fc2ブログ
駄目オタ徒然草
 レビューを中心にご覧になりたい方は、カテゴリーの月別インデックスをクリックすれば、一覧表示が見られます。
「船長、そっちは反対です!」(映画評:映画版 AIR)
 宝の在処は、誰もが知っていた。
 ただ、その船のクルー以外は…。
 
 「劇場版 AIR」 2月10日 池袋サンシャインシネマ

air2004_br.gif

 レビューを書こうと思ったら、たいがいのことは、既に誰かが書いていた。だから改めて書く必要もないかと思うが、ここは僕の覚え書きの場所だから、ひねくれた文章で、似たようなことをつらつらと書き殴ろう。

 さて、残念ながら「ゲーム AIRの映画化」という点では、明らかに失敗作である。もっとも、括弧の中の限定をとれば、それなりによくできたラブストーリーだと思う。
 ただ、残念なのは、わざわざこの映画に足を運ぶ客層は、括弧の中を前提として見に来る人がほとんどだということだろう。

 昔、といっても、十数年前、「Summer Story」という映画があった。あの「モーリス」で主役を演じたジェームズ・ウィルビーが主演と聞いて、いやな予感はしていたのだが、とんでもない作品だった…。
 いや、ラブストーリーとしては、まずまずだったのだが、僕は、その原作、ゴールズ・ワージーの「林檎の木」をこよなく愛していた。原作の、あの繊細な、そしてあまりにも残酷な、また、その背景にある重層な社会背景を描ききる迫力に、圧倒されたのだ。
 ところが…、映画は、おつむの弱い田舎娘と、のーてんきな都会の若者の、一夏のらぶあふぇあ~(死語)を、なんにも考えずに描ききっていた…。
 いや、繰り返すが、ラブストーリーとしては、まずまずだった。ただ、原作のあの繊細であるにもかかわらず重厚な雰囲気がみじんもなかっただけだ。

 「劇場版 AIR」を見て、真っ先に思い出したのが、この「Summer Story」の感想だった。デジャビュ?

 さて、具体的に何がどうか…といえば、まず、原作「AIR」のテーマは、家族愛だと言うことは、まあ、AIRを遊んだことがある者なら、犬が「わん」と鳴くほどに、当たり前の事実である(決して「ピコピコ」ではない…)。これはいい。
 ただ、それと同時に、この物語は、1000年前にかかった呪いを、そののろいがかけられるのを目の当たりにしながら、何もできなかった「柳也」「裏葉」の無念が、時を越え、親から子、子からその子へと続くという、もう一つの血の絆も、テーマになっている。
 そして、前者を横糸、後者を縦糸にして初めて、AIRという、美しいタペストリーがおりあがるのに、スクリーンに映ったのは美しいけれども、ただそれだけの横糸2本だった。いったい何のために2つの物語を並行的に語ったのか…。

 また、監督はたとえば、病気でやつれた顔を往人に悟られないよう、観鈴がある日を境に、帽子をかぶっているような、そんな細やかな描写に気を配ったと、パンフレットで語っていたが、往人は、観鈴のうちに居候してるんですが…。多分バレバレだと…。そこには、原作で往人が、観鈴の家を離れるに離れられなくなった理由など、一顧だにされていないという、痛い現実が現れている。

 それから、まだある! 原作では、往人の人形芸に子供たちが集まらないのは、彼に「何かが足りないから」と、そういうニュアンスで描かれていて、観鈴と一緒にいるうちに、それが何か、徐々にわかり始める。そういう往人の変化が、原作の第1部のあのクライマックスに、連なるわけなんだが、矢吹ジョーばりに軽やかにバスから飛び降りた往人は、行く先々で子供たちの人気者…。
 …えっ?

 はい。世界観そのものが変わっています。

 もちろん、世界観を変えて、クリエーター、ここでは出崎監督の表現したいものを描く手法は、ありだと思う。むしろ、物作りの主体として、そう思わない方がおかしい。
 ただ、そうなら、原作、あるいは原型をちゃんと理解してほしいと思う。

 たとえば、「カリオストロの城」のルパン一家、銭形警部、彼らがテレビシリーズとかなり違ったパーソナリティーを持って描かれていることを否定する人はいないだろう。そして、そこに描かれる彼らの関係も、また、テレビシリーズとは異なる。ここでは、ルパンの世界観が書き換えられている。
 ところが、そこに違和感を感じないのは、宮崎監督が、テレビシリーズの彼らと、彼らの背景をきっちりと理解した上で、Ifのルパン世界を、しっかり土台から作り替えているからだといえる。そしてその上で絶対に守るべき約束、「ルパンは、一番重要なものは盗まない」という、不文律は、決して破らなかったことに、かの作品の「世界観」を変えてもなお、ルパン足り得たすべてが凝縮されているといえる。

 さて、翻って、「劇場版 AIR」であるが、さっき書いた縦糸、つまり物語の始まりたる呪いと、それを伝える血の絆、これが、往人のパーソナリティーを形作り、そしてそれが観鈴へと連なり因果の終焉を迎える。この細く哀しい縦糸、これこそが、AIRを1000年の物語とした、もっとも根底にあるものだといえるから、これをはしょった時点で、もはや「劇場版 AIR」は、AIRとは、呼べない代物になったのだろ。

 繰り返すが、ラブストーリーとして、そう、単なるラブストーリーとして、この作品を見るなら、「秀」の文字を与えてもいい。
 ただ、この作品自体に「駄作」という呪いがかけられたのは、1000年前より連なる「翼人」の呪いの縦糸を切ろうとしたことに起因するのであり、まさに、それがためこの作品自体に「呪い」が、かけられたといえるだろう。

 パンフレットを読んでいるとわかるのだが、船が丘を目指していることに、薄々気づいていたクルーが一人いた。その壮絶な「後悔」日記が、見開き2ページで、遺書のごとく描かれている。
 もし、もし仮に、このクルー(脚本家)が、船長(監督)を説き伏せ、今一度、宝の島を目指す方向を示し得る力量があれば、きっと、この船は、宝の山とは言わないまでも、幾ばくかの輝く栄冠を手に入れられたに違いない。

 残念!
スポンサーサイト



コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック