-漫画評-
☆☆☆☆☆『バドフライ』イワシタシゲユキ
スピリッツコミック(小学館)
-アニメ評-
☆☆★★★『北へ』
制作:スタジオディーン 監督:ボブ白旗
☆☆☆★★『まぶらほ』
制作:J.C.STAFF 監督:木村真一郎
さて、そうは言っても、せっかく、「書く」時間だけは、ちょっととれそうなので、何かないか、探しておきます。
…とは言ってもねぇ…。
まあ、「いでじゅう」あたりも良いんだけど、これって、もうかなりメジャーだし、マイナーなのでも面白かったのでは、「ウィンドミル」あたりが紹介したいんだけど…。手元に今ないのに、ディテール忘れてるし…。まあ、とりあえず、連休中に1本、なんかあげましょう^^;。でも、やるからには、やっつけ仕事はいたしません。いつもと同じく、こってりまったり、ぐだぐだ長文をば^^;
で、次何を書くかというと、今ぱっと、思いつかない。今忙しいんで、コメント荒らしたくないから、メジャーな作品は扱えないし、かといって、7月改編期終了のを改めてっていうのも、見返す時間が確保できないから無理っぽ。記憶に頼って書ける作品もあるけど、細かいディテールが気になる作品が多く、ちょっとむりかなぁ…。
とりあえず、来週までに、今読んでいる「マルドゥックスクランブル(圧縮)」の感想を書きたいと思います。
それから、懸案だったリンクの整備をぼちぼちと…。藍青、北へ。、∀を、まず整備してみました。
それにしても、セブンアンドワイのリンクシェアシステム、ノートンのインターネットセキュリティー使ってると、画像見えなくなるんだよねぇどうしたモンかなぁ…。こちらも対策検討中。
著者:イワシタシゲユキ

バドミントンというと、その競技人口や公衆への認知性の割には、「マイナースポーツ」というイメージが強い。上記の通り、競技人口や公衆への認知度を考えれば、マイナースポーツというよりは「地味スポーツ」という方が正しいかもしれない。
実際、競技の認知度・人気度を測る尺度の一つである「漫画化」でも、この競技はあまり高いポイントを得ているわけではない。
さて、そんな中、今回紹介するのは、そのバドミントンを題材にした数少ないマンガの一つ。しかも、スピリッツ連載にありながら単行本3巻で終わったという、まあ、不遇の作品。
でも、ボク自身は非常に好きで、スピリッツはこれと「20世紀少年」「東京80's」のためだけに「立ち読み」していた。
正直いえば、例えばこの作品がその題材に卓球を選んでいようが、セパタクローを選んでいようが、多分、好きだったろうと思う。実は、この作品のヒロイン鈴森秋葉のツンデレぶりにのっけからべた惚れになったことを白状しよう。
そう、題材は何でもよかったのだ。このイワシタシゲユキ氏の描くヒロインが、この作品の魅力。最近のマンガでは最強のツンデレヒロインであると思っている。まあ、ツンの部分が激しく表面にでているから、それでもめげない主人公茂一の熱意が、暑苦しくならないという(計算したのか、してないのか? 多分前者だと思う)キャラ配置は絶妙だった。
キャラクターのデザインも、イワシタシゲユキ氏が、こういう目のつり上がった勝ち気そうな美少女画を得意としていたということも奏功して、ヒロインの内面をよく表したすばらしいものになっている。主人公やそれを取り巻く男友達の配役も、べたではあるが、無駄がなく、しかもキャラデザインも秀逸。
さらに、この作品の面白いところは、敵はライバルではなく、身内であるということ。もちろん、主人公にライバルはいるのだが、純粋にバドミントンのうまい超えるべき壁として、比較的無機質に描かれている。むしろ、ねっとりとした描写によって、不気味さを醸し出しているのは、サディスティックな女コーチ(このキャラも、すごくいい味出してる)。加えて、身内なので、その真意が分からないままのサディスティックなしごきは、主人公やヒロインにとっての敵なのか、味方なのか、分からないままの苦闘として、読者に焦燥感が伝わってくるうまい演出になっている。
さて、冒頭のあらすじ。
汗っかきで、目がドングリ。実は強靱な足腰と驚異的な動体視力で、スーパーヒーローの素質をもっているのだが、そういう部分が開花する前に、主人公如月茂一は高校に入学する。入る部活動も決めかねていたところ、クールビューティー、この作品のヒロイン鈴森秋葉に偶然出会い、電撃的に一目惚れ。いきなり交際を申し込むが「私に、バドミントンで勝ったらね」という条件をつけられる。根が真っ正直な茂一はその提言に乗っかって挑戦をする。が、彼女は、実は、男子バドミントン部のマネージャー。廃部寸前のチームを救うべく部員勧誘に体よく使われた格好に。
しかも、彼女は膝を壊すまでは、この学校の女子部(強豪)のエースだった。もちろん最初は、茂一がかなうはずもなく…。しかし、少しずつこつを覚えてきた茂一の顔からは、それまで滝のように流れていた玉の汗が消えていた…、そして…。
ということで、まあオーソドックスとは言い難いが、この作品もスポーツ(ラブコメ)マンガの定型はきっちり踏襲している。
が、非常にいいにくいが、なぜ、人気がでなかったのか…。
一つには、バドミントンという題材を選んだ影響は少なくないだろう。冒頭にも述べたように、バドミントンは競技人口も多いし、公衆への認知度も高い。しかし、では、だからといって、世界のバドミントン勢力図はどうなっているのか? 日本国内ではどうなのか? バドミントンのゲームルール、ポイントはどうやって計算するのか? 果たして、知っている人はどれくらいいるのだろうか?
