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駄目オタ徒然草
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3月のインデックス
【3月のレビュー】

-映画評(アニメ)-
 ☆☆★★★『劇場版 AIR』
      制作:東映アニメーション 監督:出崎統


 ☆☆☆☆☆『雲のむこう、約束の場所』
      制作:Comix Wave 監督:新海誠


-漫画評-
 ☆☆☆☆☆『夢かもしんない』星里もちる
      BIG COMIC(小学館)


 ☆☆★★★『ルナハイツ』星里もちる
      BIG COMIC(小学館)


-アニメ評-
 ☆☆☆☆★『アルジェントソーマ』
      制作:サンライズ 監督:片山一良


 ☆☆☆☆★『NOIR ~ノアール~』
      制作:ビィートレイン 監督:真下耕一


 ☆☆☆☆☆『宇宙のステルヴィア』
      制作:XEBEC 監督:佐藤竜雄


 ☆☆☆☆☆『フィギュア17』
      制作:GENCO 監督:高橋ナオヒト


 ☆☆☆☆★『灰羽連盟』
      制作:RADIX 監督:ところともかず


 ☆★★★★『JINKI extend』
      制作:フィール 監督:むらた雅彦


 ☆☆☆☆★『藍より青し』
      制作:JC STAFF 監督:下田正美


 ☆☆☆★★『真月譚 月姫』
      制作:JC STAFF 監督:桜美かつし


-書評(小説)-
 ☆☆★★★『詩人の夢』松村栄子
      ハルキ文庫(角川書店)


 ☆☆☆☆★『紫の砂漠』松村栄子
      ハルキ文庫(角川書店)


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「がってん、がってん!」(アニメ評:アルジェントソーマ)
「アルジェントソーマ」全25話 テレビ東京
2001年春視聴終了
監督:片山一良 音楽:服部克久

『アルジェントソーマ』
 2000年といえば、エヴァンゲリオンのブームが一段落した頃か? その頃にサンライズが満を持して送り出した作品。
 多くの制作者が、エヴァの成功を分析して、二匹目のドジョウを探したに違いないことは、このころの漫画・アニメのラインナップを見てみるとよくわかる。
 が、世の中そんなに甘くないというのが現実。この作品も、エヴァのにおいをさせながら、それでも、サンライズらしいオリジナリティーを遺憾なく発揮させて作成された、これ単体としては、実によい作品だ。
 が、残念ながらヒットせず。

 ヒットするからいい作品だとはいえず、また、逆もしかり。この作品は、クオリティーが高いにもかかわらず、その評価を不当に低くされたままになっている、不幸な作品だろう。

 冒頭のあらすじはこうである。

 近い未来、宇宙から巨大な金属製のエイリアンが襲来していた(はい、そこ、笑わない!)。全長20m弱くらいの、灰色と黄色に縁取られた人型のエイリアン(笑うなって!)。このエイリアンたちは、地球の各地に降下すると、アメリカ大陸のある地点、「巡礼ポイント」と呼ばれるそこを、ただひたすら目指し、途中にある町をなぎ倒し、踏みつけながら進んだ。
 人類は、「巡礼ポイント」に何があるか、エイリアンが何を目指しているのか、エイリアンが巡礼ポイントに到達すると、いったい何が起こるのか、知らず、知らされないまま、ただひたすら、エイリアンの巡礼ポイント到達を阻止すべく戦うことを余儀なくされた。

 その頃、カネシロタクトとマキ(恋人同士ね、いうまでもなく)は、アメリカの大学(防衛大学みたいなところか?)に通っており、タクトは鉱物研究を、マキは生物学(だったと思う)の研究を行っていた。が、マキは実は、主任教授に巻き込まれ、怪しい研究を行っていた。
 まあ、勘のいい人なら、わかると思うが、マキのやっていた研究というのは、エイリアンの死体を切り刻み、フランケンシュタインよろしく、巨大改造人間を作っていたのだ。
 そして、ある日、その研究が完成し、その化け物は立ち上がった。マキによってさらにその研究に巻き込まれたタクトの目の前で、マキと教授をその手で押しつぶしながら…。

 奇跡的に助かったタクトは、エイリアンのフランケンシュタインに復讐を誓い、研究を知った者として軟禁された病院から逃げ出す。
 復讐を誓うものの、途方に暮れるタクトの前に、怪しい男が現れる。そして、タクトの目的をかなえるための力を得させることを代償に、その男の指示により顔を変え、ソーマと名乗り、男とある契約を結ぶ。その契約とは…。

 当時、エイリアン対策は一般の軍隊がやっていたようだが、犠牲はあまりにも巨大だったらしい。そこで、国連(米軍?)は、対エイリアン対策部隊として、北アメリカ大陸のある場所(詳細忘れた)に、フューネラルという特殊部隊を設置し、オーバーテクノロジーの固まり、エイリアンたちを分析した結果得られた、エイリアンエンジンと呼ばれる動力を備える超兵器「ザルク」を配備する。

 ソーマが男と交わした契約は、そのフューネラルに潜伏し、ザルクのデータを男に渡す。そういうものだった(実は、それは仮の内容なのだが、ソーマはそれが真の内容だと信じていた)。
 ソーマは、その部隊に配属され、パイロットとなる。なぜそんな簡単に? と、思われるかもしれないが、その秘密は、おいおいわかるだろう。
 そして、フューネラルにある日、ハリエットとフランクがやってくることになる。ハリエットは、親も身よりも、エイリアンによってなくした自閉症気味の少女。フランクは…、言葉をしゃべれぬつぎはぎの体。本当の名前を「エクストラワン」と呼ばれるそれは、そう、マキを、タクトの前で押しつぶした巨大なフランケンシュタイン、マキの主任教授が作り上げた、化け物だった。
 あろうことか、このフランクはハリエットの言葉にだけ耳を傾け、ザルクとともに、エイリアンと戦う「兵器」となったのだ。しかも、ハリエットはマキにうり二つだった…。

 ここから、ソーマとしてのタクトの苦悩と葛藤が始まる。そして…。

 というのが、舞台背景と、主人公たちの紹介。
 なぜ、エイリアンが突然地球にやってきたのか。この謎はちゃんと解き明かされる。エイリアンたちが目指す巡礼ポイントとはなんなのか? これも解き明かされる。そもそもエイリアンがなんなのか、これこそがこの物語の最大の謎だが、これももちろんあかされる。さらに、なぜ、フランクがハリエットにだけ心を開くのか、ザルクがオーバーリミットをかけると、パイロットを飲み込んでしまうのはなぜかについても、同様である。
 加えて、サブキャラクターたちの生い立ち(フューネラルは、なんか、愚連隊のようですな(笑))も、きっちりドラマであかされる。

 そして、この作品は、最後にはきっちり大団円を迎える。そういう意味で、さすがにサンライズだけのことはあるといえるだろう。また、「エヴァンゲリオン」が始めた手法である、オープニングに物語の「秘密」を織り込むという手法も、実はやっている。一見関係のないような映像が流れるエンディングがそれだ。また、これは作品自体の評価とは異なるが、よくできた「コミック」も展開されていた。
 斬新な手法も用いられた。オープニングにバラードを用い、まるでエンディングのような雰囲気にし、通常のロボットものが用いる、オープニングをアップテンポにして観客をハイにさせ、物語にのめり込ませるという手法を放棄した。
 また、一方で、サンライズらしく、台詞の言い回しをあえて難解にし、劇に重みをつけた。作画のレベルは、全体を通して高く、さすがに老舗が発注者だけのことだけはある。
 音楽だって、大物服部克久を起用しているから、当然力の入り方も違う。

