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駄目オタ徒然草
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「逢坂総司の視聴記録」をリンクに追加
 というわけで、Filnでお世話になっている、逢坂さんのアニメ視聴ブログをリンクさせていただきました。

逢坂総司の視聴記録(http://aisaka-mov.seesaa.net/)

 アニメ制作の過程にも詳しくって、そのあたりからロジカルに掘り起こして批評する姿勢は見習いたいなぁ~と思っています。
 まずは、今シーズンの僕の注目アニメ、コヨーテ・ラグタイムショーが遡上に載せられていますので、大注目です^^

ps.
 でも、やっぱり、12姉妹が、タイムボカンシリーズの悪玉トリオ的ポジションに収まりそうな不安が払拭できません^^;
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「メイド萌え~」(マンガ評:エマ)
「エマ」森薫著 全7巻
ビームコミック(エンターブレイン)
ema


 さて、本当に久しぶりの感想。書きたいと思っていた題材もたまっているが、とりあえずは、一番最近読んだ漫画をば。

 というわけで、今回は「エマ」。「英国恋物語(←何じゃそりゃw)エマ」として、アニメにもなったが、そちらの方も非常にできがよかった…が、まあ、さすがに、漫画の方はアニメでは背景でしか語られない部分まで、こってりねっとりとかかれており、7巻というボリュームであるが、かなりおなかいっぱいになる。

 誤解を招きそうにも思えるが、あえていえばプロットはシンデレラである。不幸な灰かぶりが美しい衣装ではなく、知性を与えられ、王子様ならぬジェントリーに見初められる話。
 これを、英国がもっとも輝いていたヴィクトリア女王の時代という舞台に置き、作者による徹底した取材と趣味により、本当に細部までてディテールにこだわって大人の漫画として仕上げている。
 作者は女性であるが、描かれるラインはいわれるまでわからないほどに骨太である。この手の漫画を女性作家が描くと、その時代にはあり得ないような細身にしてみたり、手足を蜘蛛のように伸ばしてみたりするものであるが、作者の森薫は見事にふくよかな体をコルセットで絞り込む当時の女性の豊かなラインを再現して見せている。
 男性の方も、貴族やジェントリーの「カチ」っとした姿と、市井の人々の風俗を飾ることなく描いている。そこに「嘘」を入れないことで、何となくマンガっぽい登場人物の「顔」の違和感を払拭している。
 もちろん、町の風景、屋敷の調度、ちょっとした小物についても、コマの片隅にでてきて、ほとんどの読者が見逃してしまいそうな部分まで徹底してこだわっている。

 ところで、同時代(といっても、ヴィクトリア朝後の第一次世界大戦の頃であるが)の英国を題材にした作品として、以前にも引き合いに出した小説、ゴールズワージーの「林檎の木」がある。
 英国は現在でも階級社会であるが、これらの作品の背景になった時代では、現在よりももっと厳然とした階級社会が存在する一方、従来の階級制度を破壊するような「資本家」という階級が生じた時代である。「林檎の木」では、これらの階級制度自体を「知っている」ことが物語の理解に重要になるが、それ自体が正面切って物語を動かす力にはなっていない。しかし、上流階級の者と農夫の娘という当時としては「許されない恋」の物語であり、結果としてそのことが隠れたきっかけとなり、一つの悲劇を生む。
 もっとも、この悲劇の引き金は実は日本人である僕たちは、知識としてわかっていても、いわれないと気がつかない(特に僕がこの作品を読んだのは中学生の時であるからよけいであった)。せいぜい武者小路実篤の「友情」程度の話でしかないと思えた。
 が、「エマ」では、まさにこの「階級制度」自体が主人公たちに前に立ちはだかる障害そのものになっている。おそらく英国にこの話を持っていけば、かなり陳腐なお話になるのであろうが、こういった事情の知識を「実感」として持たない僕たちにとっては、非常に「わかりやすい」物語の横軸になっている。

