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「長い長~いエピローグ」(漫画評:藍より青し)
藍より青し」文月晃 ヤングアニマルコミックス(白泉社)
 15巻(単行本未完結)
藍より青し16

 以前、アニメ版の同作品のレビューを書いた際、「エロマンガです」と書いたような気がするが、最後のクライマックス、単行本でいえば15巻以降は、そういう色合いはなくなった。
 まあ、掲載紙が「ヤングアニマル」なので、どうしても「恋愛もの」を描けば、艶っぽい絵を描かなければならなかったんだろうが、それにしても話の内容が「純情恋愛もの」だったので、あからさまに「エロ」絵を挿入している作者の努力がいじらしかったりもした。
 だから、最後に作者が一生懸命、エロを抑えてお話の決着をつけようとしているあいだ、編集としても「エロ」絵の要求は出さなかったんだと思う。アニメにもなった同作品は、掲載紙にとってはお宝だし、作者に対しても、また同誌で描いてほしいという思いもあったんだろう。

 …が、残念ながら、最後はクライマックスとしては、どうも迫力不足だったような気がする。
 理由は簡単。11巻から引っ張っていたくせに、偽花菱薫があまりにも、敵として力不足。ラスボスどころか、中ボス程度にもならない力量で、端から薫の敵ではなかったせいだろう。
 それから、これは、あくまで想像なのだが、作者は途中で話の中心をサブヒロインのティナ(以下、キャラクターは公式ウェブのページ参照)に移しているように思える。特に12巻から、15巻にかけての、ティナの描き方は、本当に力が入っていたし、読者としても感情移入がしやすかった。最終話がずっとティナ視線で描かれている点も興味深いところだ。だから、こう思うのは、僕がティナびいきだというだけの理由ではないと思う。
 葵は、ひたすら待ちの女性で、どこをどう突っついたって、微動だにせず薫を思っている。薫も誰にでも優しいところはあるが、その思いは1巻から変わらずにずっと、葵をむいている。
 一人ティナだけが、葛藤しながらも薫への思いをどうにか、なんとかしたいと思っていて、この気持ちの揺れ、苦悩が、読んでいるものにとって、おもしろい(興味深い)し、おそらく描き手としても面白かったのではないだろうか?
 そんなわけで、僕自身は、ティナエピソードがエンドとなる15巻が最終巻で、それ以降は少々長いエピローグだった(どう転んだって、こういう結末しかあり得ないという終わり方だったし)ような気もする。

 さて、最終話あたりの感想はこれくらいに。順序が逆になったが、冒頭のあらすじを、レビューらしく。

 主人公花菱(本条)薫は、明王大学(直接語られていないが、描き方からすると、彼が最終的に就く職業は弁護士のようなので)法学部に在学中。結構苦学生らしく、親からの仕送りらしいものはないが、大学から少し離れた場所に六畳一間くらいのアパートを借りて住んでいる。
 大学からの帰り、彼は鼻緒が切れて困っている着物姿のかわいい女性に出くわす。手先が器用な(それだけではないのだが)彼は、彼女の鼻緒をなおしてあげる。が、今度は、都心(新宿か、池袋?)の電車の乗り方が分からないらしい…(あの辺は、僕も最初迷いましたよ^^;)。
 行き先を聞き、自分と帰る方向が同じなので、彼女を送っていってあげることになるのだが、なれない都会に出てきた彼女は電車の中で寝てしまう。薫は、困ってしまうが、それでも眠った彼女を起こすのは忍びなく、終点まで乗っていき、その電車が折り返し、目的駅に着き、彼女が起きるまでずっと肩を貸してあげる。
 彼女は、人を捜しにきたらしいが、地理に不案内らしいので、薫は、その場所まで道案内をするのだが、彼女がたどり着いた場所は、空き地だった。
 泣き崩れる彼女。雨が降りだし、どうしようもなくなったため、近所の自分のアパートで雨宿りさせることになる。
 彼女は、思い人を訪ねてきたらしい。が、その人に会えなかった。「この人だ」と差し出す写真には、幼い頃の彼女と少年。
 「!? 葵…ちゃん?」
 写っていた少年は、薫の幼少時代の姿。彼女の尋ねてきたのは、花菱薫その人だったのだ。

 実は、花菱薫は、花菱財閥の後継者。といっても、父は亡く、母(妾だったか?)も花菱家から追い出され、祖父に半ば虐待の如く薫をしつけられる。が、行き過ぎた後継者育成は、とうとう薫をして花菱家からの出奔を決意させるに至る。
 当時、薫には幼い頃何度か会っただけの「許嫁」がいた。それが、桜庭グループの一人娘「葵」だった。
 葵は、ずっと薫のことを思っていたが、ある日薫との婚約が(彼が出奔したため)破談になったことを聞かされる。そのことが信じられない葵は、薫に真意をただすべく、一人薫を訪ねてきたのだった。