 が、なぜか、ヒットしなかった。

 これは、あくまで推測なのだが、「やりすぎた」というのが原因ではないか?
 つまり、謎をあかしすぎた。物語を大団円にしすぎた。オープニングでテンションを下げすぎた。必要以上に台詞回しを難解にし、何をいっているのかわからなくさせ、あとでフォローしても、誰も、その台詞を憶えていない…。
 そう、サービス精神が、いきすぎると、レストランやブティックで居づらくなるように、このアニメも、サービスが行き届きすぎた結果、作品のできに反して、観客が引いてしまったのではないか。
 あるいは、エヴァンゲリオンのように、終わったあとに「議論の余地」が、残りすぎたため、視聴者が議論を始め、その結果盛り上がったのと反対に、「なるほど、そうか!」と、皆が納得したため、終わったあとに、潮が引くようにみんな次の作品に移っていった。

 ただ、個人的には、これだけのメニューを盛りつけられたら、しっかり味わった方がいいという主義なので、この作品は堪能した。実におもしろかったといえる。
 もし、見てみようと思われる方がおられたら、1本1本をじっくり見た方がいい。が~っと、25話全部を、一気に見るのではなく、1週間に2話ぐらいのペースを守って、ちゃんと消化不良を起こさないように見るといい。

 SF好きなら、結構はまってみられると思う。
「コッペリアって、なに?」(アニメ評:ノアール)
「ノアール」全26話 テレビ東京
2001年秋視聴
監督:真下耕一 原案:月村了衛
音楽:梶浦由記

『ノアール』

 このアニメは、リアルタイムで見ている。ただし、最初の数話は、見逃した。
 これには訳がある。当時この番組が改編で始まる前に、毎週放映(確か木曜日だったと思うが)していたのは、「アルジェントソーマ」というアニメで、サンライズが柳の下の「エヴァンゲリオン」をねらって作ったと揶揄されたアニメであった。しかし、僕自身はこの「アルジェントソーマ」は、おもしろかったので、ずっと見ていたのだが、その最終回のあとに流された、「ノアール」の、新番組予告(止め絵だったかもしれない)は、美少女アニメにしか見えなかった。
 正確には記憶していないのだが、当時はおっきなお友達のための美少女アニメがはやり始めた頃で、ストーリーも、話のヤマも、落ちもないような話が、氾濫していた(偏見か?)。
 だから、この予告を見た瞬間「またか」と思い、あとは思考停止。翌週からは、その時間にチャンネルを合わせることはなかった。

 ところが…。

 ある日、そんなことも忘れて、何気なくチャンネルザッピングをしていたら、たまたま、この番組にチャンネルがあって、その瞬間、とにかく動く動く! 少女が飛び跳ね、ありとあらゆる暗殺技を使いながら、画面がぐりぐり! しかも、そのBGMはヨーロッパの宗教曲を思わせるような女性の声とストリングスによるもので、非常に美しいものだった。
 「なんじゃこりゃ!」と、早々に切り捨てた番組であることも忘れて、見入ってしまった。それがこの「ノアール」との出会い。

 とにかく、偏見で最初から見なかったことを後悔した。もちろん、DVDが出てから、レンタルだが全部通しで見直した。

 この作品のあらすじは、殺人の手段しか記憶のない少女(高校生くらいの年齢)霧香と、両親を殺された記憶を持つ殺し屋の美女ミレイユが、伝説の殺し屋「NOIR」を名乗り、殺人を生業としながら、それぞれの過去に迫っていくという話。
 二人の記憶と過去が徐々にあかされ、二人の関係があかされるとき、避けられない宿命が迫る。
 日本、中近東、ヨーロッパを舞台に、歴史に暗躍する秘密結社や、「NOIR」という、女二人組の殺し屋の伝説を、徐々にひもとき謎に迫るストーリー仕立ては、視聴者を飽きさせない。

 しかし、なにより、このアニメの魅力は、とにかくキャラクターが動くこと。しかも、その動きが無茶でも無茶に見せないほどに、体の動きを緻密に追って、破綻がないのだ。
 このアニメの見せ場は、霧香とミレイユが敵の暗殺者を次々と殺していくアクションシーンだ。お化け屋敷のびっくりギミックのごとく、戦いの場を神出鬼没に移動しながら、無表情にさくさく殺していく霧香と、その霧香の殺し方を「下品なやり方」として蔑みながら、人間的な表情で、やはり敵をさくさく殺していくミレイユの非常にダイナミックなアクションの対比を実にかっこよく描いている点にある。
 この辺は、殺人劇自体を嫌う人には、この魅力自体が「駄目ポイント」になるだろう。しかし、この作品には、ハリウッドのドンパチ殺人劇のあほらしさはない。むしろ、必殺シリーズの外連味があるため、殺人を見ているというより、美しい殺陣を一種の「芸」として見るがごとき印象を受ける。

 さらに、このアニメの魅力は、先にも書いた、荘厳な女性コーラスとストリングスを使ったBGMにもある。この曲をバックにしながら殺人をするのだから、彼女らの「暗殺」が、その手際の美しさと相まって、一種の宗教的儀式にさえ思えてくる。
 が、そう思わせる演出は、実は、ある意味終盤への伏線でもあるのだから、「やられた~」という気分だ。
 この点からも、この作品は、トータルに演出の行き届いた、秀作だといえる。

 暗殺をテーマにした作品であることに抵抗のない人には、是非おすすめしたい。

 ちなみに、ALI PROJECTが歌う、この作品のオープニング「コッペリアの棺」はぶっ飛んでいる。とにかく歌詞がわからん。あとで歌詞カードを見ても、辞書を引かねばわからん単語さえある。
 が、そのメロディーと声は、一度聞いたら夢に出そうなくらい、インパクトはある。もちろん、作品世界を表す上で、非常によい選択であることは、いうまでもない。なお、このアーティストは「ローゼンメイデン」というアニメの主題歌も歌っている。こっちも一度聞いたら、夢に出そうなくらいインパクトがある。アニメは1度見て、二度と見なかったが、歌は頭にこびりつき、夢でうなされそうだった。
「ヒモは職業ですか?」(アニメ評:宇宙のステルヴィア)
「宇宙のステルヴィア」全26話
監督:佐藤竜雄
主題歌:angela

『宇宙のステルヴィア』※ この画像は3巻のパッケージです

 今日は、angelaの全曲ライブに行って来たので、その記念! というか、このためにこのネタは、ココまで寝かしておいたのだ^^;

 さて、このアニメは、テレビ東京かどこかで、放送されたらしい。もっとも、オンエアー時は視聴していない。その後、どこかの掲示板でおもしろいという話を聞き、それを頭の片隅においといたのだが、別のビデオを借りにいったレンタルビデオ屋で、目的のビデオが貸し出し中だったので、「そういえば…」と、借りたのがきっかけ。

 最初に、地球が超新星爆発の影響を受けて壊滅的打撃をうけるところから始まる。それから180年ほど後、「昔のみなさんありがとう、地球は今も元気です」という語りから、オープニングに…。確認してみたら、第一話では、この台詞ではなかったですね。
 正直、オープニングがかなり秀逸。映像自体は第1話のものがほとんどだが、モノの見事にangelaの曲とシンクロしつつ、また、メカシーンのCGも美麗で、これがまたメロディーに乗ってきれいに飛び交う。それに何より、その主題歌が聞いたこともないような歌い方(演歌調のコブシと、分厚いファルセット、それに、ジャジーなリズム感で歌う)と、えらくマニアックなアレンジで、「誰これ?」と、スタッフロールで名前を見つけて、速攻検索をかけた。もちろん、アルバムも即買い。まあ、騙されたと思って、1巻だけ借りてきて、オープニングと、エンディングだけでも聞いてみてください。つうか、主題歌のCD(『明日へのbrilliant road』)だけでも!(をぃ^^;)。また、このアニメの主題歌担当に抜擢されたエピソードも、相当すごいものがあるのだが、これは、はしょります。

