いちご100%
よくできた作品であると思う。少し斜に構えた見方をすれば,ある種の様式美を兼ね備えた作品であって,まさに,パターン通りに展開しパターン通りに人気を得たのだと思う。
かつて,週刊少年ジャンプが,中高生男子の過半数を愛読者としていた時代,異端とされながらも,一部読者の熱狂的な人気を得ていた作品として,まつもと泉の「気まぐれオレンジロード」があった。この作品と,ほぼ同時代の少年ビッグコミックに連載されていた,あだち充の「みゆき」。これらが,いわゆる,少年誌におけるラブコメ時代の本格的幕開けとなる記念碑的作品であったと思う。
いちご100%は,これらの作品の,正当な血筋をひく作品であると言ってよい。もちろん,時代の流れの中で,ゲームから発生した,ハーレム系恋愛シミュレーションと言う要素も組み込まれているが,そのハーレム系恋愛シミュレーションも,元を正せば,やはり,「気まぐれオレンジロード」「みゆき」に行き着くというのが,僕の持論である。
そして,これらの作品の系譜を引きヒットしたラブコメ作品は,ある種の定式を内在している。だから,言葉を選ばずに言えば,この定式さえ履践していればヒット作品になるはずなのだ。
が,残念ながら,この定式をしっかり履践することは,実は難しい。そこには作家の能力という大きな障害が立ちはだかる。その障害をしっかり乗り越えて,この作品をヒットさせた河下水希と言う作家は(あるいは,やや揶揄を込めて言えば,その担当者は),相当な実力を持っているといえるだろう。
さて,大仰に「定式」と言っても,この辺は素人でも分析はできる。と言うわけで,いくつかあげてみよう。
まず,主人公は,(1)容姿・運動能力など秀でたものを持っていない。ただし,(2)やさしさ,いざというときの意外な頼もしさ,何かに対する一途さを持っている。そして,(3)同年代の少年が持っているエッチな好奇心をしっかり持っている。
要は,等身大の少年漫画誌読者像である。かつての少年ジャンプ黄金期のように,優等生からオタク,スポコン少年まであらゆる層が,少年漫画誌読者であった時代,これを標準化することはおそらく,困難であったろう。が,時代の流れと共に,少年漫画誌読者層は,ある種の収斂を見せていると,僕は分析している。すなわち,いわゆるコアなオタク層は,ゲーム・創作活動へと流れ,まず脱落した。さらには,現実に女の子と恋愛をすることが,かつてほど困難性を伴わなくなったため,いわゆる「ややモテ」層が,マンガに割く時間とお金の関係で,コアな読者層から乖離し始めた。そんな形で読者として残ったのは,いわゆる「普通」の中高生男子とスポコン少年である。要は,この層をターゲットにしたマンガこそが,売れる少年誌連載マンガだと言ってよい。
上に上げた,主人公像は,この「普通」の,やや願望を込めた中高生像である。
では,この「普通」の中高生たちが求めるものは何か? 現在では普通に女の子と「つきあう」ことが,それほど困難でなくなったことから,単に一人の女の子に好かれる,一人の女の子を振り向かせるというテーマは,現実にありきたりになりすぎて,カタルシスを生まないものになった。
そこで,複数の女性に惚れられること。それも,単なる複数ではなく,質・量共に「選択」の困難性を生み出すだけの「モテ」が必要となったのである。
もちろん,ラブコメ黎明期のころでも,「質」に関してはしっかりクリアしていた。例えば「気まぐれ~」では,まどか,ひかるともに,それぞれ違う魅力を持った美人であるし,「みゆき」では,二人のみゆきは,際だった性格のコントラストを見せながら,やはり美人である。が,この時代性なのか対抗軸にあるのはせいぜい2人である。
もちろん,現在ヒットしている「藍より青し」や「いちご100%」も,軸となるヒロインは2人に絞られるが,その周りのサブキャラヒロインが,ヒロインたちに負けず劣らず魅力的に描かれ,彼女たちのエピソードで数話費やされることが珍しくない。実際に「いちご100%」では,まるまる単行本1冊メインヒロインの一方が出演していない巻がある!
が,勘違いしては困るのだが,実は,このタイプのラブコメのキモは,「もてること」そのものにあるのではない。自分を想ってくれる可憐な美少女を「振る」ことに,読者はセンチメンタリズムを味わうことを求めているのだ。
実際には,ほとんど何の取り柄もない,これらの作品の主人公に,複数の美少女たちが惚れること自体が,「あり得ない」ことであるのだが,読者の「あり得ない」は,そこにではなく,誰も振らずに,みんなとハーレムハッピーエンドになることにある。
本来なら,基礎の部分で「あり得ない」設定なのに,そこから生じる「一人に絞らなければならない」葛藤に,読者はリアリズムを感じている。そして,そこから生じるセンチメンタリズムこそが,この手のラブコメが「普通の」中高生のハートをわしづかみにする要因だと,僕は思っている。
だから,良作と呼ばれるこのタイプのラブコメは,クライマックスに至る段階で身辺整理と称する(笑),本命以外切りを決行する。それまで,わき目もふらず主人公を思っていてくれた美少女を,「ほかのヒロインが好きになった」という理由で「切る」のである。まあ,普通に考えてみれば,ここまで引っ張らずとも(いちご100%なら,最終決断は18~19巻!),何とかなるだろうと想うが,それでは,長期連載は望めないので,なんだかんだで主人公に優柔不断な宙ぶらりんを強いる。考えてみたら,こんな主人公「鬼畜」である^^;。
さて,話を戻す。次にヒロインのパターンを考えてみると,これも見事にいくつかの属性の組み合わせでできているといえる。すなわち,(a)優等生vs元気娘 (b)ロングヘアvsショートヘア (c)同級生vs年下 (d)和vs洋 (e)家庭的vs社交的 (f)おぱ~いvsぺちゃ^^;;;; (g)トーンvsベタ(笑) と,大体これらの対立軸をメインヒロイン2人に振り分けていく。そのうえで,小道具として,①めがね ②幼女 ③妹 ④お姉さま ⑤おせっかい ⑥ツンデレ(苦笑) ⑦転校生 ⑧おさななじみ ⑨ツインテールw ⑩帰国子女 ⑪超能力(ぇ ⑫お金持ち ⑬男嫌い ⑭どじっ娘 あたりを,それぞれメインヒロインか,もしくはその他のサブヒロインたちに分配していく。サブヒロインたちは,必ず,この属性の1~2個を持っている。
まず,最初の対立軸は,よく中高生が「おまえ,どっちがいい?」という質問の中ででてくる属性。後者の属性は,全ての中高生が持っている妄想ではないが,ある程度の数その嗜好を持つものがいる属性。
そう,ヒロインたちの属性は,ここで好みが分かれますという,中高生の願望そのものなのである。いちご100%のヒロインたち(もちろん,藍青やきまぐれ~,みゆき,それからねぎま(読んだことないけどw)でもいい)に,当てはめてみてほしい。
こんどは,男サブキャラ。基本的には,主人公よりいい男はフェードアウトするか,とんでもない醜態をさらして敗走するか,すくなくとも,メインヒロインからは,一顧だにされない。本来であれば,主人公よりずっと魅力的である連中は,主人公の振られたもう一方のメインヒロインを拾っては行かない。それでは,なんだか贖罪になってしまい,読者のセンチメンタリズムは半減してしまうからである。これはまずい(^^;。
あとは,本当はスーパーマンであるのに,もてないブレイン(いちご100%では,外村)がいることが,最近の作品には多いように思う。あくまで印象なので,なんともいえないが…。
それから,主人公以上にもてない「救われない」くん。これは,主人公が単なる「女のケツばっかり追っかけてる腐れ外道」でないという,言い訳のために配置されるのであると思う。まあ,小宮山,ほんとに,いいやつなんだけどなぁw。
で,あとは環境。2人のヒロインと主人公の距離は等距離であってはダメ。かならず差を設けて,お互いのヒロインに時間的場所的ハンデを与えて,その隙にできるエピソードで,主人公とよろしく…やれそうになって,じゃまがはいるとw あとは,主人公の決断まで,これの無限ループを繰り返し,連載を先へ,先へと延ばしていく^^。
あ,あともうひとつ。ヒロインたちは,絶対に浮気をせずに待っている。言い換えれば,「都合のいい女」なのであるが,その辺は,軽くスルーでw(重要な要素ではある)
以上が,大体,設定の定式である。
が,もう一つ,これができないので,大体こけて,連載が打ちきりになるのだが,「女性を魅力的に描く」。
実は,これが一番,高いハードルであると思う。いかに設定を定式通りに配置しても,絵はもちろん,しぐさや表情,言葉遣い。これを練りに練って,その少女たちの息づかいをいかにリアルに描き出せなければ,その作品は駄作となる,この点が,最終的には最も重要。
さて,というわけで,いちご100%というより,ヒットするラブコメ分析になったが,要は,この作品はこれらを全部ひっくるめて豪華フル装備していると言うこと。
特に,女性の描き方がいい。
東城綾と,西野つかさの2人が,ほんとにくっきりとコントラストを描いている。これに主力サブヒロインの北大路さつきと南戸唯の絶妙の配置。特に,さつきに関しては,でてきた瞬間涙がでてきたよ,私はw 「ティナ,ティナがいる…(号泣)」。絶対,もう,作者が発狂しない限り,この属性の子のハッピーエンドはないと,最初からわかってるから,作者がこの子を,ほんとに丁寧に描いている姿勢(ある意味メインヒロインより丁寧に描かれていた)に,いたく感動した。先の定式とはちょっと違うが,振られるのがわかっているサブヒロインのけなげさを,ここまで丁寧に描いたからこそ,メインヒロインの魅力が浮かび上がってきたんではないかと。これだけ一途にがんばっているすてきな子でも,適わない二人。これは,お話しに説得力を付ける意味で,見事な道化役だった(再び号泣)。
唯に関しては,少々使い勝手が悪かったのか,家出エピソード以降一線を退かせたのも,好判断。この子を一線から退かせることによって,主人公と西野,東城との関係性の微妙なバランスにうまく波紋を広げられたのだろう。加えて,この子が持っていた「幼なじみ」「妹」属性は,実はメインヒロインが持っていることが多い属性なので,これを最前線から解放することで,メインヒロインを食い過ぎなくなったという点がよかったかと。これ,唯が全力で主人公を落としにかかったら,落ちない方が説得力なかったかとw。
あとは,おそらく連載延長の結果,だらけた関係に,端本ちなみ,向井こずえをカンフル剤として投入するも,本格参戦させることなく,あくまで後方支援要員としていたのも好判断。向井に関しては少々主人公と絡みすぎた感もあるけど,なんだか作者も気乗りしていなかったみたいな印象は受ける。実際この二人は,派手な「振り」エピソードもなく,別の恋を見つけているので,まあ,最初から,前線の兵士としては構想していなかったことは明らかかと。
で,最後に。この手の話の王道で行けば,ハッピーエンドは基本的には東城になるはず。ただ,西野ハッピーエンドパターンも,ないわけではない。この辺は,どっちに転んだから良作と言うことはないのだけれど,ならば,もう少し,東城以上に西野が主人公に思い入れを持ったエピソードを,説得力つけて語ってほしかったかと。
罰ランニングの姿と,懸垂告白だけでは,どうしてあそこまで西野が主人公に執着するのか,特に東城が主人公に思いを抱く理由が,説得的すぎたので,この辺は最後まで,西野の「かわいさ」にごまかされた気がする。
さて,最後に断っておくが,僕自身はこの作品については,おもしろいが読む価値はないと思っている。エンディングに感動することはなかったし,4年という月日だけで,主人公の成長を片づけるのは,正直もうやめていただきたいパターンではある。
また,最後の同窓会で,ジャンプの3要素「努力」「友情」「勝利」が,そこはかとなく並べられたが,正直「それで?」という気がする。
ただし,逆説的だが,読んで「おもしろかった」というのも本音。三十うん歳のおっさんが,何を青臭いと,いわれそうだが,こういう恋はしてみたかったというのは,幾つになっても男の偽らざる本心ではある(たとえ,時間をさかのぼれても絶対に満たされないがw)。ただ,そのカタルシスが満たされる満足感だけ(あとは徒労感しかのこらんw)を堪能したい方に,おすすめ。
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