 で、このあと、すったもんだのあと、二人は一緒に暮らすことになる。ただし、桜庭館とよばれる洋館に住む葵は、幼い頃から躾係兼姉として一緒に暮らしてきた雅の監視のもと、あくまで「大家」として。桜庭館の使用人が住んでいた長屋に住む薫はあくまで「下宿人」として、夜10時以降は逢瀬のできぬという、非常に健全な関係を保ったまま、同居とはほど遠い環境で生活していくことになる。

 ここに、大学入学時から薫のことを思っているティナ、薫とティナの後輩妙子が、下宿に転がり込み、薫に幼い頃優しくされてから、薫を一途に思い続ける令嬢繭がたびたび押し掛け、さらには妙子の従妹ちかが、近所の高校に入学したため、転がり込んで、はい、ハーレムのできあがり^^;

 というわけで、あとはどたばたラブコメディーの始まり始まり。

 まあ、冒頭にも書いたとおり、薫も葵もぶれることなくお互いを思い続けて、そよ風のごとき障害は立ち現れるものの、大きな災いもなく(10巻頃の、アニメ第一部の最終エピソードに相当する試練が最大のものか?)、16巻(未刊)の最終巻まで話は流れる。
 その間、薫はやや男として成長するが、まあ、葵は最初からホントになんにもぶれずにそのまま。これだけぶれずにラブコメとして成立すること自体がすごいと思わせる。
 ただ、だからそのため、もしかしたら女性としての魅力はあるのかもしれない(残念ながら、僕は魅力を感じない)が、作中の登場人物としては、もう、行動パターンが最終巻まで読めてしまうので、おもしろくもなんともなかった^^;。
 そういう意味で、この作品を引き立てている真のヒロインはティナだと思うのだが、どうでしょうかね? 彼女の葛藤と、自分につける折り合い、そして決断がホントに見ていて、ドキドキだった。

 個人的には、まあ、絵もかわいいし、なによりティナが素敵だから^^;、読んでいてそれなりに面白かったとは思うが、う~ん。
 正直に言えば、アニメの方が面白い。第二部の「~縁~」はともかくとして、第一部の全26話を見れば、それでいいかなと思う。とりあえず、「藍より青し」を見たいという方は、まずアニメを見て、誰か萌えるキャラクターがいれば、コミック版も見ればいいかな? と、思う。
 まあ、それだけアニメの質が高かったということで。

 ちなみに、最終巻は16巻だと思われるが、連載のページ数から考えると、もしかしたら、17巻まであるかもしれない。その場合には、大幅な加筆があることが予想されるので、そうなった場合には、またレビューを追加するかもしれないことは、おことわりしておく。
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「井戸が掘れたよ!」(書評:イリヤの空、UFOの夏)
イリヤの空、UFOの夏」秋山瑞人著
電撃文庫(角川書店) 全4巻
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 ライトノベルというジャンルがある(らしい)。「らしい」というのは、ライトノベルそのものの定義があいまいであり、境界線がはっきりしないことにも起因する。
 「ライト」は、正しいとか、明るいとか、右ではなく「軽い」という意味だそうだ。
 とは言え、何となくその辺のニュアンスが漂ってくるのは、現在「電撃文庫」などで出版されている作品、コミック風のイラストが表紙や、挿絵に入っていることが多く、扱うテーマはファンタジー、ホラー、SF、学園ものが多い。主人公は中学生から大学生くらいが多く、文章自体がいわゆる口語(と言うより、会話文ですな)。比較的セリフが多く、一文が短め。キャラクターは心理描写でこつこつと描くのではなく、最初からバ~ンと、定型的な人物像を当てはめていることが多い。

 …なんのことはない、その洗礼を最初に浴びたのは、僕の世代。新井素子に、高千穂遙田中芳樹に氷室冴子らの作品が、これにあたると、思われる。中でも新井素子は僕にとって鮮烈だった。

 で、この作品も、その中に含まれると、一般には言われている。多分、その定義を用いれば、あまり間違ってはいないだろう。が、ライトノベルというときに、その対象読者層は、やはり主人公の世代、つまり中学生から大学生であると思われているようだが、もし、そうであるならば、この作品は当てはまるか、やや疑わしい。
 というのも、僕たち「プチオヤジ世代」を、この作品が対象にしているようなにおいがぷんぷんするからだ。
 まあ、プチオヤジ世代というのは、いまここで考えたネーミングで、だいたい昭和30年代中盤~40年代後半生まれあたりを指すと思ってほしい。
 僕たちの世代の共通認識は、戦争は知らない、でも、冷戦は知っているということだ。僕たちが子供時代を過ごした頃は、ソ連と合衆国、それにその取り巻き国が何時核戦争をおっぱじめてもおかしくない雰囲気があった。だから、僕たちが思っていたのは「冷戦さえ解決すれば、世界は平和で満たされる」ということだった。
 そして待ちに待った冷戦の終結。ハンガリー国境が開放され、ベルリンの壁が崩壊し、ソ連があっけなく世界地図から消えた。だが、そこに待っていたのは「平和」とはほど遠い、世界中の人が世界中の人を疑心暗鬼で見る世界だった。
 これが、僕らの世代の失望感の原因(だいたい、最近はやりのエセ国家主義・エセ保守回帰ブームも、実は根っこは同じだと思っているが、この辺はまた別の機会に)。