この辺、サッカーや野球はおろか、愛ちゃん人気でとみにその認知度が高まった卓球などに比べても、かなり難しい。
加えて、競技をしていた人には当たり前なのだが、実はえらく体力のいるスポーツだということは、あまり認知されていないような気がする。体力の固まりである茂一が作品内でへたばってしまい、ヒロインの秋葉が、膝を壊してしまうほどの激しさに、一般人の認知度ではリアリティー実感できないのではないか?
次に、このキャラクターデザインの取っつきにくさが、一つの壁になっているとも、思われる。これも拙文の冒頭で書いたとおり、ボクが惚れるきっかけになった要素の一つであるが、あのキッツイ表情のヒロインは、まあ、微妙ではある。
彼女がほおを真っ赤にして照れるシーンは、ツンデレ萌にとっては、至福の瞬間だろうと思うが、そうでない人には、「その顔のままで照れるな、キモイ!」ってことになりかねないよなぁと、あくまで想像だが思う。この辺は、現在一般に受け入れられている、いわゆる「かわいい」キャラクターデザインの中では異色が故に味わう悲劇かもしれない(が、ボクは大絶賛)。
さらには、スポーツマンガにしては、その画風が躍動感を表現しにくいものであったことが、また一つの問題だったのかもしれない。それはそれでいいと、ボクは思うのだが、その対極にある、例えば曽田正人のマンガなんかを見ていると、あちらがシャッター速度をあえて落として、しかも、パースなんかがゆがんでもお構いなしの臨場感で、その動きを写す手法で画面を構成しているのに対して、イワシタシゲユキ氏のそれは、高速シャッターで、しかも、光量を最大限にあげて「光」だけの画面を構成し、あえてそのキャラクターが最大限かっこよく写るよう緻密に計算しつつ画面を構成しているように思う(実は両者とも、非常に計算された画面構成をしていおり、目指すところは同じであるということは、よく見れば分かる。特に、イワシタシゲユキ氏の一コマ一コマは、それだけで鑑賞に堪えるものばかりだ)。
この辺は、読者によっては、スポーツマンがとしては非常にまったりした作品に見えるのではないだろうか?
