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駄目オタ徒然草
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5月のインデックス
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こんなこと、考えてみました~
 インデックスをつけることにしました。

 レビューの一覧性が悪いため、自分の覚え書きとしても機能しないことに、少々いらだちを感じてました。まあ、Blogの性格からして、こういう構成になるのは仕方ないかなぁと思いますが、それにしても、たまたま、うちを訪ねてきてくれた人の嗜好にあった作品のレビューがあるにもかかわらず、検索性が悪いため、素通りされるのも、ちょっと悲しいかな?と。

 と言うわけで、毎月末日に、その月のレビュー一覧を書けば、左側にある、月別のリンクをクリックすれば、一番上にその月のれびゅーんのインデックスが現れて、探しやすいかなぁと思い、そうしてみました。

 あと、ついでに、私の「好きっ!」度を、☆で、示してみました。☆がポイント、5点満点です。ただ、あくまで、私の「好きっ!」度で、普遍的な作品評ではないので、その辺はご了承くださいな。

 とりあえず、試験的に、5月のをつけてみて、追々3月、4月の分のインデックスつける予定です。

 さて、どうだろう、つかいやすいかな?

 もっとこうすればいい! という意見があれば、掲示板にでも書き込んでみてください。
「13時間は修行と思え!」(映画評:機動戦艦ナデシコ)
「劇場版 機動戦艦ナデシコ」東宝配給
監督:佐藤竜雄


 久しぶりの映画評。と言っても、DVDで見たものなので、劇場のニュアンスは伝えられないかもしれない点は、ご了承を。
 ちなみに、ナデシコをご存じない方でも「劇場版」とあることからわかるように、この作品にはテレビ版が存在する。で、テレビ版がある場合の映画化というのには、いくつかのパターンがあることもまた、ご存じの通り。具体的には、(1)テレビ版のダイジェスト(機動戦士ガンダム三部作など)、(2)テレビ版のリメイク(ラーゼフォン・エスカフローネなど)、(3)テレビ版の設定を使った新エピソード(うる星やつら・ルパン三世・ハム太郎・ドラえもんなど)、(4)テレビ版の後日談・同窓会・続編(鋼の錬金術師・ガンダムWなど)と、いったところ。
 で、この機動戦艦ナデシコは(4)のパターン、つまり、後日談に当たる。この後日談ものというのは、作り方によっては、いわゆる「一見さんお断り」状態になるのだが、このナデシコがまさにその典型的な作品。とにかくテレビシリーズを見ていないと、話の冒頭から全く訳がわからない状態になる。
 が、その作品自体のクオリティーがかなり高いため、この前提、つまり「テレビシリーズを見た」という人にとっては、かなり楽しめる内容になっている(ストーリー自体の好き嫌いはあると思うが…特に、テレビ版に愛着がある人にとっては)。

 で、このレビューは、一応、テレビ版を見たことを前提に話を進めることにする。そうしないと、本当に何もかけなくなってしまうから、これはご了承願いたい。
 ちなみに、私自身は、何度も書いたが、angelaのファンで、彼らが「ナデシコ」のトリビュート作品をこの夏にリリースするということから、あわてて、テレビシリーズを全話一気視聴したところ、まずまずおもしろかったので、映画版を見たと言う経緯がある。そして、正直テレビ版より映画版の方がおもしろかったと言うのが感想。ただ、テレビ版も、あの時代に、ああいう作品をテレビ放映したということだけで、拍手喝采だということは明記しておく。たぶん後日、テレビ版のレビューも書くつもりだが、まあ、予定ですから^^;。

 さて、物語は木星連合(木連)と、地球の戦争から3年の月日がたった時点から始まる。平和なはずの太陽系、その宇宙ステーションがいきなり狙われ、大戦闘になる。なにやらきな臭い計画が進行しているようだが、宇宙軍は重い腰を上げず、かつての戦争で活躍したナデシコ(実は後継艦のナデシコB)が調査にかり出されることになる。
 ここで、テレビ版の主人公天川明人と、ユリカの登場!…のはずが、明人と、ユリカはでてこず(というか、二人のお墓に、ユリカの父親がお参りしてるし!)、いきなりテレビシリーズ中、サブキャラの中でもっとも人気の高かった星野ルリが、試験戦艦ナデシコBの艦橋に現れ、画面に向かって「こんにちは」と、一礼するところから、スタートする。この演出はテレビシリーズを見ていた方には、秀逸だが、見てない人にとっては、いきなりで驚かれることだろう。とにかく、ナデシコはテレビシリーズの時から、画面の前の視聴者をいきなり画面に引きずり込むような演出をしていた。これは、監督、佐藤竜雄の十八番なのだが(ステルヴィアでもやっている)、いきなり劇場版のスクリーンからやられるとは思わなかったので、驚いた(まあ、今回、私の場合はモニターだったが、当時劇場で見ていた人にとっては、準備態勢が整う前のいきなりのジャブで、驚いたことだろう)。
 しかも、劇場版では、この星野ルリが主人公で、ナデシコの艦長(ちなみに、テレビ版でも艦内人気投票で艦長に選ばれる話があったが、そのときはルリは辞退している)。テレビ版の主人公とヒロインはいきなり蚊帳の外…、だけならまだしも、「お亡くなり」になってしまっている…。いや、えらく思い切ったことをするものです。これは、「こんにちは」ジャブに加えて、さらにワンツーを食らったようなものだ。
 調査に向かったその先の宇宙ステーションでは、宇宙軍と統合軍の板挟みで損な役回りをさせられても、淡々と任務をこなすルリ。けなげです…。ところが調査中に、謎の機動兵器の襲来。戦闘になるが、宇宙軍所属のナデシコは、統合軍の戦闘には加われず、傍観状態。ステーション内にいた、ルリはコンピューターの暴走で、画面一杯に表示される「OTIKA」の文字に「はっ!」としてあわてて避難民を引き連れナデシコに帰還。
 大立ち回りを演じる黒い機動兵器は、ステーション内の何かを狙っているらしく、その友軍戦艦と連携して、見事な陽動をし、まんまとステーション内に進入。たった一人、その陽動に気づき追いかけてきたのはかつてのナデシコのクルーで機動兵器エステバリスのパイロットリョーコ。
 何事かに気づいたルリは、追いかけたリョーコに頼んで、黒い機動兵器(ブラックサレナ)と通信を試みる。ブラックサレナのパイロットは「みたいなら、ついてこい」とだけいって、ステーション内の秘密ブロックに進入する。追いかけるリョーコ機、進入路を進むにつれて、リョーコの表情が豹変する「なんなんだよ! これは!」絶叫し取り乱すリョーコ。そこで見たものは、かつて火星にあった遺跡。そして、その下には旧ナデシコが…。
 ここで、今回のラスボス「北辰」操る機動兵器出現、「女の前で死ぬか?」とブラックサレナのパイロットに。女とは、リョーコではなく…、そして、遺跡がつぼみが開花するように開くその中に…、何かに気づくリョーコ。覚悟していた自体にこわばるルリ。そう、そこには…、そして、ブラックサレナのパイロットは…。(あとは、映画を見よ!)