 最近、若手…といっても、僕らのプチオヤジ世代なのだが、その世代のクリエーターの作品が世に認められ始めている。そこでよく見るのが「冷戦のやり直し」だ。僕のレビューでもとりあげた「雲のむこう、約束の場所」や、「最終兵器彼女」が、そんな世界を舞台に物語を作っている(恥ずかしながら、僕自身も大学時代にそんなシナリオを書いたことがある)。冷戦の終わり方、世界の再構築の仕方を、どこかでどうにか間違えてしまった。そんな思いが強いのかもしれない。明日、核戦争が起こるかもしれない。ノストラダムスの予言は、もしかしたら、第三次世界大戦を予言しているのかもしれない。そんな閉塞感を抱えていた、僕たちの学生時代。もしかしたら、行き着く先がちょっと違っていたかもしれない世界へ思いをはせてみる。
 そんな臭いがぷんぷんする。そんな作品。

 前置きが長くなったが、まずは冒頭のあらすじ。

 主人公は中学2年生、浅羽直之。自衛"軍"とアメリカ軍が同居する、園原基地の街、園原中学の新聞部(学校未公認)の部員。親友だか、親分だか少々属性不明の水前寺部長の腰巾着といわれながら、端から見たらえらく刺激的な日常を平々凡々に暮らしている。
 浅羽は中学2年生の夏休み、園原基地をみおろせる山で水前寺と二人でキャンプ生活を送る…が、これは単なるキャンプではなく(夏休み中なのだから、その時点で普通ではない)、園原基地に出現するUFO、正確には幽霊戦闘機(フーファイター)を見つけるためである。もちろん、おいそれと見つかるわけもなく、夏休みはほぼ徒労に終わり、山を下りる二人。浅羽は、まっすぐ帰る気になれず、「気持ちいいぞ」と、噂に聞く夜の学校のプールへ。そこで、見たこともない少女に出会ってしまう。
 彼女の名は、伊里野加奈(いりやかな)。偽名とも、本名とも分からぬ彼女に、成り行き上浅羽は泳ぎ方を教えることになる。そして、その彼女の両手首には銀色の半球が埋め込まれている。しかも、突然の鼻血。あたふたする浅羽。
 そこに現れる榎本という男。どうも伊里野と知り合いらしい。彼曰く、「帰れ」。もともと主体性の希薄な彼は、後ろ髪を引かれるように、帰途につくが、榎本と一緒にいた男達に車で送ってもらう途中から記憶が飛んでおり、いつの間にかコンビニのベンチにいた。
 混乱する浅羽。もちろん、彼の混乱はそれではすまなかった。翌日やってきた転校生は、そう、プールの彼女、イリヤだった。

 おそらく、読者はタイトルと、冒頭のこのストーリーで、イリヤが何らかの形でUFOに絡み、浅羽とこのイリヤの関係を中心に物語が進むことを予測する。これを予測させて、物語のおおざっぱな地図を広げる作者の筆は秀逸だ。
 もちろん、宝の地図に分かりやすいものはなく、イリヤと榎本、それに、保健室の椎名が語る断片的な情報、加えてある意味一番のスーパーマン、水前寺の拾っていく手がかりと証拠をこの地図に書き込むことによって、宝のありかがはっきりしてくる。
 掘り当てた宝は、しかし、絶望的な色をしている。中学生ではどうにもならない。いや、たとえ、大学生でも、大人でもどうにもならない背景がだんだんと広がっていく。しかも、いわゆる"冷戦"状況にある世界が、刻一刻と"熱い"戦いに変わっていく状況が、生々しく描かれて、主人公達の焦燥感をよりいっそう濃密にする。

 この舞台設定で、"逃げ場"を失う"普通の中学生"浅羽がとった行動。それが、この作品のキモだ。
 普通の中学生にとっては、世界情勢とか、人類の未来は背負うにはあまりにも重い。たとえ、背負わなくてはならなくなったとしても、ロールプレイングゲームの主人公のように、いきなり世界を救う旅に出たりできるわけではない。その逡巡、葛藤、行きつ戻りつがプチオヤジ達のノスタルジーを刺激する。
 世界なんて救えるはずがない、でも、世界を救うために、いまここにいる一番好きな女の子を渡せといわれたら? いや、普通の中学生に、これにあらがう力など無いはずだが、それを承知で渡せといわれたら?

 実は、白状すると、僕はずっとこの物語を榎本の視線で読んでいた。そして、おそらく作者も榎本の視線で書いているような気がする。
 榎本は、組織の側の"大人"。だが、少女を利用しなければどうにもならない世界情勢に、辟易しながら、浅羽の青臭い行動力をまぶしく見ている。そう、どこか、僕らの世代の、若い世代と、老いた世代の中間におかれて悪あがきを繰り返すジレンマに似ている。
 「世界なんて、どうせ、冷戦が終わったって、よくなるはずなんて無いんだ。だったら、おまえ、青臭かった頃の俺、世界を敵に回して、自分の一番大事な者を守ったって良いじゃないか。誰もそんなことできるなんて思ってない。おまえ自身だって思ってないだろ? だったら、途中で挫折したって、誰も笑いやしない。そんな先のことを心配したって、どうせ、明日には世界が劇的に変わるかもしれないんだ。だったら走れ!」
 これはプチオヤジ読者の声、榎本の声、そして作者の声なんじゃないだろうか?

