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駄目オタ徒然草
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7月のインデックス
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なつほんばん
 ということで、トップの写真を変えてみた。6月から使っていた「あじさい」に変えて、夏の風物「金魚」である。
 こいつは、町の雑貨屋さんで見かけた大人の頭くらいあるぬいぐるみ。携帯で撮ったけど、接写したので、いい感じに魚眼っぽくとれている。
 なんか、こいつみたいに、なんにも考えずぼ~っとしたい今日この頃。まあ、陸にあげられてもこの表情ならば問題ではあるが…。

 さて、今週で多忙も一段落。来週あたりから、またぼちぼちレビューをあげていきたいと思う。まあ、相変わらず、マイナー&オタクメインであろうが、ネットの名無しさんにかまってほしくなったらどうすればいいか、先日の一件で分かったから、ときにはメジャーなものも扱うかも。

 
「ホントにひどい批評ですね。」
 昨日書いた『電車男』の批評に、かなり厳しい批判コメントを3本いただいた。
 「うん。ごもっとも」、と思うものアリ、「詳しく!」というものアリで、非常にうれしかった。うれしかったなどと書くと、マゾっぽいが、リアクションがあること自体はうれしい。

 で、これは快感だと言うことで、自分で自分にセルフツッコミをしてみようと言うのが、今日の企画。いかに辛辣な批判者をこえられるかというのが目標。
 批評をするためには、客観的にならなければならないので、とりあえず、別人格を演じることにする。昨日の自分に対して、二人称で問いかけてることになるので、読んでいる方は、混乱されないように。
 ちなみに、秋子さんの批判は、かなりこたえたので、文中にちょっと織り交ぜてみました、秋子さん、ごめんなさい。

------------(ここから)---------------

 あなたの『電車男』評、読みました。まず、そもそも、あなたは、「映画」を物語として評価する気がありますか? 確かにディテールは大事です。でも、これって恋愛映画じゃないんですか? 恋愛映画って、主人公達の心の動きを追いかけて、共感するものでしょ? あなたの批評には、そういった物語本来の姿に対する考察が、全然ありませんね。それって、ホントに映画を評価したことになります? とっても疑問に思います。
 主人公の電車男を演じた山田孝之君、とっても良かったと思いますよ。あなたはそうではないとおっしゃるかもしれませんが、最初はおどおどしつつも、いろんな人の後押しを受けて、最後は自分自身のありのままで、エルメスさんにぶつかっていく姿、とても丁寧に演じられていたと思います。力を振り絞って、エルメスさんに、誰かに教えられたり、あらかじめ準備したものではない、生の彼の声を伝える姿、よかったです。あれって、あなたが言う「社会不適合者」(ひどい言い方ですね)みたいな、前半の姿があったから、余計にかっこよく見えるんだと思います。人はスグには変われない、でも、ほんの少しでも変わろうとして、その結果、一見変わらないけど、じつはずいぶん変わった彼を見事に演じきっていると思いますよ。

 それから、あなたは、「映像化」の仕方について、ずいぶんえらそうなことをおっしゃっておられましたが、ホントにあなたの言う方法で、この物語を作ったとして「映画化」と言えると思いますか?
 このお話のなかで、あなたが言うような、モニターの向こうの人たちと、電車男さんが相互にやりとりするおもしろさは、十分にでていたと思います。「名無しさん」たちに、それぞれ、キャラクターをつけたおかげで、誰が何を言うか、安心できるから、スクリーンのこちら側の観客は、あのうちの誰かに感情移入しながら見られるのではないんですか? あなたが言うような方法で、本当に物語をスクラップアンドビルとしたら、それこそ、モニターの向こうとこちらのやりとりのおもしろさそのものがなくなってしまうでしょ? それって、「電車男」って言えます? 私は言えません。

 もうひとつ。あなたはあえてふれなかったのかもしれませんが、ホームあちらとこちらで、電車男さんと住人さんがやりとりする場面、エルメスさんと電車男さんがキスするシーンでの背景映像。舞台演出みたいで、とてもすてきでした。ネットの掲示板で繰り広げられた物語ですから、どうしても、平板になりそうな電車男さんと住人さん、電車男さんとエルメスさんの背景を、舞台演出みたいな映像を使って、とても観客にわかりやすく見せていたと思いますよ。こんないい点を、どうしてあえて無視するんですか?

 ホントに、同じ映画を見たのに、こんないやな見方をする人もいるんですね。せっかくすてきな作品を見て、楽しくなっている人の気持ちを踏みにじるような、こんな文章見たくありませんでした。とっても残念です。

------------(ここまで)---------------

 こんな感じかなぁ。

 第1段落は、この批評の姿勢そのものの批判。まさにごもっともなんだが、そういうことを書いている批評は、いくらでもあるでしょ? 私が、だからといって、それに習う必要はないと思うとでも、再批判可能か? 何も、全ての人が王道の批評を書く必要はないし、そのパターンを踏めばいいものになるかというと、そんなことはないと思う。まあ、パターンを崩せば、駄文ができあがる可能性は高くなるだろうけどね(今回の文章が、まさにそれなのかも…)。
 第2段落は、秋子さんの批判を、自分なりに咀嚼して再構成してみました。これが、実は一番「あちゃ~」と思ったところでして、勢いで「ps」なんかつけなければよかったと、すごく後悔してます。
 第3段落、第4段落は、僕の批評の中心というか、一番に言いたいことで、多分、批判される方々が「的はずれ」と指摘されているところだと思うが、そういわれるだけのことはあって、さて、批判はしてみたものの、じゃあ、どうすれば良かったのかと言うことは、自分の中で何もなかったから、すごくあいまいな言い方をしている。だから、そこをあげつらうなら、これくらいいじめた方がいいかと思う。簡単に言えば、「あんた、矛盾してるじゃん」ということ。
 第5段落目は、良かった探しで、ひろう価値もないと思っていたところだが、ネット上では比較的評価が高いシーンの列挙。良いと言われれば、そのあとで反論するのは具体的に「悪い」理由を言わないと、水掛け論になるから骨だと思う。先に言ったモンがち。
 第6段落は、相手の人格非難。これがとどめ。相手をいやな気分にさせるには、このとどめが必要。

 ちなみに、僕の批評に対する批判なので、映画の良かったところをピックアップすることは、極力抑えましたので、あしからず。

 さて、こんな感じでいかがでしょう? また、「的はずれ」になったかな(苦笑)。
「ミステリー電車男」(映画評:電車男)
「電車男」東宝 6月4日公開
監督:村上政則
出演:山田孝之 中谷美紀ほか

 ひっじょ~に、言いにくいのだが、だめだ…こりゃ。

 多分、テレビの2時間ドラマ枠でやっていたら、「お、なかなかよくできてるじゃん」で、終わっていたのだろうが、金を払って、あまつさえパンフレットも買ってみるには値しないと、感じた。

 まず、物語のディテールづくりに失敗している。原作(というか、その元の2ちゃんねるログ)が持つ、特殊な用語や、お約束をなんの説明もなく使って、一般人に分かるのか? 逆に、それが中途半端に使われているため、原作を知っているものにとっては、聞きかじりの羅列に見えてしまう。

 例えば、イベントごとに現れる戦場描写は、そこが「男たちが後ろから撃たれるスレ」だからであり、唐突にその背景も出さずに、このシーンを入れても、実に「 ( ゜Д゜)ポカーン」である。
 また、電車君が、「qあwsでfrgtyふじこlp;:@」と打ち込んでしまうが、実際にあわててそんなことを打ち込むやつはいない。
 マニアックな言い方をすれば、電車君の部屋のディスプレイにしても、ただフィギュアを並べればそれでオタク部屋になるという認識がちょっと痛い。

 また、エピソードの挿入の仕方が間違っている。間違っているという言い方が悪ければ、そこだけそのままなぜ「ログ」そのままの台詞を言わせる?
 ログの中でエルメスの台詞として書き込まれている「あんまりその気にさせないでください」や、「わたしにはもてもてですよ」にしても、それは電車くんのフィルターを通して、ある意味翻訳された台詞であり、膨大なログ全編を通じて形作られるエルメスのイメージから、そこでそれはいわんだろうというものだと思う。
 そこだけ台詞が浮いているのだ。そんなことになるなら、いっそ、ログの台詞は無視していいと思う。そうでなければ、その台詞は、原作を知っているものにとっては「感動」ではなく、「失笑」の種になり、知らないものにとっては「唐突」に思えるだろう。

 そして、この作品の最大の失敗は、電車男を「そのままの形で」果たして映像にできうるのかという点で、根本から誤解をしていたということにあると思われる。
 電車男のおもしろさは、それがリアルタイムでつづられているときには、能動的参加者の「プレイヤー的歓び」と、消極的参加者の「観客的歓び」の相乗効果にあったと思われる。グラウンドにいる能動的参加者は、コーチングをしたり、自ら素振りをして見せたり、電車くんと一緒に走ってみたり。消極的参加者にしても、それらの行動を観客席から見てわくわくしながら、ときに「歓声」をあげるがことく、瞬間的に書き込みをする。ある意味ネットゲーム的楽しみがあったのだろうと推測される(この辺は、知り合いの"紅雷さん"が、彼のブログで僕のつけたコメントに、的確な指摘をしている。彼の指摘で、この辺の認識を得た)。
 また、まとめサイトや出版物のおもしろさは、いわゆる実況記録を読む楽しさであり、あたかもその場にいるような臨場感が、読者を引きつけるのだと思われる。そこには、ログの選別という編集はされているが、事実の演出はない。まあ、結果の分かったプロ野球の結果を、それでもニュースのダイジェスト映像を見て楽しめるメンタリティーの人には、よく分かると思う。

 ところが、映像化については、どんなにがんばっても、「演出」が必要であり、ログの中ではAA(アスキーアート)でしかなかったキャラクターたちを、実際の俳優に割り振らなければならない。いや、AAですらない「名無しさん」に顔をつける必要が出てくるのならば余計に問題は深刻である。
 また、前述のように参加型の楽しみというものが、一切奪われた「映画」という表現技法の中では、スクリーンの向こうに観客を受け入れるスペースはない。ところが、この物語のおもしろさは、電車君がモニターを通して、愚痴ったり、相談したりを、モニターの(あるいは原作の)こちら側に、アプローチをしてくる点にある。とすると、物語としてのスクラップアンドビルドをしないで、この話を映像化することは、この物語の「おもしろさ」だけを切り離すことに他ならなくなる。

 ネットを舞台に恋愛を描いた作品(当時はまだ、パソコン通信の時代だった)としては、森田芳充の「ハル」という傑作がある。例えば、この作品の中で語られている物語が事実だったとしたら、当事者以外には、なんのおもしろみもない物語である。しかし、作品としては、心穏やかなときめきを感じさせてくれる。
 そう、もし、電車男を映像化するのなら、この作品にヒントがあるのかもしれない。実は、電車男の一番おもしろみがないエピソードを拾い集め、電車君とエルメスの物語に再構築した作品(2ちゃんを中心とした物語にする必要はない)なら、たとえ「こんなの全然別の話じゃん」という批判が挙がったとしても、それ自体は、おもしろい物語になると、僕は思う。

 そういう意味で、一つだけ、あの最後の定期券のエピソード。あれだけは、秀逸だった。あの路線で、できなかったかなぁ~。

p.s.
 言い忘れた。悪いが、映画で山田孝之が演じる「オタク男」、いやそれじゃ、まるで「社会不適応者」そのものですがな^^; 残念ながら、オタクは、そのコミュニティーの中では、ちゃんとコミュニケーションもとれるし、自己判断もできます。彼らは「仲間内」に自らをアピールするために、ごく限られた範囲での知識を掘り下げるために、日夜努力しているのですから…。
 いや、別に彼らを擁護しているわけではなく、その辺のディテールづくりから、そもそも誤解があるのではと、そう思った次第でして…。

 まあ、やっつけ仕事だから仕方ないか…。

pp.ss.
 あと、最後の番宣シーン、あれ、どうなのかなぁ~。とっても「いや~ん」な気分で、映画館を出ましたよ…。
[「ミステリー電車男」(映画評:電車男)]の続きを読む
「それは結ばれる運命…」(アニメ評:まほらば)
「まほらば」全26話 テレビ東京 JC.STAFF
監督:木村真一郎 原作:小島あきら

 「これ、どっかで見たこと…、」というくらいのデジャビュになるのは、多分結構な年齢の方か、高橋留美子ファンの方かと思う。
 設定は、ほとんど「めぞん一刻」そのままと言っていい。もちろん、絵柄やキャラクターの年齢等は、さすがにそのままというわけではないが、出てくるキャラクターのポジションや、名前の付け方パターン(本家は名前に数字が、一方こちらはキャラクターのイメージカラー(?)がそれぞれ)まで似ている。
 もちろん、似ているのは設定だけではなく、「主人公とヒロインの間で、何かありそうで、なんの進展もないが、シリーズをなが~~い目で見ると、わずかに動いた形跡が…。」という、物語の作り方まで似ている。
 もちろん、違う点も多数あるが基本的に、この作品のコンセプトは、現代版「めぞん一刻」だと、僕は思う。

 さて、冒頭のあらすじ…というか、設定を書くと、主人公の白鳥君は、予備校ならぬ「絵の専門学校」に通うために、親元を離れて街に出てくる。
 住むことになったのは、都会の真ん中に今時珍しい、風呂・トイレ共同、まかない兼管理人つき平屋建て下宿。管理人さん(大家さんでもあるようだが)は、女子高生の蒼葉梢ちゃん。幼い頃に両親を亡くした彼女は、なにやら幼少時代に白鳥君とは交流があるようで、白鳥君がやってくるのを楽しみにしていたらしい。
 同居人は、梢ちゃんLOVEの同級生珠美ちゃん、小説家修行中の謎の中年、灰原さん(withジョニー(?)←「極上生徒会」のぶっちゃんみたいなもの)、赤貧(実は…)母子の黒崎親子。酔っぱらいで色っぽいが、男気をなぜか感じる桃野さん。
 で、白鳥君は、こういう物語のお約束で、とりあえず梢ちゃんとの記憶はほとんどない。それから、梢ちゃんはある理由(これは白鳥君との思い出と関係がある)から、5つの人格を持つ多重人格性障害(と書くとヘビーだが、割とライトに描かれている、もっとも(ネタばれ→)最終話ではこれがえらくヘビーに物語のコアとなるのだが…)を、持っているから、そこから話がすごい展開に…ならないのが、この作品の特徴らしい。

 というように、できる限り特徴を出すように書いたのだが、それでも「めぞん一刻」のテイストは漂ってくるのが分かると思う。

 では、この作品が「ぱくりっぽくて」つまらないかというと、そうは思わない。いわゆるキャラ萌えでなければ、この作品は楽しめないと評価する方もおられるようだが、僕自身は、「めぞん一刻」とは違う楽しみ方ができたと思う。
 いや、実を言うと「めぞん一刻」は、あまり好きではなかったのだが、この作品は好きな部類に入る。
 というのも、この作品ラブコメではあるのだが、少なくともアニメ(原作は未見)では、ラブコメ色は極力抑えてある。白鳥くんは「めぞん一刻」の五代さんのように、頭の中が「管理人さん、管理人さん、管理人さん…」ではない。一方、梢ちゃんの方もなにかを引きずっているわけではなく、基本的には、白鳥さんのことを想っているのを(客観的には)隠そうとしていない。だから、恋愛を巡るどたばたはあまり正面には出てこない(もちろん、デートっぽいシチュエーションや、エピソードでクローズアップされることはある、ラブコメですもの)。むしろ、鳴滝荘を中心とした、住人相互の交流が、ほのぼのと描かれているから、そう、たとえば、日曜の夕方に「笑点」を見るような安心感で眺めていられる。
 五代ならぬ白鳥君に「何やってんだよ、へたれ~!」毒づくこともない。「あ~もう、梢ちゃんのにぶちん!」と、思うこともない。そういうストレスを感じないラブコメも、たまにはいいじゃないですか^^。

 この作品、日曜日の深夜に放映されていたが、個人的には日曜日の夕方、「あ~、あしたから、また、仕事(学校)~」と思えるタイミングで、ふと流れてきてほしい作品かな?と、思う。
 実は、僕自身録画したこの作品を、家事の忙しい合間に掛けておいて、手がちょっと空いたときに5分ほど画面に見入るという処方で使っていたりする。DVDのCMにもあったが、「サプリメントアニメ」というキャッチコピーは、ホントにぴったり。
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