 この佐藤竜雄という監督は、「活劇」のなんたるかを、よく理解し、非常にエンターテインメント性のある作品を作る人なのだなぁと、改めて感心。
 ここまで、ストーリーをもってくるのに、この勢いで情報量を盛り込みつつ、単なる説明に終わるわけではなく、ちゃんと見せ場を作っている。もちろん、視聴者がテレビで培った共通理解があることを前提に、思い切って、テレビ視聴者以外を切り捨てる潔さも見事。
 確かに、「映画で、初見の人を切り捨てるのはいかがなものか?」という批判はあると思われるが、そんなことをいったら、スターウォーズシリーズや、スタートレックシリーズの存在意義さえ否定してしまうことになるから、この批判は的はずれ。

 さらに、テレビシリーズで語られたルリのバックボーンを崩すことなく、そして、テレビシリーズの視聴者なら誰もが納得する二代目ナデシコ艦長に就任させ、物語の連続から生まれる必然性を、そのまま、サプライズの緩衝剤(テレビ版視聴者からすると、あまりにも旧主人公を取り巻くシチュエーションが変化しすぎているにもかかわらず、ルリの存在がすべてを引き受けて、すべてをつなぐ中心になっている)としてもちいている点も、見事としかいいようがない。
 率直な感想をいえば、最初に述べた映画版作成パターン(4)の方法論としては、ほぼ完璧なのではないだろうか?
 もちろん、作品の"絵としての"クオリティーがダメなら、端から問題外なのだが、この作品は、劇場に耐えうるだけの緻密な作画、美しい動画で作成されている(イノセンスのIGが絡んでいることを、視聴後に確認。なるほど納得)。

 この作品を見るためだけに、30分×26話、計13時間を費やして、テレビ版を全話視聴しても、もったいないとは思えない。それだけのクオリティーの作品だと思う。テレビ版を全視聴する根性のある人「必見」!
「スペル星人…?」(マンガ評:宇宙家族カールビンソン)
「宇宙家族カールビンソン」 あさりよしとお 全13巻
講談社アフタヌーンコミックス

 このレビューには、あまり「ギャグ」ものを紹介してこなかった。別に嫌いなわけではない。子供の頃、最初に買ったコミック単行本が「すすめパイレーツ」だったことを考えると、むしろギャグマンガの方がすきといえる。
 ただ、ギャグマンガというのは、レビューが非常に難しい。というのも、「笑いのツボ」というのは、個性が如実に表れ、笑いの沸点が100人いれば、100通りあると思われるからだ。
 例えば、わかりやすい例えで言えば、私自身の感性として、最近のお笑い芸人で、長井秀和は、ちっともおもしろいとは思わないが、波田陽区は非常にツボにはまる。青木さやかはつまらないが、友近は笑える。ただ、どうして、そうなのかは説明できないし、説明できたとしても、話した相手に共感を持ってもらえるかは疑問だ。

 で、その中で、比較的説明しやすい笑いと言うことで、この作品をまず、レビューのまな板に載せることにした。

 本作は、3つのパラレルワールドがある。これは、連載された雑誌が3つあったからである。まずはアニメージュ(徳間書店)に、連載されていた(らしい)、「元祖 宇宙家族カールビンソン」。単行本は1巻のみ。
 そして、廃刊になって現在存在しない「少年キャプテン」(徳間書店)に掲載された、「宇宙家族カールビンソン」。こちらは、現在講談社アフタヌーンコミックから「SC版 宇宙家族カールビンソン」として、出版されている。
 さらに、少年キャプテンが廃刊となって、版権が移転した先の講談社「アフタヌーン」に連載された、「宇宙家族カールビンソン」。
 で、ファンの間では「カールビンソン」と言えば、少年キャプテンに連載されていたものをいうのが、一般的だ。これは、連載期間が長く、その舞台背景が確立されていること、アニメージュ版が、あくまで、SC版の「パイロットフィルム」的な世界設定であること、アフタヌーン番の「カールビンソン」が、1巻分執筆後、作者の意向(と思われる)によって、実質的にうち切られていることによる。

 さて、この「宇宙家族カールビンソン」の魅力は、作者のあさりよしとお氏が有する、映画・漫画・アニメ業界のマニアック楽屋ネタを、普通の人が元ネタをしらなくても笑えるように構成し、魅せる点にある。
 マニアックネタと言えば、久米田康治の「勝手に改蔵」が、最近ではメジャーだが、「宇宙家族カールビンソン」が、彼の作品と異なるのは、まさに上記の点にある。
 また、この作品では、マニアックネタを披露するものの、マニアックネタ自体がテーマではなく、あくまで登場人物たちの異常な関係性を、ほのぼのと描くことにある。マニアックネタは、あくまで付加価値であり、読者はそこで描かれる主人公たちの不条理ではあるが、変にほのぼのとした世界を生ぬるく見守りつつ、くすくすと笑うことになる。