 エンディングは、ちょっと切ない。連載時は、ここで終わっていたらしいが、僕はここで終わった方がよかったと思う。
 詳しくは書かないが、エピローグは、蛇足だったように思う。せいぜい山の中腹に、よかったマークがあることを描写されれば、それで足りるだろう。


 なにはともあれ、この作品は、少年少女達のジュブナイルとしても読み応えがあるが、それよりもなによりも、プチオヤジ、冷戦世代にこそ読んでほしい一冊。
 甘酸っぱいノスタルジーを少々味わえる。

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ちなみに、この作品はアニメ化されている。実は、某アニメを録画していて、見返したときにこのアニメ作品のCMに惹かれた。で、近所のレンタルDVD屋で借りてきて4巻(全6巻)まで見た。映像のクオリティーはかなり高いのだが、どうも、物語自体が平板でおもしろく無いなぁと思い、見るのをやめようかと思ったのだが、たまたま古本屋でこの原作の2巻を発見、購入。ぺらぺらと読み進め、アニメとは違う魅力を感じたので、1巻、3巻、4巻は新品で購入。1巻から読み直し、一気に読み終えてしまった。
 実におもしろかった。で、DVDも視聴再開決定^^ 最後、どういう形で映像にするか。結構楽しみではある。レビューもそのうちに。
予定は未定であって…
予告
 最近更新してないけど、とりあえず、2~3日中に、マンガ「藍より青し」と、小説「イリヤの空、UFOの夏」のレビューをアップします。
 前者は、8月26日発売のヤングアニマル誌で完結するので、それを機会にということ。後者は最近読了し、思うこと(よかったマークつき)があったので、書いてみたくなったと言うところです。

 では、ぼちぼち時間を見つけて(←おいw)
「コレン=富野説」(漫画評:∀ガンダム)
∀ガンダム」全5巻 講談社マガジンZコミック
曽我篤士著(原案 富野由悠季 矢立肇)
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 ∀ガンダムについては、ノベライズとして福井晴敏氏(『ローレライ』や、『亡国のイージス』の原作者として有名)の筆によるモノや、佐藤茂氏の執筆によるモノがある(こちらは未読)が、ここで紹介するのはコミック版。多分、一番マイナーなカテゴリーだと思う。

 さて、ガンダムシリーズをここで紹介するのは、少々このページの趣旨とは異なるように思うのだが、個人的にはVガンダムと並んで、大好きなガンダムなので、何らかの形で思ったことを残しておきたいと思ったのと、今日、漫画喫茶で表題の書籍を一気読みしたことが、ここにいま書く理由。

 まずは、元々の原作(?)である、アニメ版のことを語らねばならないだろうから、そこから。
 ∀は、『ガンダム』という名のテレビシリーズとしては、富野御大が最後に関わった作品だということは、まあ、こんなページを見ている方なら常識の部類だと思う。ただ、作品としては富野御大自分が心ならずも生み出してしまった鬼子『Vガンダム』に影響を受け、世に生み出され、しかも、大絶賛のもと社会現象にまでなった『新世紀エヴァンゲリオン』に、対するアンチテーゼとしての作品でもあるらしい。
 らしいと書いたのは、御大自身の著書『∀の癒し
icon』に、そのものズバリではないが、それらしき記述があるからとだけ(記憶あいまいだが…)言っておこう。
 よく、エヴァは、庵野秀明氏が「デビルマン」に影響を受けて生み出された作品だと言われるが、よく見てみると、表現技法や、作品全体に流れる人間関係など、実はVガンダムにインスピレーションを受けているとおぼしき表現が多々ある。これも、あいまいな記憶だが、Vガンダムには、GAINAXが、一部制作に加わっていたはず。
 まあ、その辺の考証は、もっと詳しいページがあると思うので、そちらを参照すればよろし。

 ∀のあらすじに関しては、ここでは省く。一言で言えば、「竹取物語のその後」である。
 まず、この作品は、それまでの富野ガンダムと同じく、宇宙(そら)に上がってしまった人と、上がらなかった人の反目と葛藤をバックボーンにしている。が、異なるのは、それまでのガンダムが、「人は分かり合えるのか?」というテーマを、ニュータイプという道具をつかって、戦いの果てに、パンドラの箱に残ったたった一つの「希望」を見せて終えるのと異なり、この作品が、結局、分かり合えないからこそ人であり、分かり合える者に分かってもらえれば、人はそれが一番幸せになれる道なのだと、ある意味突き放している点が異なると思える。
 まあ、かなり抽象的な言い回しだが、アニメ版のエンディングを見れば、それまでのガンダムが「みんなのもと」に集い終えているのに比べて、∀が一人一人の、幸せ、悲しみ、癒しを描いて、フェードアウトしている点を挙げれば分かってもらえるかもしれない。