 さて、本題。アニメのレビューなのでangelaネタは、また別の機会に。

 最初の衝撃は、光やら、電磁波やらのみのものだったのだが、189年後に、このときの超新星爆発の物理的衝撃波がやってくる。人類は、最初の壊滅的打撃から立ち直り、189年後にやってくる物理的衝撃波に備えて、グレートミッションと名付けられた対策を2世紀近くかけて、営々と準備していた。ちょうど、このグレートミッションが行われる数ヶ月前に、ファウンデーションと名付けられた宇宙ステーション(グレートミッションのための基点であり、同時にスペースノーツを育てる学校でもある)に、予科生としてやってくる片瀬志麻(愛称しーぽん)と、その仲間たちの学園生活を中心に描かれる物語。

 アニメ好きなら、どっかで聞いたような話である。
 もともとは、GAINAXがその名をとどろかせるきっかけとなった「トップをねらえ」に始まり、「バトルアスリーテス 大運動会」など、何年かに一度は焼き直しされる設定であるが、それはそれだけ、設定として使いやすいということだろう。
 こういう設定にすることにより、いわゆる、損得抜きの「友情」「愛情」を学園設定で、「戦闘」「挑戦」をミッション部分で描け、主人公を横と縦から描くことができる。

 そして、この作品は、明確な敵(モンスターとかね)も、超人的なライバル(基本的には、みんな仲間である)も出てこない点で、より緻密に、主人公を、普通に悩み、普通に挫折する(もちろん、人よりも秀でている点があるから主人公なのだが…)一人の人間として描くことができたといえる。
 お約束の、ほのかな恋愛ストーリーもある(後半部分では、これが重要なキーになるのだが、物語前半での伏線のはりかたとしては、結構うまい)。
 また、SF設定のハードさも、かなりいい感じ。グレートミッションと、後半に用意される試練の関連性も、なるほど、と思わせるものがある。サブキャラのドラマの作り方もうまい(そのキャラのドラマを1話使って作るのではなく、あくまで主人公とのからみで、ドラマに表出させる演出は、見る側の視点がぶれないので秀逸)。

 というわけで、ここまでは、本当に見て損はないと思う。

 ただし、難点が一つ。このキャラクターデザインは、見る人を選ぶということである。個人的には目玉の巨大なキャラが、どんなにシリアスなドラマをしても、駄目出しをしてしまう方なのだが、不思議とこのキャラデザインは違和感がなかった。キャラクターデザインのうのまことの原案イラストを見た(以前ネットで見たが、この原稿作成中に検索してみたら、見あたらなかった)が、このままだったら、多分、僕は引いていたと思う。担当者が、うま~~~く、ソフトに纏めたと思われる。
 そういう意味でも、いい仕事をしているといえるだろう。

 この作品を見て、XEBEC(「ジーベック」と読むらしい。angelaのライブで、そう発音していた。僕はてっきり「ゼベック」だと思ってた)が制作に関わる作品は要注意と認識した。
 なお、この作品が、今でも「2」制作の噂が絶えないという点からも、一般的な評価が高いといえることも、付記しておこう。
[「ヒモは職業ですか?」(アニメ評:宇宙のステルヴィア)]の続きを読む
「『萌え』禁止!」(アニメ評:フィギュア17)
「フィギュア17」全13話 テレビ東京
監督:高橋ナオヒト
視聴日 2002年春頃

『フィギュア17』

iconフィギュア17公式サイト

 某所で、1000字レビューを書いた際に、「北の国から」と「超人バロム1」を足して、隠し味に「萌え」を…。と、紹介したのだが、だいたいそれでこのアニメのアウトラインは押さえられていると思う。

 が、あくまでアウトラインであることは注意を要する。一貫してこの作品が丁寧に、かつ繊細に描いているのは、引っ込み思案で、自分を正直に出せない少女が、その少女期から思春期に至る前のほんのわずかの時間に、ちょっとだけ成長する姿だからだ。

 まず、冒頭のあらすじを。

 つばさは、早くに母親を亡くし、父親と二人暮らしだが、父親が友人のつてを頼って、北海道の田舎(富良野か、十勝っぽい風景)に引っ越す。つばさは、元々引っ込み思案で、友達も少なかったところ、都会からの転校でよりいっそう自分の殻に閉じこもり気味になる。
 一方、太陽圏を通過しようとする、一隻の宇宙船。「マギュア」と呼ばれるモンスターを搬送途中だったが、事故で地球に不時着する。マギュアのいくつかは北海道の各地に散らばって落ちる。
 不時着した宇宙船の搭乗員DDは、まず、船に残っていたマギュアをたたくために、「リベルス」というカプセルに閉じこめられた金属(?)生命体と合体(合体後の姿を「フィギュア」というらしい)し、戦うが、返り討ちにあう。
 そこへ、墜落を見て興奮しその場所へ走った犬(テンマルって名前だったと思う)を、追いかけてきたつばさがやってくる。リベルスが、つばさと接触してしまい、フィギュア17となってしまう。
 DDではかなわなかったマギュアに対し、地球人との接触により通常以上の能力を得た(と思われる)フィギュア17は、これを倒してしまう。
 戦いが終わり、合体を解除したそこに現れたのは、つばさと、そしてつばさにうり二つの、意志を持ったリベルス、「ヒカル」だった。

 帰還の方法も、残存するマギュアを倒す手だてもなくしたDDは、救援を呼ぶ一方、周囲の者の記憶を操作し、ヒカルを、つばさの双子の姉妹として、自分はカメラマンとして、つばさの家に転がり込むことになる。残るマギュアを倒すために、つばさの力を借りながら、DDは自分の不手際(笑)を、何とか片づけていく(4話目以降は、救援にやってきた高圧なDDの同僚オルディナ嬢もも加わる)。
 最初は、恐怖から、マギュアと戦うことを拒否するつばさだが、つばさとは正反対の性格のヒカルとふれあううちに、家庭でも、学校でも、すこしずつ前向きに生きることを学んでいき、そして、ヒカルのため、みんなのために戦うことを選んでいく。

 と、これで2話目程度か?

 もちろん、つばさは、まっすぐ階段を上っていくがごとく成長するわけではない。一歩進んでは、半歩下がるような、時には哀しい出来事のため、別の迷い道に迷い込んでしまうようなこともあるが、そのたびに、ヒカルが、そして、友達や、父親が優しく進む道を指し示してくれる。
 その成長は、見ている方がもどかしくなるほどに、遅々としたものだが、それが、かえってリアリティーをかもしだす。

 確かに、つばさが成長するのは、マギュアと戦うことを通して、弱い自分と戦い、勇気を奮い立てることにもよるのだが、何よりもこの作品で描かれているのは、人とふれあうこと、人を慈しみ、時には人に頼り、そして、人に対する優しさと思いやりを得ること、人はそのことによって、もっとも成長できるのだということ。
 実際、つばさが戦いを拒否し、オルディナとDDでマギュアを倒すエピソードもあるのだが、そのときもつばさは、クラスの友達とふれあうことで、一つ成長している。
 だからこそ、よけいに、あの最終回は号泣ものなのだと思う。