 さて、では、冒頭のあらすじ…、と言うより、ギャグマンガなんだから、舞台設定と言った方がいいかな?(ちなみに、設定はあくまで少年キャプテン版のものです)
 はるか未来、宇宙をどさ周りする旅の芸人一座の宇宙船が、惑星アニカ上空で、謎の宇宙船と衝突する。謎の宇宙船は大破、謎の宇宙船の乗員はほぼ全滅、たった一人生存していた赤ん坊を、この旅の一座が引き取って、謎の宇宙船の星の民が彼女(生き残りの赤ん坊)を見つけにくるまで、この惑星アニカで、謎の宇宙船に残っていた彼女の母星の文化のデータを再現しながら、育てることになる。
 その赤ん坊の母なる星は…「地球」。旅のどさ周り一座の座長は、巨大なネズミ型生物、彼女が母親役を。父親役は、退役軍人の大量殺戮ロボット(ただし、記憶をなくして、天然ボケになっている。たまに、過去の遺物たるオプションの破壊兵器を異空間から呼び出して、装備する…)。ペットのリスのたーくんは、リスとは名ばかり、脳みそむき出しの頭に、神経節だけの体。と、かなりきている配役。彼らが再現する地球の文化も、かなりずれている。その中ですくすく育つ赤ん坊は、「コロナ」と名付けられ、元気に育っていく。
 キャプテンが廃刊になる直前には、家族で出かけたほかの星の市場で、地球人の宇宙飛行士とすれ違ったり、おとうさんが、なぜ、天然ボケになってしまったのかが語られたりと、物語が動き始めていたので、打ち切りは非常に残念だった。
 まあ、この話を終えるなら、たった一つの結末しかなかったと思われるので、それはまた、永遠にこの物語が途絶えてしまったのは、ある意味幸せなのかもしれない。

 と言うわけで、この漫画は老若男女、誰でも楽しめるが、特に30~40歳くらいの方で、我こそは博識と思われる方に読んでいただきたい。たぶん、少なくとも中盤以降は、その層がマニアックネタのターゲットになっている。
 ちなみに、12話は当初欠番になっていたが、後に「幻の」という冠をつけて掲載されたタイトルが、「遊星より愛を込めて」…。これで笑えた人は、確実に全編通じて楽しめるので、是非ご一読を(ちなみに、同エピソード自体が、あの作品の12話のパロディーになっています)。
「おにぃ~ちゃん!」(漫画評:恋風)
「恋風」吉田基已 イブニングコミックス 全5巻


 う~ん、とても評価に困る作品。絵は、非常に丁寧に描かれているし、コマ演出も巧みだ。トーンをいっさい使わない手法で、しっとりとした雰囲気を醸し出している。主な登場人物のキャラクターも立っている。
 ただ、やっぱりどうしても、この物語設定に感情移入できなかった。もちろん、物語のテーマとして、妹と兄が恋心を抱く話というのは「アリ」だと思う。ただ、そこに、ここまで不毛な葛藤を織り込んで、結局一番修羅の道にはまりこんだまま終わる物語に、正直いやな気分になった。
 いや、「悲劇」がダメだというのではない。ただ、その悲劇が、作中で千鶴がこぼすように「気持ち悪い」形で現れるなら、そこに物語としてのカタルシスは生まれない。

 確かに、この物語は「妹萌え~」というような、軽々しいノリの作品ではない。作者自身が、どう決着をつけようかと迷いをもっている部分が、そこかしこに見られる。特に3巻の終わりに見せた、一つのエンディングの形が、もしかしたら、作者の見せたかったものかもしれない。許されない恋だから、思いを確かめて距離をとるという、大人の結論を、耕四郎にとらせたのは、作者の良識の一端だと思う。
 ただ、それはそれで、ありきたりと言えばありきたりの終わり方だ。結局「逃げる」という形で物語を終わらせることになる。そこには、何のメッセージもなく、ただの予定調和が横たわっているにすぎない。
 そのこと自体を作者はわかっているからこそ、あえて、4巻、5巻に当たる物語を紡いだのだろうが、結局、何も解決しない、ただ、葛藤を「ちょっと、横においといて」に、しているだけだ。これなら、3巻の終わりをエンディングにした方が、まだ良かったとも、思える。

 さて、ここまで書いておいて、今更だが、冒頭のあらすじ…。

 耕四郎は齢30になんなんとする無精ひげの、スマートとはほど遠い「男」。最近数年つきあってきた恋人にふられたばかり。ふられた勢いで、ついつい飲み過ぎたその翌日、電車で高校生の少女にふと、視線が行く。少女は耕四郎が降りる駅の手前で降りるのだが、定期を落としてしまい、耕四郎がそれを拾い渡してあげる。桜の舞い散る朝。どうも、彼女は少し泣いていたようだった。
 その後出勤した耕四郎は、同僚の千鶴と、遊園地の近くのホテルで、打ち合わせ。彼は、結婚相談所に勤務している。打ち合わせが終わり、ホテルを出るときに千鶴から、隣の遊園地のチケットをもらったから、要らないかと言われるが、耕四郎自身はついこの間別れたばかりだから、いるはずもなく…。と、ホテルを出たところで、ばったり、朝にあった高校生に会う。耕四郎は、彼女にチケットをあげるが、彼女は「じゃあ、一緒に行きませんか?」と提案、誰かを待っているらしいが、しばらく時間があるらしい。
 ひとしきり遊んだ最後に、二人は観覧車に乗るが、そこで、彼女から最近失恋したことをうち明けられる、耕四郎は彼女を励ますつもりが、つい、最近の自分の失恋の話になり、不意に泣いてしまう。はっとして、耕四郎の頭に手をやる彼女…。
 一周して、閉園の時間。初対面の少女の前で取り乱したことを恥じながらも、もうあうことないだろうと、高をくくっていたら、、そこに耕四郎の父親登場。かれに「お父さん」と声をかける少女…。そう、彼女は、幼い頃に父親と母親の離婚で別れ別れになった実の妹七夏(なのか)だったのだ…。
 そして、彼女はこの春から、父親の元から、進学した高校に通うことに。そう、耕四郎は、その目の前で、取り乱してしまった実の妹と、10数年ぶりの同居をすることになったのだ。そして…。