 ただ、だから、この作品は「優しさ」がないとは、思わないでほしい。むしろ、きっぱりと、「分かり合えない」からこそ、人が人に優しくできることを示唆しているだけ、この作品の本質に「優しさ」があると言える。
 そう、下手に、分かり合えるという幻想をがあるから、「なぜ分かってくれない!」という、恨みが生まれる。下手にニュータイプなどという人の革新の本質を「理解」に求める道具として使ったために、これはもう、亡霊のようにガンダム世界につきまってしまい、遂げられない想いとして、それ自体が戦争の引き金となってしまう結果となっている。
 パンドラの箱に残った「希望」は、たった一つの人間への祝福ではなく、「希望」などというモノがあるため、人は欲望をもとめ人を押しのけ、人に先んじようとし、人を害する。だから「希望」こそが、まさに、パンドラの箱にあった最悪の災厄であるという逸話を思い出す。
 これを、富野御大は一旦、Vガンダムで断ち切ろうとするが、その代わりに「エンゼルヘイロー」という、「理解」を強いる道具まで持ち出す矛盾をかかえる羽目になり、結果として物語世界その物の破壊を来すことになる。

 ∀は、Vガンダムで破壊してしまったガンダムという世界を、もう一度、富野御大自身が再構築した世界である。

 さて、ご託はこの辺まで。漫画の書評に移ろう。

 作品のキャラクター描写は、アニメの雰囲気をうまく再現している。特に、ロランは、アニメ以上にロランというキャラクターを明確にしているように思われる。例えば、ロランがムーンレイスであることを告白する理由が、義憤からだけではなく、親友を助けるためと、より人間くさいエピソードになっていて、感情移入としては、こちらの方がしやすいと思える。
 また、アニメでは52話であるモノを5巻にまとめているため、中米編や、ヴィルゲイムの逸話、核発掘のエピソード等をはしょっているが、その分、ストーリー展開に勢いがある。そのはしょった部分については、グェンをウィルの子孫とすること等で、整合性を持たせているし、後に核を宇宙に持っていく話も、グェンの策略とすることで、後のグェンの行動をより理解しやすいモノとしている。

 もちろん、この物語のもう一つのコアである、キエルとディアナの成長も実にうまくポイントを抑えて描写している。「建国のダストブロー」にあたるエピソードが無く、その代わりにアグリッパ一派に利用されることに必死にあらがうが、どうにもならないキエルの葛藤が描かれており、キエルがより人間らしく描かれている。また、アニメとストーリー展開を変えているが、漫画の方がキエルがハリーに、ディアナがロランに想いを寄せる感情の動きの描写がうまい。

 残念な点も、もちろんある。コレンが、早々に舞台から撤収することがその一つ。黒歴史の生き証人として、白い悪魔の幻影に対して、これを何とか粉砕しようと、徒手空拳をふるい、そして、最後の最後に、∀とターンエックスを向こうに立ち回りを演じる彼こそが、富野御大そのものだというのが、僕の印象なのだが、彼がいなくなったため、ガンダムの亡霊を断ち切るという、富野御大自身の思いは、マンガには表現されていない。まあ、この媒体自体には、直接富野御大が関わっていないから、それはそれでいいのかもしれない。
 また、福井∀が『復活の日』(小松左京原作)のようなエンディングで、ある種一番のリアリティーを、アニメ版エンディングが、先に述べたような終わり方で、ある種の癒しを与えているのに比べて、マンガのエンディング自体は、「待つソシエと、ロランが生きている暗示」で、それまで描いてきた「キエルとディアナ」がある意味ほっぽり出されている点、最後だけはずしたかな? という感がある。
 確かに、ソシエはアニメ以上にかなりクローズアップされて描かれていたが、しかし、たとえロランが生きていたとしても、戻る場所はソシエでは無かろうと、そう思えてしまうから、このすれ違い感が、どうもうまく咀嚼できない。

 さて、マンガ版の感想はこんな感じ。

 ∀に関してはもっと語れる(Vガンダムも^^;)のだが、今回は、できるだけ「抽象化」できる部分だけ、書くことにした。もし、まだ未見の人がいれば、是非見てもらいたいと言うことと、マンガの書評なのに、これ以上語ると、「牛が」とか、「洗濯物が」とか、語り出しそうで、ちょっと、それは…と、思うのが理由。

 とはいえ、アニメ未見の人も、アニメを見た人も、是非一読をお薦めするマンガであることだけは、最後にはっきり書いておこうと思う。
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リンク2件、追加しました。

 1件は 沙臣慎治さんのブログ「らくらく生活入門」。日常のことや、感想などを、非常に柔らかな文章で書かれています。優しい気分になりたい方におすすめです。

 もう1件は、かめさん、紅雷さん、湊さんが運営されている、「Funny Tiny Company」ゲーム・野球・社会評論と、お三方の関心・趣味の広さが(加えて深い知識)をうかがえます。ここの日記(ちゃんと毎日更新される!)をチェックするのは、私の日課となっています。紅雷さんの日記に、何気なく挿入された「リンク」に、考えさせられたり、励まされることや、かめさん、湊さんの日記を読んで、思索を巡らすことが、日々の糧になっています。
またやった…
エウレカに続いて、DCSSも…。