 そう、この作品は、ハードSFの衣をまとってはいるが、その本質はヒューマンドラマなのだ。
 また、この作品は、アニメにもかかわらず、1話の尺を60分でとり(テレビ東京放映時は、1話を二分し、30分ずつ放映していた)、1話完結のエピソードであるが、そのストーリーを丁寧に作り上げることに成功している。しかも、エピソードによっては、全く「戦闘」がない話もあるが、これは前述したように、制作者の意図が、つばさの心の成長を描くことにあったためと思われる。

 さて、この作品も、その外見(美少女…というか、幼女アニメ)から、多少なりとも偏見を持ってみられているのではないかと思う。ある意味、そこに描かれているドラマ自体は、現代版の「北の国から」であり、いわゆる「マニア向け」に特化した作りをしているわけではない。だから、できれば、アニメを見ない層にこそ見てもらいたいと思うのだが、まあ、無理だろう…。
 が、少なくとも、アニメに抵抗がない層については、食わず嫌いをせず、ぜひ、見てみてほしい作品だといえる。

 ちなみに、漫画も出ているらしい。立ち読みでぱらぱらとめくってみたが、「丁寧さ」「人間の描き方」について、このアニメ版には、足元にも及ばないと思われる。できれば、漫画から先に読まないでほしい。多分、アニメにたどり着くまでに脱落する人が、多そうだから…。
「そんなことどうだって…」(アニメ評:灰羽連盟)
「灰羽連盟」 全13話 フジテレビ
監督:ところともかず 原案:安倍吉俊
視聴日不明

『灰羽連盟』
 多分、相当のアニメファンでも、その存在すら気づかぬうちに通り過ぎていく存在、そう路傍の瓦礫のように…。これはそんなアニメ。
 フジテレビの深夜枠で放送された(はず)。深夜枠であるにもかかわらず、お色気も、流血も、ドンパチも、萌えもなく、淡々とストーリーが進んでいく。一応、謎らしきものが存在するのだが、主人公たちはその謎を前提とした世界に妙に適応し、日々、その謎を含んだ世界を紹介しつつ暮らしていく。それを淡々と追い続けるお話。

 もともとは、原案者である安倍氏のイラストから構想をふくらませ、一つの世界観と、一つのストーリーをくみ上げたものらしい。だから、世界中どこを探しても、「原作」あるいは、「ノベライズ」「漫画化」されたものはない。(あとで調べたら、同人誌のカタチで、漫画等が出されているそうです)今のところ…。このアニメと、イメージボードたる、安倍氏のイラストしか、この世界を表すものはない、今時貴重なアニメ。

 さて、このアニメの魅力を語るには、まず、その世界観を語る必要がある。ところが、この世界観を語ることが、この物語のストーリーを、語ることになってしまうからややこしい。レビューをすることが、ネタバレになってしまう…。
 が、あえて、これをおそれず、いってみよう。

 この物語の舞台となるのは、世界のどこかにあるのか、それともこの世界にはないのか、わからない町「グリ」。高い塀に囲まれた小さな町。その中には、「人間」と「灰羽」が住んでいる。
 人間は、物語の中では語られないが、おそらく、普通の人間。生まれ、恋をし、子をなし、そして死んでいく、そんな存在。
 一方、灰羽は、ある日どこからかやってきた「種」が「繭」を形作り、その中から、ある年齢で生まれてくる。それは、子供であったり、大人であったり…。灰羽は、生まれたときから言葉を理解し、そして「人間」としての一定の知識も有している。ただ「記憶」が、「灰羽」として生まれる前の、ごくわずかの「夢」しかない。そして、この「夢」で、「灰羽」の名前が決まる。この物語の主人公は、空から落ちる夢を見た。だから「ラッカ(落下)」。
 灰羽を人間と区別するのは、その背中に生えた灰色の「羽」と、頭に載せた「光輪」。天使の姿に似ている。でも、生まれたばかりの「灰羽」は、羽も光輪も持っていない。羽は、生まれた1~2日中に、激烈な痛みを伴って生えてくる。光輪は、仲間がこれを作り、頭の上に載せる。これで「灰羽」の完成。

 「灰羽」は、人間の中で暮らしているが、別の秩序を持つ。一つ、灰羽は人間のお古しか所有できない。一つ、灰羽は「お金」を持てない代わりに、「灰羽手帳」に労働の対価が記載され、これが一種の通貨となる。一つ、灰羽は、壁に近づいてはいけない。一つ…。
 「灰羽」は、人間のお古しか使えないので、住んでいるところは廃工場や、人が住まなくなった建物。この物語は「オールドホーム」と呼ばれる、古い建物に住み着いた、灰羽たちの物語。

 そして、灰羽には、一つの宿命が定められている。物語の中では、詳細には語られないが、「夢」で得た名前の「裏の意味」を見つけ、「魂」が救われた者た者は、ある日、忽然とこの世界からいなくなる。灰羽たちは、「壁の向こう」にいったといい、そして、それは必ずしも順番ではなく、そのときを迎えない者もいるらしい(そのときを迎えぬまま老いた者は、話師と呼ばれる、一種の僧侶になるらしいが、詳細は不明)。
 この物語の中でも、ラッカの慕う2人の灰羽がそのときを迎え、それがこの物語の重要なエピソードになるのであるが、だから主人公が成長したり、何かを得たりするわけではない。もちろん、心境の変化はあるが、それは、「成長」というより、「認識」と「覚悟」を得るステップでしかないように思われる。
 さて、世界観の説明は終わったが、この世界を生まれたばかりの灰羽、ラッカが徐々に世界を認識していくというのが、この物語のあらすじ。
 いったい「灰羽」とはなんなのか、「壁」は? そして壁の中の墓標のようなものはなんなのか? この町は、どこの世界にあるのか、全く何も語られないので、謎解きや碩学的興味を持って、このアニメを見たら失望するに違いない。だから、ただただ、何か不思議ないやしに浸りたいという人向けかもしれない。
 が、それではちょっと、レビューを書いた僕が「な~~~~~んにも」考えていないと、思われそうでシャクなので、いくつか推理を…。ここからは、読まなくてもいいです。

 まず、「灰羽」とはなんなのか? 灰羽はたった一つの記憶として「夢」を持って、生まれてくるが、この「夢」は、「死」のにおいがぷんぷんする。クウ(空)やラッカは、空から落ちる夢、ネム(眠)は、眠り続ける夢、レキは、自身では「瓦礫」の夢だというが、実はそうではないことが、物語の中であかされる。カナ(河魚)は、水の中にいる夢、ヒカリ(光)は、輝くものの中にいる夢。それぞれ、「落下による死」「昏睡からの死」「(ないしょ)の死」「水死」「焼死」につながる。
 最初は、それぞれ「自殺」だと思っていたが、灰羽には「子供」、それも「幼児」に近いものがいるため、これは違うような気がする。
 ただ、ラッカと、レキは、「罪付き」といって、灰羽が黒く染まる病気にかかるが、この現象は、おそらく「自殺」に絡むのだろう。「自殺」をしたものに、この罪付きが現れると思える。この辺はキリスト教の教えの反映かもしれない。
 もっとも、この罪付きも「救ってくれるもの」を、認識した時点でこれから解放される。「自殺」を「後悔」し、悔い改めるということか?