 まあ、シチュエーションはギャルゲーや、お手軽ラブコメのそれなんだが、最初にも述べたように、非常に丁寧にペンを入れているので、なんだか全然違う物語のようにも見える。

 とりあえず、どう思うかは、個人差があると思うが、少なくとも僕自身と感性の似た人にはお勧めしかねる。このBlogの、一連のレビューを見て、「ちげ~よぉ」と、僕の意見にことごとく反対の人にはお勧めかと…。

 ちなみに、妹の七夏は、七夕に生まれたから(これは物語中に語られている)、で、じゃぁ、耕四郎はと言えば、まあ、四月だろうね。耕す春。そういうことでしょ。
「月が~出た出た~」(アニメ評:神無月の巫女)
「神無月の巫女」全12話 テレビ東京 TNK
原作:介錯 監督:柳沢テツヤ
主題歌・エンディング:KOTOKO


 いや、もう、なんて言うか、話がぶっ飛んでて、何ともはや…。いや、別にこういう作りもアリかと思うけど、話の太い幹(百合か、ノーマルか…)の部分が結構キワキワだったのに、それと絡んだドンパチが、馬鹿丸だしで^^;。
 たぶん、上の感想、この作品を未見の人は、何を言っているのか、さっぱりわからないと思うが、見終わった段階でも、どう判断して良いのやらわからない以上、うまく説明はできなそうな…。
 それでもまあ、覚え書きの機能は果たさすべく、このブログに書き込んでいるんだが、順を追って考えながら書くため、たぶん支離滅裂になっているが、ご容赦を。もし、読んでくださる方がいらっしゃったら、一杯引っかけながら読むのを、おすすめする。まあ、この作品を実際に見るときには、もっとへべれけになるのをおすすめするが…。

 さて、順を追って説明すると、まずタイトルからして、誤解を招く^^; 神無月といえば、ふつうは10月のこと。出雲に八百万の神々が集まるので、日本中に神様がいなくなるこの月を「神無月」というのだが、はい、この「月」、monthではなくて、moonです(苦笑)。いや、全然関係ないわけではない。日本神話にでてくる「おろち」って言う名前を、敵キャラに使っていたり、主人公が巫女なんだから、その辺の設定は使っているんだが、根本の部分の設定として、「月の朽ちたお社」にまつわる、転生の物語ということで、この月は、神が廃れてしまった「月(moonね、くどいようだけど)」のこと。つまり神無月の物語なのだ…。
 で、「おろち」と呼ばれる敵が復活するたびに、このお社の巫女が復活(転生)して、地球を守るのだが、どうも守っているのは、「まほろばの里」と呼ばれる、海辺の一村落(この村、人の気配がないのに、異様に巨大な学校があるのも不思議…)だけっぽい。そこが攻防の最前線になってる。まあ、巫女がいる村なので、この辺は何とか説明が付くとしても、おろちにあれだけの戦力がありながら、なぜ散発ゲリラ戦を^^; おろちも、この世に執着を持ちながら、この世を恨んでいる魂らしいのだが、どう見ても電波系世捨て人の集団…。攻める場所が違うような。まあ、さんざんでてくる割には、雑魚っぽい扱われ方してるなぁと思ったら、やられ方も、あっけなかったから、やっぱり、おろちなんて、実はどうでも良かった存在なのかとも思われるが…。

 主人公は、姫子とよばれる「日の巫女」で、どこからどう見ても、ヒロインでぴかぴかに輝いているのだが、どうもこの世界では、掃いて捨てる程度の一般人らしい…。その魅力に気づくのは、学校一のヒロイン、宮様と呼ばれる「月の巫女」千歌音(ちかね)と、学校一のモテモテくんソウマ君のみ。あと、視聴者ね…。
 で、話の軸として展開されるのは、この転生を繰り返す巫女の関係が、世界にいかなる影響を与えるか…のはずなんだが、ソウマ君と千歌音ちゃん(もちろん百合!)の、姫子争奪戦が全12話ぶっ通しで繰り広げられます!
 敵のおろちとか、無関係で、二人の暴走があるエピソードとかもあるし、いや、もうすごいですよ。敵も、千歌音を利用し百合に目覚めさせようとして、罠を張るんですが、千歌音の方が一枚上で、これをうち破るだけでなく、利用してまで…。
 百合といえば、その対極のバラ(やおいと言った方がいいのかな?)路線もちゃんと用意してあります(絶句)。

 ここまで書くと、どたばたラブコメ路線のアニメかと思われる方もいるだろうが、ストーリーの作りは、きわめてシリアス。主人公たちは、笑わない…。もちろん、にっこりはするが、目が笑ってない…。