千葉テレビ、放送時間かえんな!
音夢の復帰エピソードだったはずなのに…。
涙で前が見えません。

まあ、言い過ぎではありますがw

とりあえず、エウレカよりはショック少ないけど、
エピソードがエピソードだけに、
ちょいとね。

どじが続いたんで、ちょっとへこみんぐ。
檄ショック!
 エウレカ7の録画忘れた…。

 というより、PCで録画視点だけど、昨晩から不調で、再起動かけたときに、どういう訳か、録画予約消えてヤンの…。

 朝起きて、チェック入れたら「無い!」

あああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁ

ず~っと録画して、最近忙しくて見られなくて、
それでも一気にまとめてみるの楽しみにしてたのにぃ~

DVDででることは分かってるんだけど、
それまで、来週以降のお話見るのおあずけ?

なにげにいやぁ~んなきぶん。
エウレカ7,久しぶりにすかっとするおもしろいアニメなのになぁ。

ちなみに、4クールやるらしくて、
ええのかw 大丈夫なんだろうか?
まあ、じっくり見たい作品ではあるので、
期待はしてるが、DVDそろえようとおもうと、
大変な出費だろうなぁ…。

まあ、そのときはそのときで。
文章術
 ここにきて、この文章を読もうと思う奇特な方、一体どれくらいおられるのだろうか? まあ、僕が訪問者なら、このぐだぐだと長い文章に辟易して、一読もせずに立ち去ること請け合いである。
 一応、記事中にリンクを張ったり、画像を入れたりする「意思」はあるのだが、どうも文章を書いている方がおもしろいらしく、宿題は夏休みの最後の一日に残しておいて、泣きを入れるというタイプで、満たされる可能性は期待薄。
 じゃあ、このくそ長い文章はどこがおもしろくて、どうやって書いているのかというのが、今日のテーマ。

 結論、てきとー。おわり。

 まあ、半分冗談だが、半分は本気。基本的に長い文章は構成をせずに、最初にコンセプトを決めてエイやっと、書き、推敲はほとんどしない。
 ただ、「ここがおもしろくない」と決めつけて、おもしろくない理由を分析しながら書いていくと、その過程で「おもしろいポイント」を発見することも少なくないので、結構やっかい。途中で軌道修正をしようにも、冒頭に結論を書いていると、後ろ向きにマラソンをしているような気分になってくる。
 そういうときは、どうするかというと、この前の「こいこい7」の感想のように、冒頭の評価の「意味」を、反対側から読み替えてしまうこともある(あの文章、据わりが悪いのは、そういう訳なのですよw)。

 他には、長い文章を書いていると、途中で書くことがふっと無くなることがある。でも、気分としてはもっともっとほめたい、けなしたい。そういうときはどうするか。
 重箱の隅をつつくのは、それはそれでやり方としては使い勝手があるのだが、どんどん話が細かくなってしまうと、話に迫力が無くなる気がして、あまり好きではない。
 で、よくやるのは、比較対象を強引に持ってくる。この前の「電車男」で「ハル」を引用したのもその手。こいつはこれに比べてこれくらいすごい、劣っているって言う手法。

 それから、最初から長くなりそうだなと言う予感がある作品の感想については、なるべく最初は勢いよく書き始めることにしている。畳みかけるようにほめる、ほめる、けなす、けなす。とにかく最初に言いたいことの8割くらいを書いてしまう。そうすると、はき出したい気持ちのほとんどがそこで出払ってしまうので、あとは冷静に分析をしても、割と理路整然と話がつながってしまう。
 そうすると、後半の分析が完結になって、最初に予想したよりも、短めの文章ができる。

 逆に、言いたいことは、さくっと終わりそうだなって言うときは、まったりと背景事情から書き始める。それから、右へ左へ、自分の知識を織り交ぜながら、話がよれきってしまわない程度に流れを振り回してみる。
 ところが、これをやっていると、一番最初に書いた話の逆転現象(評価が途中で変わってしまうことですな)がよく起こるので、結構困ったりする。


 まあね、そんな苦労をしなくても、最初にちゃんと構成をしながら書けばいいわけで、素人の三流文章書きの典型なやり方をいくらここで縷々と述べても、なんの意味もないのは承知のうえ。
 その上で、ここにこうやって書いたのは「まあ、そんなに真剣に読んでくれなくても良いよ」というメッセージなのだが、果たしてここまで読んだ人がどれだけいるのか。
 まさに、意味のない長文である^^;
「称号授与」(アニメ評:こいこい7)
こいこい7」全13話 トライネットエンターテインメント・スタジオフラッグ
監督:ふじもとよしたか 原作:もりしげ
Koikoi



 うわぁ~、久しぶりだよ、こんな「バカアニメ」。全話見ての感想は、「視聴時間は丸々無駄だったが、その間、とりあえず何も考えずに頭を休められたから、人生としての差し引きはゼロ」

 ちなみに、原画動画ともに最悪。ストーリーも、あって無きがごとし。実は設定自体はかなり大胆にぶっ飛んでいるのだが、その設定を生かす演出はほとんど無し。キャラクターも最近のアニメにしては、「かわいくない!(←まあ、このみはそれぞれかもしれないが…)」かろうじてエンディング曲が最低限のクオリティーを保っているが、それとても、古くさく…。
 それから、エロアニメとして、裸や水着・下着のシーンは満載なのだが、前述の通り原画・動画ともに最悪なので、ちっともエロくない(苦笑)。さらには、ガンダムネタ・マリア様がみてるネタのパロディーや、アニメ業界の楽屋落ちネタまでやってくれてるが、正直「それで?」というほか無く、おもしろみが分からない。

 ところで、この作品には『原作』がある。同名の漫画で、月刊チャンピオンREDに連載されている。キャラクターも、ほぼ同じ。ベースの設定も、ほぼ同じ。
 が、『原作』を二重括弧書きにしたのには訳がある。話が全く違います(爆)。原作では巨大ロボットも、宇宙ステーションもでてきません。水泳大会もありません^^; 話はヒロイン達が「サイボーグ」であること(アンドロイドでは無い点がポイント)の理由、そして、その葛藤と、そこから生じるトラブルを非常にダークに重々しく描いている。眼帯ちゃんも、実は、すごくディープな人物設定になっているし、なにより、謎の設定の仕方が秀逸。

 …なんで、原作者、こんなアニメにすることを許したんだろう?…。

 さて、設定というか、あらすじというか…。

 主人公田中哲朗は、五光学園に転校(入学?)したのだが、実は、この学園、女子高だった(この辺から無茶なのだが、これは原作でもある設定なので…)。しかも、通学路では、空飛ぶ女子高生や、バズーカー片手の女子高生が、アパッチとおぼしき戦闘ヘリと市街戦。田中哲朗が学園の門をくぐろうとしたときには、巨大ロボットを積んだトレーラーが脇をかすめる。
 いったい、ここはどこ?

 これは、いったいなにがはじまるのか?

 しかし、そう思ったのもつかの間、始まったのは学園どたばたラブコメディ~。って、ええええええっ!

 いや、もちろん、そんなわけないよな、と、見続けると、第1話の終わりには、女子高生が操る巨大ロボットと、素手の女子高生(一部武装済)がどんぱち? うわぁ、なんか斬新だけど「いかなる理由で戦ってるのか、さっぱり分かりません」。

 ヒロインのやよいちゃんは、「哲朗さんをお守りします~」とのことだが、結局「なぜ」お守りするのかは、最後まで藪の中。うわぁ~っ。
 しかも、やよいちゃんだけでなく、こいこい7と称する、哲朗の周りの美少女軍団(笑)は、全員サイボーグ。なんで彼女たちはそうなったのか?! でも、これも詳細は語られず…。

 もう、ほとんど拾うことを考慮に入れずに投げっぱなしのお話作り。意味深に前半の各話終了間際にでてくる「綾波レイ似」の美少女も、その正体は引っ張った割には、えらくあっけなかったし、しかも「セリフ解説で謎解き」ですか!
 エンディングで画面いっぱいに並ぶ、アルファベット表記(おそらく韓国人名)のスタッフロールが、言い訳にしか見えない…。

 実は、このアニメ、ネットを検索してみると、コアなファンが結構多い。その楽しみ方を見ていると、(1)キャラ萌え、(2)パロディー本位の2種類に分かれる。
 しかし、僕としては(1)については、前述の通り「かわいく思えない」から、無理。(2)については、ネタのパロりかたにひねりがないからおもしろく思えない。
 ということで、冒頭の感想に戻ることになる。

 が、ここからがミソなのだが、とにかく機会があれば見ることをおすすめする。そう「バカアニメ」とは言ったが、「ダメアニメ」とは言っていない。この差は大きい。
 何を言いたいかというと、少なくともこのスタッフ達は、この作品をまっとうな作品として仕上げる気など、毛ほどもないように思えるし、じっさい、そのように作り上げているということ。猫にキーボードを打たせてシナリオを書き、左手で原画を描いた上で、動画は一こまずつ別人が描いているような、そんな雰囲気を「最初から狙っていた」はずなのだ。
 そういう作品に、駄作だ、ダメだという批評は、まさに的はずれにしかならない。以下に無茶苦茶かをあげつらい、脱力してみせるのが正しい鑑賞法だと思う。
 ええ、もちろん、全13話、そうやって見ましたとも^^。

 そのうえで、「バカアニメ」の称号を贈呈します。

 合掌。

p.s.
 原作は、読んで損はないですよ。まだ完結していませんが、よく練ったストーリーと設定は、なかなかに読ませる作品です。
「アサクラ」はオマージュ?(アニメ評:D.C.~ダ・カーポ~)
「D.C.~ダ・カーポ~」全26話 ZEXCS
監督:宮崎なぎさ 原作:CIRCUS