 とすると…。
 灰羽は、死んだ者で、未だ神の下に召されなかった者たちだと思われる。なぜ、神の下に召されなかったかといえば、何らかの現世に対する未練があった。あるいは、意識していようが、していまいが「悔い」があった者たち。
 悔いがあった者たちは、その悔いを見つけるそれが名前の「裏」の意味。ラッカって、確か(うるおぼえ)「○果」だったと思う。果実の果。夢の中で助けようとしたカラス。あんまし生々しいのはいやなんですけど、子を宿しながら投身自殺した少女ってのが想像です。
 そして、その「悔い」を脱したとき、灰羽は天に召されると。いつまでも「悔い」の束縛から離れられなかった者は、話師になると。

 もっとも、この町には、人間もいるから、死者と生者が一緒に暮らしているというのも変な気がする。そして、確かに「外の世界」はあるようだから、この辺はどうなんだろう?とも思う。

 ただ、そういう謎は、多分、この物語を楽しめる人にとっては、余り重要ではないだろうと思う。あくまで、この物語は灰羽たちが、お互いにふれあい、癒し合う姿に、見てるこっちがいやされるという、それが魅力だと思うから。
 現在、DVD出てますが、レンタルでは、め~~~~~~~~~~~ったに見つけられません。というより、見つけたことがありません。
 この辺も、いまいち注目されない原因かもしれない。いいアニメなのに。
「最後の数秒刮目せよ」(アニメ評:JINKI extend)
JINKI extend 全12話テレビ朝日 3月23日終了

『JINKI extend』
 全12話。これが仇となり、冒頭は丁寧に作り込まれたパイロットフィルム、後半は壮大な予告編となった作品。
 2つの時代の、2つの物語を「同時進行」させ、最後にその二つの物語を融合し、隠された謎を一気に解き明かすという心意気はよい。
 が、それにしては尺が短すぎた。

 推察するに、これ、最初の数話作った時点で、「予算たりね~」「テレビ放映枠確保無理><」「話まとまんね~」となったのではないか? いや、最初の4話くらいまでは、意味深な作りだったし、青葉(過去の物語の主人公)の成長を、丁寧に描こうとしてた意気込みも見える。が、赤緒(現在の物語の主人公)が、メインになってきたあたりから、どうも作り込みがずさんになり、赤緒(確かに謎のkeyだから、詳しくかけないのは仕方ないが)が、いったいどういうパーソナリティーなのか、描くことを放棄し、後はひたすらどんどん増えてくるキャラクターの説明を続けるばかり、謎も、すべてキャラの「語り」で片づけてしまう。
 これは、同時進行する青葉パートにも影響し、本来なら青葉のパーソナリティー形成に重大な影響を与えるはずである、静花(青葉の母)の広世(敵のメインキャラの一員)狙撃以降の青葉ストーリーが、"ない!"。いや、駆け足ではしょってんじゃなくて、ないんです…。
 また、青葉パートにでてくる脇キャラは、それぞれの物語上の"役割"がはっきり描けていたように思えるだが、赤緒パートにでてくる、そのほかの"萌え"系のキャラは、ただただ、赤緒の覚醒(or暴走)のための、捨て駒にしかみえない。
 こまかいつっこみどころは、「深夜アニメ館」に詳しいんで、そっちを見てもらうといいのだが、とにかく赤緒パートでは、主人公でさえ、「何を考え」「なんのために」行動しているのか、それさえ不明なまま視聴者は引きずり回され、そのあげく「ご都合主義」のFin.…。
 シリーズ構成、脚本スタッフの、「こんな尺じゃ、やってらんね~~~~!」という叫びが聞こえてくる、魂の作品でした。

 あとね、主役ロボットが古いと、感じるのは、僕だけでしょうか? 最初見たとき、「ダグラム?」って、思ったもん。そうかと思うと、味方メカにファフナーっぽい機体もあるし、キリビトに至っては、逆シャーの、アルパアジール?とか…。原作があって、原作のデザインを踏襲しているんだろうけど、原作自体のメカデザインやってる人、バラバラじゃない? それでも青葉パートに出てくるメカは、それなりに統一感あったんだけど、赤緒パートに出てくるメカって…。最終決戦なんて、「スパロボ大戦(やったことないけど)?」って、思っちゃったもん。
 最初のほうの古代ジンキ(これもいったい何だったんだと、小一時間…)と、モリビトの戦いでは、「お!」このロボット、こういう動かし方あるんだ! と、古いデザインに似合わぬ新しさを感じたんだけどねぇ…。

 で、「よかった」探しを一つ。エンディングの入り方、いいですね。元々、エンディングを歌っているangelaが好きで、この作品見始めたんだけど、曲の冒頭のシンセの音が緊迫感をあおるような感じのBGMっぽいんですが、それに併せて、話の最後の部分を少し緊迫感あげてエンディングに持っていく。その演出はいい感じでした。(あと、知らない人も多いと思うけど、次回予告のバックで流れる「ブレス音」、あれ、angelaの曲の間奏部分に入ってるんですよ。)

 でも、それだけ…。
 公式HPのやる気のなさっぷり(最初はやる気あったけど、途中で放り出された)を見れば、この作品の評価というのは、自ずと決まるかと…。

 さて、DVDになるそうです(公式HP、発売のこと、これっぽっちも書かれてない…)。が、もし、買ったり借りたりするつもりなら、先に原作を読むべきでしょう。私? 原作、読んでません。もう関わり合いになりたくないので、これにてごめん。
「風はそよとも吹かず」(書評:詩人の夢 松村栄子)
『詩人の夢』
icon松村栄子(ハルキ文庫)
2004年秋読了


『詩人の夢』
『詩人の夢』
 人には、踏み込んでほしくない領域というモノがある。特に自分の心酔しているモノをけなされるのは、屈辱以外の何者でもない。
 が、その聖域に、あってほしくない「不満」を見つけたとき、その落胆は如何ばかりや。「かわいさ余って…」になるか、「あばたもえくぼ」になるか…。どちらにしても、出会いたくない瞬間ではある。

 こんな書き出しをしたのだから、この作品を紹介するに当たって、結論は見えている。僕にとって、「松村栄子」という作家は『聖域』である。こんなにも美しく日本語を紡ぎ、切なく、そして優しい物語を形作る人に出会えたことは、『幸福』以外の何者でもなかった。
 だから、この作品が、ほかの作家のどの作品に比しても、決して見劣りするモノではないからといって、手放しでは賛美できないもどかしさがある。

 さて、この作品は、以前紹介した『紫の砂漠』の続編である。いわゆるファンタジー小説であるが、作者の流麗な日本語に紡ぎ出された前作が、ファンタジー小説というジャンルを越えて、文学的に秀逸であったことは、先に述べたとおりである。
 もちろん、この作品においても、彼女の日本語の美しさは変わらない。比喩や情景描写の美しさは、おそらく「松村栄子」という、ブランドとしての、クオリティーは維持していると言っていい。
 彼女の魅力は、そのような美しい言葉を用いつつ、それによって、まるで絹糸を紡ぐがごとき繊細さで、「主人公の心」の、揺れ動き、ほんの半歩前進を、描き出す筆の力にある。
 が、今作品は「続編」という枷に縛られ、前作で描ききれなかった舞台背景や、人物設定を追うことにその作品の大半を奪われ、彼女の作品の魅力である「主人公」の心の、風にそよぐがごとき揺らぎが、つかみとれなかった。
 もちろん、これは、僕自身の読解力不足かもしれない。しかし、前作から成人した主人公シェプシは、結局過去にとらわれ、かたくなにその心を動かさず、物語として、最後のページまで結局「何も始まらなかった」のだ。

 ストーリーは、前作の数年後から始まる。シェプシは、詩人の死に心を閉ざし、養親にさえ心を開かず、将来を嘱望されながら、「詩人」となる。ここで言う詩人は、この世界では、最下級官吏といってよい。詩人となったシェプシは、この世界の秩序の崩壊(神話の崩壊)とともに、物語の中であかされる、政治的パワーゲームに巻き込まれながら、しかし、それに背を向けなお、心を閉ざして生きていく。
 シェプシは、『死』から目を背け、ひたすら、世捨て人の境遇に自分をおこうとするのだが、その両(養)親、そして、最後にこの物語を締めくくることとなる、『神の子』(いわゆるクローンのような方法によって生まれた子供)に関わり、『達観』の境地に導かれていく。

 と、書いていくと、そう悪い話でもないような気もするが、やはり、この批評を書くに当たって、改めてつらつらと読み返してみると、やはり駄目だった…。
 シェプシが、『詩人』の死により、心を閉ざすことはわかる。それが、心を結びかけた『真実の恋』の人の死から、連なるものであり、果ては、悠久の過去、神世のジェセルにまで至る、絶望の結果であることもわかる。
 だが、この現世界にたいして、松村栄子が与えた、あまりにも多くの試練に対しての無関心はどうなのか? それが、神の子アージュによって、いとも容易に開かれることは、あまりにも世界を矮小化していないか?