というわけで、個人的な意見としては、この作品は非常にすばらしい作品であるが、「読者を選ぶ」という意味で、とんがったが故に、一般受けしなかったと、ボクは感じている。
次回作も、非常に期待しているのだが、できればこのとんがり具合を、丸めて一般受けした作品にならないように祈っている。でも、そうしないと売れないし…。売れないと、短期連載で終わるし…。痛し痒し…。
監督:木村真一郎 原作:築地俊彦

いつか、書こうと思っていた。はじめて見たのがもう2年くらい前になり、実はその後何度か見返してみた。「とても面白い」というわけではないが、なんだか、心の片隅に引っかかる作品。
まあ、それなりの色気と、綺麗な作画は、ある種の固定ファンの心をわしづかみということはないだろうが、いわゆる「萌えオタク」のニーズを満たすものではあるから、一定の支持は得ているのだと思う。
原作は、いわゆるライトノベル。残念ながら読んでいないし、読む気もないが、人気があるからこそ、アニメ化されたのだと思う。アニメ化されたのは、全編ではなく作品の一部らしいということは、ウェブ上でちょっと調べたら分かったこと。最終話に画面の片隅にしつこいようにでていたキャラがいたが、そのキャラが原作では、今後重要な役割を果たすらしい。もしかしたら、第2部の制作の話があったのかな? 残念ながら、その後そういう話は聞いたことがないが…。まあ、ダカーポが、パート2やってることだし、始まってもおかしくないことではある。制作会社のJ.C.STAFFが、非常に細やかな仕事をするので、パート2ができれば、それはそれで楽しみかも…。
さて、作品のあらすじをば…。
この作品は、現在の世界と似ているがちょっと違う世界。魔法が社会システムの一部になっており、この魔法が使えるか、どれくらい使えるかが、社会階層でどの辺にいけるかの指標となる。
主人公式森和樹(以下公式ページキャラ紹介参照)は、葵学園の学生。この学校(全部がそうなのか走らないが)は魔法学級がある名門。特に和樹がいるクラスは、一癖も二癖もある魔法使いがわんさとおり、問題クラスでもある。
そんな中で和樹は、たった8回しか魔法が使えない落ちこぼれ。しかもお人好しで押しが弱いから、クラスの中でも最下層の位置に属するらしい。
が、ある日、突然その状況ががらっと変わる。まず葵学園にこの作品のヒロインたる美少女宮間夕菜がやってくる。やってきた早々、和樹に「あなたの妻になります」と宣言。まあ、よくある押し掛けびっくり妻パターンだが、その理由は…。
時を同じくして、上級生の風椿玖里子と下級生の神城凛(こちらは、微妙にスタンスが違うが…)も、和樹に言い寄ってくる。
さて、実は、和樹の先祖をたどれば、安倍清明やノストラダムスや、その他諸々の、まあ、魔法使いというかそういう能力のある者の血がふんだんに混ざっており、和樹の遺伝子はその子に爆発的な能力を有する魔法使いを生み出す可能性があるということが判明したからというのが、この、立場180度転換の理由。
そこで、名門風椿家のご令嬢や、神城家の娘、宮間家の娘が、この遺伝子を獲得すべく、それぞれ実家から和樹を落とすよう命じられてきたというのが真相。
もっとも、その中で夕菜だけは、少々ニュアンスが違うらしいことが、だんだん分かってくる。
というわけで、ラブコメのどたばたが始まるのだが、実は、この魔法回数制限の設定には、もう一つ重大なポイントがある。魔法を使い切ってしまうと、灰になって消えてしまうのだ。ところがお人好しの和樹は、8回しかない魔法制限をどんどん使ってしまう。そして、とうとう最後の1回も使ってしまい…。
というのが中盤までのあらすじ。
世界観が面白いことを除けば、まあ、ありきたりの話ではある。が、それだけなら、それほどボクが惹かれるはずもなく…。
いうまでもなく、この作品のポイントは、「魔法」が当たり前の世界であるということ。ハリーポッターよりも、魔法が日常化している。しかも、いかにも日本的なのだが、魔法は数値化され、科学的にある程度分析されている世界。
実は、この作品「魔法」というワードを使っているが、少々の毒をもって、「能力」を数値化して、人の将来を「偏差値」とか、「知能指数」で計る現代社会(少々古いイメージだが)の風刺でもある。その数値で計るヒエラルヒーでは落ちこぼれである主人公が、実はそのヒエラルヒー自体をひっくり返すポテンシャルの持ち主であるというところが、いわゆる「偏差値」教育からは「天才」は生まれないことの写し鏡になっている。
もちろん、原作も、このアニメ自体もその対象は、いわゆるオタク層であるから、そんな小難しいことを正面に据えているわけではない(少なくともアニメはそう)から、そんなことを声高に主張するキャラも、それを正面切って批判するエピソードもない。だが、生まれてくる軋轢、矛盾はまさにそのことにあることは、誰でも何回か見れば、何となく気づく。