 実は、最後まで制作者の意図が、よくわからないと言うか、何をターゲットにしているのか、よくわからなかった。いや、いっそのこと、これ何? と言う感覚だったのだが、TNK(制作会社ね)のHPにある、スタッフ座談会をみて、何となくわかった気がする。
 要は、思いっきりはずしたかったらしい。はずすというのは、視聴者の視線のこと。そういわれれば、視聴者が意識する主人公にスポットを当てて心情描写することは、確かにほとんどなかった。いつも、ソウマや千歌音の方からアクションをかけて、そのリアクションの対象としてしか姫子を描いていなかったのも納得。
 ただね、もしそうだとしても、スタッフたちが座談会で言うような「奥の深い作品」にはなっていなかったと思うのも事実。たとえ12話と言う短い尺だったとしても、その尺の中でその映像に何を盛り込むか、そこにどんな作品テーマを盛り込むか、そして、それをどうやって伝えるか(もちろん、ストレートではなくてもいい)が、作品の質を決定すると、僕は思うのだが、彼らの言を解釈すれば、「奥の深い設定」ではあっても、「奥の深い作品」にはなり得ていないと思う。盛り込む努力、掘り下げる努力は、そういわれれば、確かに立派とも思えるが、伝えることを放棄した時点で、作品としては未完成なのではないか? それを、「すごいだろう」と言われても、すごいのはあなた方の「脳内」でしょ? と、毒づいてしまいそう。

 まあ、こう思えてしまうのは、一つには、大好きな歌姫、KOTOKOの主題歌で始まる作品と言うことで、必要以上に期待をかけたからだと思うのだが、どうも肩すかしを食らったという、そんな思いにさせられたからもある。

 と、言うわけで、この作品に関しては、酒をかっくらいながら、ぼんやり見るのをおすすめする。作画のレベルに関しては、合格点をあげられるだろうし、動画も戦闘シーンは、一定レベルをキープしてるので、見にくいことはない。
 それから、主題歌とエンディングは必聴^^;
へえ! こんなのあるんだ!
26日に、トラックバックありました~。
「灰羽連盟」紹介のページにです。

http://66.6.213.173/comic/archives/003896.html

で、訪問したら、ほう、なるほど、灰羽以外も、様々な漫画のブログの更新情報をRSSを利用して、検索するシステムですか!
考えましたね~。
ティッカー設定を是非とのことなんですが、まあ、うちの形式じゃ意味ないわな^^;
でも、おもしろい試みなので、リンクは張ることにしました。

詳しいことを知りたい方は、左下のリンクからたどって遊びに行ってみてください。
「哲学しよう!」(アニメ評:この醜くも美しい世界)
「この醜くも美しい世界」全12話 GAINAX
監督:佐伯昭志

 例えば、最高の素材が、決して最高の料理を作るわけではないという、そんなことを思い出させる作品。

 この作品では、数千万年ごとに繰り返される地球上の大絶滅が、宇宙意志(?)によって引き起こされたとの仮説を前提にしている。そして、現代に現れた、この宇宙意志は、その姿を美少女の形をもって具現化した。この宇宙意志は、それが最初に接触したものに影響されるらしく、たまたま巡り会った、2人の少年の記憶、想いをその心に植え付けられる。しかも、今までの地球上の絶滅とは異なり、今回の対象、つまり人間は「心」を持っているから、その心までも、この宇宙意思は自らの中に引き取ってしまう。このため、「行き詰まった種を絶滅させる」という、ある種機械的作業に「人の心」というバグを生じることになる。

 この作品で扱っているのは、本当に深遠なテーマだ。確かに人間は、その進化において行き詰まってしまっているのかもしれない。この種は自らだけでなく、その力によって地球をも破滅させるだけの力を得、しかも小出しながら、その力を使い始めている。一方で、この種は個体としても、そして種全体としても、新たな高みに至ろうとする意志を持つというアンビバレントな面を有する。
 ここに、種の絶滅という宇宙意志が働くとどうなるのか。しかも、この作品では、絶滅対象とされた人類の一人たるタケル(主人公)が、この宇宙意思と戦う力(Extended Deffenition)を得るのだが、この宇宙意思の具現化たる美少女(ヒカリ)を、その力をもって守ろうとするから、話はややこしい。
 これも、「人」に、心があるためなのだが、その葛藤は、実は「たった一人の愛するものを守る」か、「自分とその周りのもの、そして全人類を守る」かという究極の葛藤に至るから、実によく考えられている設定だと想う。

 が、残念ながら、この深遠なるテーマと正面から向き合ってこの作品が作られたのかというと、どうもそうではなさそうだ。
 確かに、宇宙意思たるヒカリが、人類と接触し、その「心」に影響されていく過程は、一直線に絶滅へと向かわせる機械的な作業ではなく、宇宙意思そのものに葛藤を生み出すというドラマづくりに必要だとは思う。
 だが、それは、決してラブコメではないはず。自己の過去にとらわれ、その殻を閉ざしているだけの主人公との接触から、どうして「美しい世界」を壊すことに対する葛藤を、宇宙意志ヒカリは持つのか、正直納得できない。
 結局、テーマについて真正面から対峙し、語られているのは、最初の2話と、最後の2話だけではないか? たぶん、残りの8話は、なくてもいいような気がする。
 また、この手の話にありがちな「愛は地球を救う」的な解決の仕方はどうなんだろう? せっかくの深遠なテーマが、結局陳腐な結論で終わり、正直腰砕けになってしまった。

 もちろん、では、駄作かというと、そこまで言いきってしまう気はない。この設定だけでも「アイデア賞」をあげたいくらいだというのも、本音。
 確かに「美少女ラブコメ」というパターンに当てはめれば、それなりの顧客がつくだろうし、特に、この作品が放映された民法BSというメディアを考えれば、無茶な冒険はできなかった事情はよくわかる(これが今できるのは、地上波深夜アニメ枠だけだと言っていいだろう)。
 それをふまえた上で、しかし、やはり、これだけ良い素材をつり上げたのだから、調理の腕もしっかりふるってほしかったとも思う。