 最初に述べたように、この物語は「灰かぶり」の物語である。が、シンデレラで語られるのは、王子様に見初められるまでの物語であり、そこから先、灰かぶりが王室に迎えられるエピソードはない。しかし、「大人」が絶望するのは、たとえ王子に見初められたとしても、せいぜい灰かぶりなど「側室」止まりにしかならないことにある。「血」というつながりをもっとも重視する階級制度においては、出自のあやふやな者の「血」を混ぜることなど、言語道断なのだ。
 だから、この物語は、灰かぶりが王子に見初められた後、その身に受けるであろう苦難をこれでもかというくらいに劇的に描いているといえる。
 そういう意味で、僕はこのマンガを「大人の」と表したわけである。

 と、ここまで、こう書いてきたものの、では、大人の鑑賞に堪えられる「作品」にまで昇華できているかといわれれば、多少の躊躇がある。
 確かに、これでもかと苦難にぶつかるヒロイン、エマと主人公ウィリアム。ウィリアムに思いを寄せ、一度は婚約者の地位まで自力ではい上がるエレノアの…ムニャムニャ…にしろ、その心情に葛藤は描かれているものの、人間の見せる弱さによる「想いのぶれ」があまりなく、よく言えば「純粋な物語」であり、悪くいえば「物語としての底が浅い予定調和」ものになっているような気がする。
 それは、ほぼ1巻で出尽くしたキャラクターたちの、読者が予想するであろう結末通りに7巻でお話が収まっている点からもわかる。
 ただ、弁護するならば、実は作者はこんな長編を予定しておらず、3巻程度でお話をまとめるつもりであったのではないかと思われる。そうであるならば、よけいなブレを作る余裕はなく、その尺にきちっと収まるストーリーを作る上で、1巻であまり複雑なキャラクター設定はできない。しかし、最初からこれほどの長編にするつもりならば、この作者はたやすく「できた」と思われる。
 そのことは、5巻にでてきたウィリアムの父リチャードの若かりし頃のエピソード、そしてその伏線から紡ぎ出される7巻の最後での彼の妻、息子たちとの会話。そこから描かれる彼自身の物語からもうかがえる。実は、この作品で一番心情を人間らしく描かれているのはウィリアムの父であるように思われ、そういった「キャラクター」と「物語」を作れる作者にとって、作品全体をもっと複雑にし、人間を描くことは、さほど難しいことではなかったのではないかと思われる。

 7巻で、作者の森薫は、あとがきマンガに「外伝」を書くと書いているが、さて、どの辺だろうか? 極悪子爵wやドイツ人実業家のヴェルヘルム・メルダースの物語がこってりと読んでみたい気がするのは、僕だけかな? きっと、おもしろいに違いないと、5巻を読み返して思っているのは、僕だけかな?

 さて、冒頭のあらすじ。新興ジェントリーのジョーンズ家跡取りぼんぼんウィリアムは、ある日父にいわれて、かつての家庭教師ケリーを訪ねる。ウィリアムはケリーがずっと苦手で敬遠していたのだが、それでもこの日は仕方なく挨拶に出向いた。ところが、ケリー家に入ろうとしたまさにその瞬間、勢いよく開いたドアで顔を打ち付けてしまう。驚いて顔を上げたそこには、眼鏡の麗人メイドが…。ウィリアムは一目で恋に落ちた。ただ、その辺に疎いウィリアムは、それでも必死になって、ケリー家を辞去する際に、わざと、ハンカチを忘れていく。ケリーはその意図を理解し、メイドのエマに手袋を届けさせる。
 そして、恋物語が始まる…。


ps
 さて、いよいよ次回は50本目の感想文。ああああ、あんなに構えなければよかったw 「僕たちの疾走」か、「麦ちゃんのヰタセクサリス」の感想を書こうと思って、未だに迷っているが、問題は両方とも片づけて段ボールにはいって、簡単にでてこないこと。読み返さないと書けないwwww