」と、そんな気分に、あるいはなっているのかと思える。

 まあ、今後、どう変わるかわかりませんがね。

 そもそも、この分析が思いつきでしかない…、そういう代物でもあるわけだし。本来、批評や分析なんて、時間の流れで、いくらでも変わる。まあ、それを言っちゃ、おしまいなのだが、まとめとして、そうしておこう。
 とりあえず、自分の批評に制約を課さないためにも^^。
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