 どうも、このころから「妹萌え」というムーブメントがあったらしい。実際に僕自身の妹が、兄思いのかわいいやつなので、分からないでもないが、それにしてもねぇ…。

 さて、もう一つ確認しておかなければならないのは、原作のCIRCUS。はて、そんな作家(漫画家)いたかな? 最近の新人? と思われた方、あなたはまだ引き返すことができます(笑)。悪いことはいいません、まっとうな道に戻ってください。
 というのも、これ、いわゆる18禁ゲームメーカーなのですな。詳しいことは僕自身も知らないのだが、以前埼玉県だかで「18禁ゲーム」のイラストを、県(市?)のポスターに使って大問題(苦笑)になった、その元ネタの「水夏(すいか)」の制作メーカー。
 もっとも、最近はコンシュマーゲームや、全年齢対象ゲーム、はてはキー局(テレビ東京)のアニメの原作になるようなものまで作っており、まあ、それほど日陰の存在ではなくなっているような気もする。

 というような背景をさくっと述べた上で、まずは設定と冒頭のあらすじを。

 設定は、お約束通り「ヒロイン(血のつながらない妹)」と二人暮らしの主人公、朝倉純一が、モテモテの話。主人公の特技は魔法(!)と、いっても、おまんじゅうを出せるだけ。しかも出すとおなかが減るので、あまり役には立たない。基本的には良いやつなのだが、やはり優柔不断…もとい、誰にでも優しい。
 ヒロインは、主人公が子供の頃に引き取られてきた朝倉音夢(ねむ)。兄思い…というより「おにいさんにぞっこん」。
 まあ、そんな二人だが、とりあえず、一線は越えることなく慎ましく地元の中学に通っている。
 ところが、新学期に二人の幼なじみで、ずっと海外に行っていた芳乃さくらがやってきて、隣の朝倉純一の祖母(故人)の家から同じ中学に通うことに…。早い話が従妹なのだが、これがなぜか数年前と同じ姿のどこからどう見ても小学生? しかも初っぱなから「お兄ちゃん(純一のこと)好き好き」で、当然音夢と一悶着も、ふた悶着も…。話はこの3人の関係を軸にすすんでいく。
 といっても、話らしい話が進むのは、中盤折り返しのあたりからで、それまでは、いわゆるキャラ萌えストーリーで、ゲームで攻略の対象となる美少女達のエピソードを、まあ、おもしろおかしく入れていくから、とりあえず早送りモードでもOK(というか、この作品、1クール目の1話の正味は15分程度で、あとは声優のイメージ映像だったり、サイドストーリーと称するメインキャラクター達を使った不思議ストーリーだったり…)。
 ところで、この物語の舞台となる「初音島」は、1年中散らない桜が咲き誇る。もちろん、そんな設定が物語にかんでこないわけないのだが、とにかく1クール目では、まるで無視されるかの如く、桜の設定は置き去りになる。
 が、実は、1クール目のそれぞれのキャラクターの設定は、全てこの枯れない桜が絡んでいたというのは「うまい」。実はこの桜、さくらがかつてかけた「願い」と重要な関わりがある。そして、この「願い」が、物語後半のポイントとなるのだが、いや、それをいってしまうと、もろネタバレになってしまうから、いいたくても言えない…。

 正直な感想をいってしまえば、前半はつまらなかった。後半もサブヒロインが前半の物語であかした苦悩や、問題を、「枯れない桜」をキーワードに、淡々と消化していくエピソードは、退屈だった。
 もちろん、それぞれのキャラクターには「物語」があり、それが主人公を軸に一つ一つ桜の花びらが散っていくがごとく、穏やかに動くストーリーづくりは、この手の作品にしてはうまいと思う。が、しかし、純一、音夢、さくらの3人を取り巻くエピソードが、あまりにも重厚なので、正直「じゃま」にしか思えなかった。ある意味、サブヒロイン達の「攻略」なのだが、物語にするならば、全部まとめて1話に放り込めなくもない程度の話である。
 そのうえで、さくらの苦悩、音夢の葛藤、純一の決意を、もっと丹念に描ければ、物語としてはかなり上等な部類になったような気がする。
 まあ、その辺が「ギャルゲー原作」の呪縛なのだから、仕方ないといえば、仕方ないのだが…。

 とはいっても、個人的には、プラス評価の作品ではある。これは、上記の点を差し引いたとしても、「アニメーション」としてのクオリティーは、まずまずだからだ。
 ただ、ちゃんとした物語を期待する人にとっては、第1クールを我慢できるかが評価の分水嶺になるかもしれない。この辺は微妙だろう。僕は後半まで「惰性」で見続けて、まあ正解だったかと思う。

 あ、オープニング(曲)と、エンディング(曲)は、なかなかいいですよ。

 ちなみに、現在、この続編「D.C. SecondSeason」やってますが、さくらも音夢も"まだ"でてきまへんそうです(録画してるけど、忙しくてまだ見てない…)。まあ、今回も後半勝負でしょうか(笑)。
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