 ここからは、あくまで僕の想像である。松村栄子は、この物語に結論を与えたかったのではなく、この物語『世界』に、幕を引きたかったのではなかろうか? 前作で、謎のままに終わった設定は、この作品で、あらかたその裏舞台をつまびらかにしている。
 また、前作で「疑問型」でしかなかった、脇役たちの言葉に、それなりの結論を与えている。
 そして、これらの物語背景を明らかにするために、主人公にはその場に踏みとどまって…、というより、その場で足踏みをしてもらいたかったのではないか? 結局世界は明るくなった。しかし、松村栄子の物語に対して、僕自身が抱く期待、心のひだを風がなでるような、そんな描写が「のれんに腕押し」になってしまった気がする。

 私の大好きな作家、松村栄子の批評として、こういう書き方をするのは、忸怩たるモノがあるが、あえて言わせてもらえば、この作品は「続編」ではなく、「紫の砂漠」の、設定集に、後日談が加わったものでしかない。
 「紫の砂漠」を読んで、心がふるえた人は、その期待のまま、この物語に接すると、少なからぬ失望におそわれることを、注意書きとして、この批評を閉じる。

 それでも、僕は「松村栄子」に付いていきます…。
「しあわせのカタチ」(漫画評:夢かもしんない 星里もちる
「夢かもしんない」星里もちる BIG COMIC
全5巻 読了日不明

 「あなたはハッピーですか?」
 そんな台詞をなんのてらいもなく物語の前面に出して、押し通してしまえるほどに、この漫画は優しさに満ちている。大人になるということが、人との関係を築き、その人たちの関係の中でだけしか幸せを得られなくなることであり、それが「我慢」を、幸せの試練として人に与えることを、その中でしか人は「ハッピー」を手に入れられないことを、作者、星里もちるが、穏やかな口調で、淡々と語っている。
 これは、そんな物語。

 主人公の加勢は、PC販売の営業マン。切れ者の辣腕…というよりは、人との信頼関係や、人となりで相手方の信頼を得、成績をあげている人格者。ご多分に漏れず、家庭内では、仕事のしすぎでちょっとぎすぎすしている。
 ヒロインは元アイドルの幽霊、夢野すみれ。加勢にだけ見え、加勢にだけ語りかけ、加勢にだけに「私がハッピーにしてあげる」とふるまう。まあ、取り憑いてるんですな^^;。
 もう一人のヒロインは、会社の後輩、佐藤さん。あこがれている加勢に、恋心を抱き、加勢をフォローしたり、頼ってみたり。まあ、不倫に踏み込んじゃうんですが、星里もちるの描く不倫は、これがあんまりどろどろしないんですね。中学生の恋人同士がクラスのみんなには内緒にしておこうっていう程度。一応、関係は持つんですが、なくっても話は成立するっていう程度。

 ストーリーは、幽霊の夢野すみれが、会社や家庭で、我慢を重ね「なんのために?」と、疑問を持ちながらも、周りの人たちのために、立ち振る舞う加勢に「そんなのハッピーじゃない」と、「自分のしたいことをしようよ」と、加勢に幸せになってもらおうと立ち回る。
 最初は、すみれを相手にしていなかった加勢が、徐々に自分のおかれた立場に「ずれ」を感じ、そして、なぜ夢野すみれが、自分に対して、それほどまでに一途に語りかけるのかを、「思い出して」いく。
 その結果、自分に正直になろうとしたり、誰かを幸せにしようとしたりあがき続けるのだが、その姿を見て、夢野すみれが「大人になる」ことを理解し、そう理解するすみれを見て、もう一度自分の幸せを、加勢が確認していくという話。

 星里もちるの、このころの作品に共通していえるのは、大人になってしまった子供(青年)が、子供心、青年の心を振り返り、葛藤する姿を、丁寧に描いている点にある。
 本当に、僕はそう生きたかったのか? あのころの僕があこがれていた大人に、自分はなれているのか? いや、あのころあこがれていた大人というのは、本当にあこがれていたとおりなのか?
 そして、大人になるための「さびしさ」を乗り越えて、加勢が、佐藤さんが、すみれが、お互いを慈しみながら、「いい意味で」折り合いをつけることが、本当の幸せだと気づき、それぞれの道を歩んでいくところでこの物語はFinとなる。
 別れや、死で泣かせる物語が多い中、人の成長で泣かせることができるこの物語は、「大人」のおとぎ話として、秀逸だと思う。

 読後に、貴方自身が、もう一度「幸せ」の形を確認できることができる良作であるから、是非ご一読を。
「らっしゅ!」(雑記)
4月2日

 いくつか、見ていたアニメが、改編期で終わった。

 そのうちのいくつかは、ココで紹介しようとおもっている。ほかにも紹介したい映画などは、ちょっと後回し。

 ところで、改編の結果、新しいアニメも始まるようなのだが、前作にまして「なへなへ」っぽいのがいっぱいあって、ちょっと楽しみにしている。
 こういうアニメ、期待を(いい意味で)裏切られると、俄然おいしく見えてくるから、かなりあまのじゃくだけれども、一番期待する。昨年10月の改編期は、いそがしくって、冒頭見落としたのに、途中から見て、「おお!」と思った作品がいくつかあったので、今回は、そんなことがないように、ビデオの準備、準備!
「えいぷりるふーる」(雑記)
4月1日

 だいたい、毎年、くだらないうそを付いて、周りの人を騙しているのだが、今年はどんなうそをつこう?
 とりあえず、こっそりと4月1日の日記のところに嘘を書こうと思っているのだが、あと、職場でも…。

 つれたら、また、ココに報告します。
「結局…」(雑記)
30日

さて、忙しくなってきた^^。
人間、忙しい方がいい。それが自分のためになるならなおさら。

 ところで、先日書いて老いたDVD画像の件だが、オンラインレンタルのサイトは、阿ふぃりえいとシステムを採用しているものがなく、駄目だった。ということで、セブンアンドワイかAmazonで、画像をもらってリンクすることにした。

 まあ、でも安くすませられるならそれに越したことはないので、できれば、近いうちに、僕自身が利用しているオンラインレンタルのサイトを、ページトップにリンクさせておこうと思っている。

 ま、もちょっと、先になるだろうけどね。
「うひっ!」(雑記)
29日

 ちょっとウキウキ(死語)。

 ライブいってきま~す!