 ちなみに、本作品はGAINAXの制作だが、その割には、結構作画があれているなぁと言うのが印象。特に途中の海水浴エピソードでは、キャラクターデザインが変わったかのような原画で、何だかなぁと、思ったことがある。

 今回は、冒頭あらすじは省略した。上でも書いたように、最初の2話で、「起・承」くらいまで語っていて、最終2話で「転・結」となるから、冒頭あらすじを書くことがほとんど、中盤のエピソードにつながらないし、そこまで語ると、物語の重要部分の半分を語ってしまうことになりそうだというのが理由。
 ところで、途中で「アカリ」という、重要キャラ(残念ながら、このキャラのせいで、テーマがぼやけてしまって、不要キャラだと思うのだが…)がでてくるエピソードがあるが、まあ、いいでしょ^^;
「だめ男改造計画」(漫画評:いま、会いにゆきます)
「いま、会いにゆきます」ビッグコミックス(小学館)
著者: 市川たくじ/高田靖彦
05/04/26読了

 最初にお断りしておくと、まず、僕自身は映画、小説版は未見だ。いくつかのレビューによると、コミック版と、映画・小説版は、設定などが違うらしい。
 が、見ていないものを前提にしても意味がないので、あくまでコミック単体のレビューをしてみようと思う。その点はご容赦願いたい。

 さて、悪名高き(とか言うと、怒られるんだろうなぁ…、でも、人が死んだら泣けるの当たり前じゃんと、僕は思うのよ…)「世界の中心で、愛を叫ぶ」や、「天国の本屋」と並び、最近はやりの号泣ラブストーリーというふれこみの作品で、少々躊躇していたのだが、漫画喫茶で見つけたので、少し目を通してみることにした。
 短い物語なので、ネタばれモード全開で行くけど、まず、これって「悲惨」だから、切なく思えるだけなんじゃないか? っていうのが最初の印象。
 心の病気を抱えてしまった男が、内向的な女と結婚し、子供をもうけるが、産後の肥立ちが悪くて、女は、幼子を残して死んでしまう。男は路頭に迷い、途方に暮れる毎日。
 そんなある日、妻とそっくりの記憶をなくした女が現れる。妻は生前、死んでも必ず戻ってくるからと宣言していたから、男と子供はこれを迎え入れ、3人の生活が始まるが、これもタイムリミットがあって…。

 う~ん。女が戻ってくるっていう設定自体は、超常現象なんで、それに説明を付けたり、だから嘘っぽいなんて言う気はさらさら無い。
 戻ってきて、生きている夫と息子に何を与えるかって言うのが、もっとも大事な話のテーマなんだけど、結局夫は、病気と向き合い、残された親族とも向き合わざるを得ないことを自覚させられ、、息子は、些細な約束の成就と別れ際の心残りを果たす。
 息子はともかく、夫の方は、わざわざ妻が戻ってきてくれなければ達し得ない境地なんだろうかと、漫画ながら不憫に思えてくる。心の病を負っているにしても、あれだけ献身的に、夫を思っていた妻が死んだとたん、あれでは妻が死ぬに死にきれんかったのは、致し方あるまい。
 一体、この妻は生前、この夫の何に結婚の幸福を感じていたのだろうか? それが全く見えてこない。見えてこないから、最後に伝えられたノートのメッセージ、結婚前に妻から逃げた男を追いかけるのに、あれだけ希望に胸ふくらませた妻の気持ちが伝わってこなかった。

 あのとき、未来が見えた妻が、夫から去っていくことが、本当はお互いにとって幸せだったのではなかろうか。そうとしか思えなかったから、あえてそれでも二人でいようと、この選択をした妻。だから、この二人と、そして二人の間に生まれた息子が「悲惨」に思えてしまったのだ。

 ただね。少し視線をずらしてみたとき、ちょっと胸にじんと来るものがあったのも事実。
 これは、夫婦愛の物語ではないのよ。そう。父親が息子を、母親が息子を、それぞれ思う気持ちだけを追っかけていくと、この物語の本質が見えてくるような気がした。
 多分、二人の間に子供が授かっていなければ、夫は妻がいなくなったあとで、本当にだめになっていただろうなと思えるし、妻の方だって、決してこの男と結婚しなかっただろうと思える。
 子供の成長を見たい、子供がいとおしいから、そして、ほんの少しでも、その子供と一緒にいたい。そういう親の気持ち、それだけを伝えたくて、それだけを満たしたくて、この夫と妻は、再会できたのではないかと、最近父親になった僕は、実感したのですよ。いや、多分、この物語のテーマは、それでいいんだと思う。それが、上に上げた極悪号泣ラブストーリーとは、違う、この物語の、光ってるところかなと、そう思うです。
 そういや、坂井真紀主演の「私の運命」も、実はこれに通じるものがあるのかも…。あれ、泣いたもんな^^;。

 ところで、「ゆきます」っていう表記、最近よく目に付くし、僕の好きなアーティストも、作品で使ってるんだが、なんか、馬鹿っぽくてきらい。「いきます」で、いいじゃん。
「ある意味パラレルエヴァ…」(アニメ評:デュアル)
「デュアル~ぱられルンルン物語~」全14話 AIC
原作:梶島正樹 監督:秋山勝仁 


 ああ、どうして、こんなタイトルなんだろう…と、泣きそうな思いでレンタルしたのだが、いや、実におもしろかった。こんな間の抜けたタイトルにも、それなりの作者の意志が語られているんだなぁ。と、今更ながらに感心。

 制作自体は、結構古い作品。と、いっても、1998年制作だから、エヴァンゲリオンの影響をもろに受けている作品ではある。この辺は、正直そこまでやるか? と、思えるようなことも、平気で「パクリ」をしているのだが、まあ、ご愛敬かもしれない。前半の「エヴァもどき」の作風も、後半のオリジナルな(というのも変なのだが…)脚本のために、「意味」がでてくるから許せるだろう。
 AIC制作ということで、作画レベルは安定しており、乱れるということは全くない。CGレベルは、お世辞にも高いとは思えないが、それは制作年を考えれば、こんなもんだろうと思える。