特に、中盤以降、主人公が「幽霊」になると、その辺のことは、より一層あからさまになってくる。「幽霊は生徒ではない」「幽霊は(子孫を残すことができず)価値がない」と、それまで以上に主人公を虐げるクラスメイト。いったんはヒエラルヒーをひっくり返されそうになった者達の、再復讐はえげつない。
もっとも、そんなことを考えながら、この作品を見るのは、やや無粋とも言える。要は「非モテ」が、偶然の理由から「モテ」要素を備えた超人であることが分かり、モテ始めるのだが、最後にその主人公の危機を救うのは、「モテ」要素から主人公に近づいたものの、その主人公の人間としての魅力に惚れてしまった者、そして、もともと「非モテ」の頃から、その主人公の人間性に気づき、ずっと想いを秘めていた者だったということ。
はっきり言えば、普通のラブストーリーっていうわけだ。
そして、この普通のラブストーリーを、仕事が丁寧(やや平板ではあるが)な、J.C.STAFFが、きっちりと作り込んでいるから、作品としては、繰り返し見たり、じっくり見たりする対象足り得る良作となっている。
正直、あまり期待してみるのもどうかとは思うが、設定や、いろんなところの1000字レビューで紹介されている内容を見て、見切るほどには駄作ではないと思う。
ただし、個人的な感想をもう一言だけいわせてもらえれば、でてきたヒロイン達の「絵」が好きになれない。キャラデザインがボクの「ストライクゾーン」に入ってこないわけだが、まあ、そんなことは好みの問題なだけでどうでも良いわけで、それでも、繰り返し見るということは、深層心理では「絵」が気に入っているのか、それともストーリーが気に入っているのか、自己分析はできていない。
監督:ボブ白旗 原作:広井王子

さて、1週間以内に書くという予告は失敗したのだけれども、これから書く「感想」も、おそらく失敗。失敗する理由は、薄々分かっている。正直これは、原作となるゲームをプレイしていないと、全くドラマに感情移入できないだろうと思われるし、作品世界そのものが理解できないから。なまじ、ヒロイン達が(ボクの感性には)「絵」として魅力的だから、もう、どうしようもない。
さて、本作は、以上のようにいわゆる「ギャルゲー」を原作とするアニメである。ギャルゲーをアニメ化する場合には、幾つかの方法がある。既にボクが取り上げている「Kanon」や「AIR」は、主人公目線で、そのゲームのストーリーを一人のヒロインの攻略路線で描く方法。絶対的なヒロインがいる場合、例えば「Kanon」であれば月宮あゆ、「Air」であれば神尾観鈴、この場合にはこの方法でストーリーをたてるのが無難と思われる。
ただ、この方法だと、別のヒロインに感情移入したファンはついてこれない。むしろ不満の種になる。それでも、AIRのように、明らかにメインヒロインがはっきりしている場合には、納得もできようが、並列的に各ヒロインに魅力がある場合には、もはやこの方法は採り得ない。
そこで取られるのが、サブストーリー、あるいは外伝として、各キャラクターのゲーム外のお話を新たにつくってアニメにする方法。ファンが作るSS(ショートストーリー)的な要素が強い。
この方法で作られた「元祖」は、おそらく「センチメンタルジャーニー
この作品は、くそゲーとして名高い「センチメンタルグラフティー」のキャラを使って、主人公と再開しなかったifの世界(あるいは、まだ現れる前)を描いている。
実は、このセンチメンタルグラフティーは、ボクが人生の中でやったたった2作品のギャルゲーの1本(但し、現在3本目やり始めている!w)で、その作品世界を知っている(しかも、かなりはまってプレイした)から、実に面白くアニメも観ることができた。
そして、本作「北へ。」も、このパターン(らしい)。
で、どうかというと、「う~ん」とうなることになる。
まず、問題なのは、原作を知らないと、どのストーリーも平板であるということ。6人しかヒロインがいないにもかかわらず、例えば原田明理と茜木温子のキャラがかぶって見える。不倫を扱っている催馬楽笙子のストーリーも、そのことに対する彼女の葛藤はほとんど無く、大人の恋愛を描こうとしているにもかかわらず、ヒロインの行動がやけに子供っぽく描かれている。また、各キャラが原則2話という割り振りだったため、その中でエピソードに起承転結をつけようとすると、どうしてもキャラクター描写が駆け足になり、むしろ、「ゲームで予習してください」と、いわんばかりのすっ飛ばし方をしたスオミなどは、どじキャラなのか、直情キャラなのか、引きこもりキャラなのか、全然分からないまま話が終わり、彼女の少年にとった行動が「意外」なのか「至極当然」なのかさえ判断つかないままだった。