 明日から、また本業再開で、超多忙になります。ちょうどいい具合に、angelaの、らいぶがここに入ったのよぉ。金なくてぴーぴーだけど、これだけは!
 チケットも、即日完売だったみたいで(まあ、オークションで、定価程度で出されてたみたいだけど…)、それなりにいい感じみたい。
 所属レコードが『キング』ってのが、いまいち引っかかるんだが、まあ、もうそろそろ、準メジャーといってもいいくらいにはなってきたみたい。うまくすれば、来年あたりには、チケット『即日完売』ではなくて、発売後30分で終了、ってなことになりかねない。
 だから、多分angelaのライブは、これが最初で最後だろうなぁと、そんな気がします。

 ま、しみじみしても仕方ないので、今日は暴れてきちゃるけん、まっといてよ~(ティナ風…ばか>俺)
「もう、おなかいっぱい!」(アニメ評:藍より青し)
「藍より青し」(DVD全8巻)
 原作:文月晃 監督:下田正美
 3月17日全話視聴終了

 さて、全8巻。24話。見ました。

 正直、この設定、このストーリーで、耐えられたのが不思議なんですが…、というより、結構のめり込んで見ちゃいました。まあ、まんまと「記号」に共感させられたというのが正しいのかもしれません。

 まず、どこからつっこむかなんですが、とりあえず、設定ですね。これはもう、原作の段階の問題ですから、アニメにつっこんでも仕方ないんですが、それでもつっこまずに入られません。そもそも、原作が「ゲーム」だとばかり思って、見始めたんで、その後(1巻を見終わった後)に、漫画の原作があると聞き、漫画喫茶で最新刊まで一気読みして、唖然としてしまいました。
 まず、ヒロイン(群)ですが、(1)メインヒロインの属性が、幼なじみ・令嬢・献身・着物。(「おえっぷ」)。(2)ライバルヒロインの属性が、元気・外人・金髪・大学の同級生。(3)三番手が、メガネっ娘・どじっ娘・後輩・メイド服。(「ううっ、胸焼けが」)、(4)四番手が、妹属性・ハイソ・セーラー服。(5)オプション1が、御姉様・できる女性・ハイヒール(笑)。(6)オプション2が、幼女・日焼け・スクール水着(とほほ)。
 んで、ほかの必需品として「管理人さん・大家さん」「一つ屋根の下」「疑似ファミリー」「主人公の出自のトラウマ」「両親の死」
 さらには、主人公にはライバルと呼べる人がいない、一人勝ち状態。主人公は、選択に頭を悩ましても、ライバルを蹴落とすことに思いを巡らす必要はない。

 はい、どっから、どう見ても、いわゆる「ギャルゲー」のテキストを使っていますね。

 ストーリーだって、最初からヒロインと、主人公は相思相愛で、その関係をちょこちょこと障害がおそう。主人公が、少々のへまで選択肢を誤っても、ヒロインは、ひたすら「信じて」主人公を待っていてくれる…。

 さて、普通、これだけ並べられたら、引いちゃいますよね。いや、漫画の方は、正直引きつつ読んでたんですが、アニメの方は、思いの外引かずに見られたような気がします。
 何でだろう? と、今8巻まで見終わって、くらくらしている頭で考えていますが、どうも、演出の妙ではないかと…。というのも、アニメは原作のストーリーをかなり丁寧にトレースしているので、一部を除いてオリジナルストーリーや、エピソードは、ほとんどないんですね。入ってても、ホントに破綻のないような丁寧なシリーズ構成をしている(放映時期や、エピソードを並び替えたせいで、クリスマスが誕生日&七夕になったりしているが、それも違和感なく収まっている)。
 しかも、コミックで10巻程度の話数をかけて進めたストーリーを、24話で纏めているけど、全然駆け足に見えない。

 で、当たり前といえば、当たり前なんですが、監督はかなり、この原作を丁寧に読み込んでいるようです。原作でポイントとなった設定や、台詞(正確に、漫画の方のを覚えているわけではないですが)は、ちゃんとなぞっていますし、不要なギャグは排除し、漫画の方ではやや説明不足かな? というエピソードについては、ちゃんと背景を付け足して描いている。
 しかもですよ、ほんっと~~~~~に、感心したのは、原作では、薫(主人公)と、葵(ヒロイン)が、初めてキスをするエピソードが、繭(第4ヒロイン)登場&キスの直前だったので、薫が、(「ファーストキスが、葵ちゃんでよかった」)てなことを独白するシーンがあるんですが、アニメの方では、ヒロインを早く勢揃いさせるために、繭エピソードを先に持ってきちゃってるんですね。そうすると、このストーリーの中で、かなり重要な意味を持つ薫の「ファーストキス」っていうのが、なんか、ぼやけちゃうんですね。でも、それ、モノの見事に最終話で処理しちゃってるんですよ。思わず「あっ!」って、言っちゃいましたモノ^^;
 ホントにうまいや、この演出。

 また、キャスティングがすごいですね。単に売れっ子だからとか、タレントとして売るためとか、そういう意味での選び方は、全然していないようです。キャラクターと声の違和感が、ここまでないキャスティングは、正直なかなか見あたりません。
 動画のクオリティーも、まず問題ないレベルでしょう。

 というわけで、8巻見終わって、いえることは、上で書いた設定に、ドン引きにならない耐性を持っている人ならば、これ、おもしろいですよ。

 原作は、まだ続いてますが、多分10巻くらいかな、の部分までアニメで描かれてます。多分ここで、「Fin.」にするだろうなってところで、きれいに纏めていますし、続編を作れるようないい感じの終わり方をしています(OVAで、続編出たようです)。

 表題には、「満腹」なんて書きましたが、「別腹」にまだ入りそうです^^;

 そんなわけで、引き続き、この続編「藍より青し~縁~」を見ることにしました。
 いよいよ、ティナがクローズアップされるエピソードが見られるか?(それかっ!>俺w)

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 追伸、原作は無意味に女の子の裸が出てくるエロ漫画です^^;。一方、このアニメはテレビ(フジ)で、放映されたモノですから、露出は少な目ですね。その辺、物足りない人は、足りないかも^^;
 個人的には、アニメの程度でいいと思うんですが…。ちょっと心配なのは、続編がOVAだから、はっちゃけちゃうんじゃないかと…。
 まあ、監督が替わらないので、大丈夫だとは思いますが…。
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「画像張ってみた…」(雑記)
29日

 書籍に関しては、画像を張ることにした。ただ、勝手にはっつけると、著作権上問題がある。
 ところが、ネット上を検索すると、結構個人ページにこのような商品画像を張っているところが結構いっぱいあったりする。これは「アフィリエイト プログラム」というものの一環で、要は広告料代わりに画像を使わせてもらう(厳密には違うが)ようなものだ。

 個人的に、今回はこの画像を使うために、セブンアンドワイ、Amazon、boopleと、アフィリエイトプログラムを提携した。で、画像などをクリックすると、商品購入ページに飛んでしまうので、ご注意願いたい。
 もちろん、このサービスを使って購入する必要はないし、近所の本屋さんで買っちゃえばOKである。
 一応、3社のなかで、画像からリンクするのはセブンアンドワイを優先的に載せることにした。ペイバックの点からするとboopleが、一番おいしいのだが、セブンアンドワイだと、セブンイレブンでうけとりすれば、送料がただになるからである。これはちょっとおいしい。

 まあ、これ使うのは、ただ単に、画像を使いたいだけで、これで小銭をかせごうなんて、これっぽっちも思っていないので、気にせずに。

 あと、DVDに関しては、購入より、レンタルの方がいいかもしれない。これ、DISCASってサービスが、結構いいので、現在そこについての調査中。DVDの画像はちょっと待ってくだされ。
「オタは、オタらしく」(雑記)
28日