 唯一、不満といえば「音」がすかすかな点。オープニングも、味はあるのだが、いかにも、アーティストと、曲のアレンジで経費節約しましたっていう感じ。まあ、でも、結構オープニングのあの曲、好きですが^^;(検索している途中で、同嗜好の方発見! それ自体驚き!)。劇中BGMも鳴っていない時間の方が多いくらいで、それが、作品のイメージを損なわなければいいのだが、あれだけにぎやかなストーリーで、効果音とせりふだけというのも、なんだか物足りなく感じる。この辺は音楽監督の力量なのかもしれないが、非常にチープに感じる。

 と、まあ、不満はあるが、それを差し引いても、ここまで不当に評価が低いというのも悲しいものがある。
 いっちゃ何だが、質的にずっと低い作品が映画にもなったりしていることがあり、それはそれでボタンの掛け違いって、怖いなぁという気もする。まあ、AIC自体がどうも浮かばれない制作会社っぽい気もするが…(BONZとかXEBECとか、たいして作品の質量が変わらない制作会社が、ばんばんヒットとばしてるからねぇ)。

 さて、まずは冒頭のあらすじを。
 主人公、四加一樹は、見えないものが見える高校生。見えるものは、背後霊とか、地縛霊ではなく、市街地で戦闘を繰り広げるロボット。彼はお気に入りの白いロボットに「ハルツィオーネ」と、勝手に名前を付けて、そこで繰り広げられる戦闘を自分のHPにアップしている。その名も「ぱられルンルン物語」。まあ、そんなことをしているわけだから、周りからは変人扱いされ、どうも現実世界では居づらいらしい。
 が、ある日、学校の人気者、美人の真田三月から声をかけられる。曰く「あなたの見えるものに興味がある」と。
 最初は、また自分をからかうつもりなのかと、邪険にする一樹だが、まあ、美人のお姉さんに絡まれてうれしくないはずはなく、三月のいうがままに、彼女の家に行くことに…。
 ところがまっていたのは、三月のパパ…。マッドサイエンティストの賢(一応、高名な物理学者ということらしいが、やってることは、明らかにマッドですな^^;)。どうも、異世界が見えるという一樹君が、彼の研究、平行世界へ飛ぶのに適当なモルモットだと思ったらしい。
 もちろん、いくら何でも、いきなり実験台にくくりつけて、とばすところまでは、マッドサイエンティストといえども、できなかったみたいで、一所懸命説得することに…。ところが、三月がふと腰掛けたところが装置のスイッチで(お約束ですな^^;)、哀れ一樹は平行世界へ。
 とばされた世界は、一樹のいた世界と近いらしく、一樹の会う人はみんな、見慣れた顔ばかりだった。ところが、2つ、違うことがあった。一つは、一樹が幻影の中で見ていたロボットが、本当に戦っていたこと。そして、この世界には、一樹と対をなす人が、誰もいなかったこと。
 で、とばされた一樹は、いきなりロボット同士の戦闘のさなかに出くわすことに。一樹の目の前でうち倒される「ハルツィオーネ」。コクピットが開き、女性が倒れる。なんだか、助けなきゃ! と、思った一樹はやおらロボットに乗り込み(ハイ、お約束です!)、そのロボットと、驚異のシンクロをし、敵をうち倒す。が、奥ゆかしい一樹君、倒した後は、さっさとずらかり、自分の家を探しに(この時点では、まだ平行世界にいることに気づいてない^^;)。が、現実は厳しく、この世界の一樹の家には、一樹の存在はなく、両親に「泥棒」呼ばわりされて、家から追い出される。行く当てもなく、さまよう一樹を突然、軍隊が囲む。
 つれてこられたところは…。またいやがったよ、真田賢…。どうも、こちらの世界では、私設の軍隊「地球防衛軍」の司令長官らしい。そして、彼に呼ばれてきたのは…。三月。
 実は、彼女も1ヶ月前のこの世界にとばされたらしい(飛んだ経緯は、最後まで語られなかったが…)。で、一緒に戦うことになるのだが…。

 まあ、ありそうでなかった、パラレルワールドもの。設定は、非常におもしろいし、エヴァというより、どちらかというとタイムボカンシリーズのノリの戦闘は、なぜかほのぼのしている。こうなると、「タカビー」な三月が「赤い2号機」に乗っていることとか、なにやら遺跡文明の末裔の「クローン」らしき(ホントはちょっと違うが)、D(ディー)が、「ぼそっとしゃべる美少女」で、「水色の機体」の3号機に乗っていることとか、「三月と、一樹が、チームワークのために同居する」とか、「戦闘で沈黙した一号機を、『動け、動け、動いてくれー!』と叫んで、動かしてしまう」一樹とか、「3人の機体の背中に、なにやら板のような突起物がついている」とか、もう、「いっそ、エヴァ2号機改っていったほうがいいような機体とか」、全然気にならない………わけないよな^^;。
 えっと、いや、何であんなに似せたのか、エピソードによっては、ホントにパロディーじゃないかって思える回もあって、正直、6~7話くらいまでは、「オイオイ」とか思いながら見てた。
 でも、これって、それで終わらない。AIC制作の作品は、きちんとした終わり方で、最後まで見たカタルシスというか、納得というか、そういう感慨を抱かせるものが多いけど、まさにこの作品がそう。
 中途までは、上に書いたようにまさにエヴァネタ満載で、エヴァをコミカルにすると、こうなるのかぁと、思えたのだが、中盤からは、オリジナル(だから、なんか違和感があるんだよなぁ^^;、この表現…)で、少々シリアスな話も交えつつ、それでも明るく楽しいストーリーで、ぐいぐい視聴者を引っ張っていくシリーズ構成は秀逸。
 敵方も、もちろん味方にも「悪意」のあるキャラは、一人もいないっていうのが、ほっとする。
 タイトルの「ルンルン」は、一樹がもう、もててもてて、仕方がないって設定のことを指すみたいだが、この辺は設定とストーリーで説得力を持たせているので、あんまり違和感がないし、三月が、結構かわいいのも魅力。