不満は他にもある。背景が雑。正直、ボク自身が北海道に住んでいたことがあり、また、その際に各地を遊び回った経験からいえば、もう少し背景を魅力的に描いてほしかった。比較するのもなんだが、同じ北海道を舞台に描いている「フィギュア17」あたりのレベルくらい満たしていれば、ストーリーはともかく、情緒はある作品になった要素はある。
作画に関しては、非常に危なっかしい回もあったが、何とかぎりぎりセーフ。この作品がキャラクターのかわいさでもっている作品だと思えるので、これが崩れたら、本当にアウトだったろう。
それから、最終話。最後の1話で各ヒロインがそれぞれに交わりを持つ。これも、必然性はなくまた、昼間っからダイヤモンドダストが、それも千歳と札幌で同時に見られるなんて、あり得ないし、明里のエピソードの中での突然すぎるエピソード挿入が伏線なのだろうが、ホントにとってつけているとしかいいようがない。
また、最終話にちらっとでてきた赤いウェーブ髪の女性。意味ありげだったので、公式ページを見てみたら、実は7人目のヒロインだった…。まあ、確かに、テレビ放送も視野に入れたアニメのヒロインとしては扱いにくい背景をもっているキャラではあるが、う~ん…。
彼女の話を入れた方が、この平板な物語に変化をつけられたかも。個人的にはスオミと彼女の扱い方を、「一般受け」を狙って軽くあつかったあたりに、どうも「単独の」アニメ作品としてのインパクトを欠く結果になった一端があるような気がする。
まあ、ゲームをしたことがない人には、今ひとつおすすめしかねる気がする(ゲームをした人にお勧めかは、やってない者としては、もっと分からない)が、キャラはかわいい^^; もっとも、公式ページを見たら、原作のキャラの方が、もっと良い…。
で、ですね、これはもしかしたら、うまいやり方かもしれないと思ったので、とりあえず「見るからに無理!」という量にならない程度の、予告をすることにしましょう。
で、その第1弾。
1週間以内に、
「まぶらほ」(アニメ)
「北へ。」(アニメ)
「バドフライ」(マンガ)
の、レビューを書き上げましょう。
さて、うまくいくかな?
基本的には、このブログは人に見せるためというより、自分の感動、不平不満の覚え書きのつもりで始めた。だから、誰かに読んでほしいという欲求はなく、ほめられれば素直にうれしいが、だからといって、取り立ててかっこつけて書くつもりはなかった。
ただ、書いているうちに、「不特定多(?)数が読む可能性」というのを、はじめて(意味のある)トラックバックがついたときに意識し始めた。
その時点で、少し方向転換をして、レビューの色合いを心持ちつけてみることにした。「冒頭のあらすじ」なるパートを、意識してつけるようになったのも、そのあたりから。
もっとも、そうだとは言え、基本的に「素人の感想文」程度のものであることは、自覚しているし、その上で好き勝手に書いているつもりであるから、人に見せることを意識して書いた部分はあんまり力はいってません^^;
しかも、作品を詳細に分析しているわけではなく、まさにインスピレーションだけで書いているので「的はずれも良いところ」という感想文ができあがったりもする。
まあ、そういう部分も含めて「覚え書き」なのであり、自覚的にこれを変えるつもりはない。本当は、
http://maijar.org/sugoi/ubukata/index.html
みたいな、かっこいい分析もしてみたいという気持ちはあるが、まあ、能力が全然追いつかないので、あきらめます^^;。
さて、問題は、作品タイトルをググって、このページにたまたま到着した方である(最近は検索エンジンの改良で、うちのページが引っかかりにくくなっているみたい。いいことだ^^)。まあ、ボクがくそみそにけなしている作品を大好きであっても、少々憤慨するがほおっておいて無視するというのが一般的。ボク自身も、大好きな作品をググって、引っかかった先がくそみそにけなしていても「心の中で反論」するだけで、あえて放置することにしている。
まあ、だからといって、コメントをもらえるのは、それが批判であろうと、賞賛(みたことありませんが^^;)であろうと、嬉しくないはずはなく、もらえるとわくわくする。で、わくわくついでに、相手が引いちゃうような長文のレスつけたりするので、批判の方も、賞賛の方も、そういう面倒な管理人の相手をしなければならないということを、自覚した上で、コメントしてほしい(ほとんど、脅しですね^^;)。
最後まで読んだ方、ご苦労様。とりあえず、ちょっとむしゃくしゃすることがあったので、気分転換(他人にむしゃくしゃを分与すれば、減るはず^^;)に、どうでも良いことを書いてみました。
わ~、怒らない、怒らない! 多分、誰も読んでないと思うけど^^;