 で、ですね。正直エヴァのパクリはもうこりごりだという方、半分くらいまでは、鼻くそでもほじりながら見ててください。そういうのには、もうなれたという方、実は案外かっこいい主人公メカのアクションに注目してください。オープニングの1~3号機のアクションは、秀逸ですよ。それから、エヴァのアスカ系のタカビー女に萌えの方、話が進むにつれての三月の心境の微妙な揺れを、楽しんでください。いや、実にかわいいんですわ、このお嬢さん^^;。
 個人的には、見て損はない作品だと思いますよ。是非是非。
「TOKYO時間でした…」(アニメ評:ラーゼフォン その2)
「ラーゼフォン」全26話 フジテレビ
監督:出渕裕 音楽:橋本一子
主題歌:坂本真綾

 「続きは明日!」なんて、書いておいて、1ヶ月以上たってしまいました(笑)。ま、誰も読んでないってと、自虐的いいわけをしながら、レビューの続きを…。
 あ、一応、中断があったのは家庭の事情というやつで、後日紹介する作品の中のレビューでばらす予定ですが(また予定かい!)、とりあえず、弔事でないことだけは断っておきます。

 さて、レビュー前にお詫びを一言。前回、ちゃんと、1話から見直さず、記憶に従ってレビューを書いていたのだが、見直してみて、いくつか間違いを発見。まず、綾人がラーゼフォンに乗り込むのは、最初の攻撃の際の流れ。それも美嶋と一緒にゼフォン神殿に向かうことになってた。それから、綾人が2度目に遙にあったときに、遙は、ゼフォン神殿に綾人を連れて向かうのではなく、自分のVトール機で、直接東京から逃げようとするのだが、ラーゼフォンの力によって、操作不能になりゼフォン神殿に墜落するということになってた。後は、だいたい、記憶通り。

 ということで、改めてレビューに復帰。
 レビュー前編で紹介したとおり、この作品のテーマは「時間と距離が二人隔てても、それでもずっと想っています。忘れないで(ちょい前回の言い回しと違うが、気にしない)。」だが、「忘れないで」というくらいだから、当然、主人公は大事なことを忘れ去っている。その忘れっぷりが豪快なのだが、彼女は黙って彼がそれを思い出すのを待っている。そのいじらしさったら…。
 この物語の背景にあるものは、チャーチワードの『失われたむー大陸』らしいのだが、実はあまり関係ないのかもしれない。というのも、敵の名称MUと、失われた文明という点以外に、共通項はあまり見つからないからだ。
 また、『音』を、キーワードにしているようなのだが、これも物語前半ではいくつか、これにまつわるエピソードが語られるが、どうも全体として、それほど大きな意味を持っているわけではないらしい。もっとも、ラーゼフォンを『音』から解析したサイトもあるが、残念ながら、作者の意図"以上"のことを導き出しており、この物語をひもとく鍵の解明に至っているとは思いがたい。

 と、これらのキーワードをいくら解析しても『無駄』というところから、まず、この物語の理解を始めなければならない。これは、エヴァンゲリオンの支持者たちが『死海文書』『聖書』をひもとき、はてなき苦闘の領域に踏み込み戻ってこれなくなった反省から、事前に忠告されるべき事実だと思う。

 そこで、結局この物語は、ごく単純に『時間と距離が二人隔てても、それでもずっと想っています。忘れないで』ということに落ち着く。
 そして、これが主人公とヒロインを取り巻く最も太い幹だと認識すると、彼らを取り巻く人々にも、それぞれテーマが見えてくる。例えば、『避け得なかった罪に対する贖罪』、『狂ってしまうほどに嫉妬しながら、それでもいとおしい』、『どうして、俺ではなくて、おまえなのだ!』などなど、誰がどれだかは、見てのお楽しみにして、26話の中で、これらのテーマが、きっちり描かれている点は、さすがBONZというべきか。
 もちろん、語り尽くされない謎(人間関係についてのね)もある。ただ、くどいようだが、『時間と距離が二人隔てても、それでもずっと想っています。忘れないで』というテーマには、きっちりとした答えが出される。そこに至る主人公の心の変化のための、数々の試練を描いたのがこの作品だといっていいだろう。

 もちろん、さすが制作会社がBONZだけあって、作画もほとんど乱れないし、その画面の美しさはずば抜けている。『鋼の錬金術師』も、この制作会社が手がけたから、あれだけ人気がでたのだろうなとも、思う。

 また、この作品のOP、坂本真綾がうたう「ヘミソフィア」は、偉く印象的な歌だから、是非じっくり聞いてほしいし、劇中使われる、橋本一子の音楽が、この作品をストーリー以上に幻想的にしている点も、評価してしかるべきだろう。

 見て損はない。いや、むしろ「見てほしい」と、いうことで締めておこう。

 ところで、この作品については、「劇場版」「コミック版」がそれぞれ存在する。が、劇場版の方では少々設定が、コミック版の方では、ストーリーや、キャラクターの置かれた立場など、ほとんど別作品になっている。もし、古本屋やレンタルビデオ屋で、この作品を探すのなら、絶対にTV版を見てくださいな。
 もちろん、コミック版や、映画版もとても良い作品なのだが(特に結末は、コミック版のものが一番好きだ)、それぞれ、ある程度TV版の知識が必要だと思われる。
 まずは、是非TV版をごらんあれ。