 ジレンマである。どうも、並んだレビューを見てみると、「アニメ」と「漫画」ばっかりである(苦笑)。
 いや、まあ、確かに、「駄目オタ」なんだから、それでもいいんだが、多分読んだ数、見た数を考えると「小説」「実写映画」が、「漫画」「アニメ」よりも山盛り多い。
 特に小説なんかは、あんまり知られていないけど、いい作家という意味で、紹介したい本はそこそこある。たとえば本多孝好だとか、我孫子武丸なんかは、その筆頭だ。香港映画の「アニタ=ユン」は、大好きな女優で、彼女の出ている映画は、全部推薦したい。

 が、である…。

 基本的には、このページは僕の「覚え書き」であり、特に、あんまりメジャーではないにもかかわらず、琴線に触れたもの。あるいは、逆鱗に触れたもの(笑)を、ピックアップする趣旨で書いている(だって、誰も書かないものが多いから…)。
 そうなると、小説、実写映画は割とメジャー路線を通しているので、これ! っていうのが、ピックアップできない。先に挙げた作家や女優は、いわば例外で、たとえば好きな作家は、宮部みゆきとか宮本輝だったりするわけで、こんなの紹介したとしても、他人の二番煎じどころか、1000番煎じ以降になってしまう。
 一方、アニメのほうについては、見てもらえばわかると思うが、深夜アニメや、割とマイナーなものが多い(あとは、リアルタイム性が高いものね)。こっちは、おおいのなぁw そういうの好きだし^^;

 っていうことで、駄目オタは、オタらしく、これからもアニメ、漫画を重点的に紹介していくことになりそうです。
 んでも、もしかしたら、ぼちぼち、メジャー映画・小説作品を滅多くそにけなしたり、するかもしれません。
 予定は、あくまで未定。
「自分で描け!」(雑記)
27日

【その1】
 大失敗をしたことに今日気づく。事情があって、詳細は明かせないが、このページに関わること。さてどうしよう…。フォローする"つて"はなくはない。しかしなぁ~、もう縁を切ったつもりだからなぁ~。

【その2】
 おもしろくなくなった漫画として『ガッシュ』を先日挙げた(アニメは見てないのでよくわからない)。
 なんでおもしろくなくなったかといえば、物語の最初の頃は、主人公の清麻呂とガッシュが、いろいろなたぐいの魔物と出会い、単純に弱肉強食ではなく、魔物にとっても、人にとっても戦う理由があることを知り、二人助け合いながら成長していくところが、おもしろかったんだが、清麻呂は、そのウィークポイントたる、人間関係の問題を、ガッシュは記憶がないことと臆病を克服してしまい、あとは、のびシロは「強さ」だけになったため。
 つまり、この漫画の当初のテーマが、もう達成されちゃったんですね。あとは、ひたすらバトル漫画。確かに、それぞれサブエピソードとして、ちょっとした「泣かせ」ポイントは入れているが、当初の「コルル」と、「ダニーボーイ」のストーリーの焼き直しでしかない。
 実は、ガッシュが今戦っているのは、この「コルル」と「ダニーボーイ」のエピソードに負っているだけで、「優しい王様」「友の遺志」っていうのは、あとはもう、いくら似たような魔物の、似たようなエピソードが重なってもその積み重ねでしかない。「レイラ」なんて、もろに「コルル」の焼き直しじゃん。と、思っているわけです(ブラゴ&シェリーとゾフィス&ココの物語は別として)。
 で、まあ、そういうことは、人気の出た漫画、キャラクターグッズが売れている漫画ということで、延命措置がこんなカタチで施されることは多々あるわけで、そこまでは仕方ない。
 が、ですね…。
 メインキャラ、人に描いてもらっちゃ、いかんだろ^^;。新しいシリーズに出てきたアリシエ、ペンタッチ、キャラ造形、明らかに雷句とは違うと思われます。
 いや、これ雷句が描いているんなら、えらくわびねばならんが、どうもそれくさいと思われる。というのも、前述したペンタッチなど以外にも、その場にいる全員の顔を小コマで並べるシーンとか、全員がコマに入っているシーンとか、アリシエ抜きってのが、けっこうある。同じ場所で戦っているのに…。
 まあ、アニメ版でも、オリジナルストーリーのところでは、明らかに雷句がデザインしていないと思われるキャラクター出してたから、そういうのもありかと思うが、まあ、あんまりいいこととは思えない。
 でも、なんで、そんなことしたんだろう?

 アリシエ=美形→おおきなお姉さんファン開拓?

 いまさらねぇ…。
「答えは、○井○次郎」(雑記)
雑記 26日

 本業(謎)が、そろそろ忙しくなってきます。この「暇」の時間、やりたかったことがいっぱいなのに、全然手をつけられないまま多忙期に突入してしまう~~~~(泣)。
 春って、いつもこうだから、ほら、そろそろ咲き始める桜の木の下には「したい!」がいっぱい…。
 これ、昔の友人に教えてもらったネタなんですが、元ネタも含めてわかる人、どれくらいいるんだろう? あ、オタネタではなく、れっきとした文学ネタなんですけどね^^;

 新DVD-R/RWドライブとりあえず、載せました。機嫌良く動いています。前の機体の破損原因も、何となくわかっちゃったw 原因は不良DVD-Rにあったみたい…。
 前回、動作不良になる前に入れていた空Rを、トレイに載せて、読み込みを始めると…、怖いことに、アクセスランプがつきっぱなしになります…。ソフト的には、全く無応答、ひたすらアクセスランプが光り、モーター音が…。
 前回壊れたとき、書き込みをしようとして、時間がかかるからそのまま風呂にいったんですね。で、あがってきてみたら、ドライブがお釈迦に…。そう、多分、前のドライブは、律儀に僕が風呂に入っている間、ひたすらサーボを動かし、DVD-Rメディアの開始ポイントを探してた…、ただひたすら…。あとは、熱で基盤やられたか、機械的にやられたかなんだかしらんが、そこで息絶えたと…。
 まあ、こんな推察がたちます。あながち間違ってはいないと思う。南無。

 それから、「藍より青し~縁~」見始めました。相変わらず、丁寧に作ってます。ただ、今回は全12話なのに、最初の2話で、あんなエピソード入れて、収拾付くのかな? 前シリーズで最後に同居が決まった「ちか」をクローズアップさせるっていう意図なんだろうけど、このままではティナの出番が…(またそれか^^;)。

 もひとつ。今回初めて、トラックバックっていうのを、こっちからつけさせてもらいました。Blogは、ホントに初心者なので、ぼちぼちです。たかしまさん(実は、ほぼ同年代だということにびっくり)、よろしく~。

※ 初見の人へ。「雑記」は、「評」がとびとびのために、あいたカレンダーを埋めるために書いております。カレンダーの日付と、実際に書いた日付が違いますので、ご注意ください。
「永久に失ったとしたら…」(書評:紫の砂漠 松村栄子)
「紫の砂漠」 松村栄子(ハルキ文庫)
2004年8月読了

 知る人ぞ知る、非常に叙情的な文を書く芥川賞作家。松村栄子の作品。といっても、彼女が今まで書いてきた受賞作「至高聖所」や「生誕」といった、いわゆる純文学とは異なる。
 これはファンタジー小説である。

 今よりも遙か未来、地球とは別の場所、別の文化を持ち、別の姿形をした人たちの物語。
 彼らは、私たちが広大な母なる海を臨みながら、そこに希望を見いだすのとは対照的な感情を持ち、あるいは、それ以上の畏敬をもって、眼前に広がる「紫」色の砂漠、デゼール・ビオレをその日々の景色として受け入れ暮らしを営んでいる。
 主人公シェプシは、人々が恐怖し、避ける砂漠にあこがれ、辺境の塩の村に暮らす少年(少女)である。
 実は、( )でくくったのは、理由がある。彼らは性未分化種であり、「真実の恋」を見つけると、「生む性」「守る性」に分化し、それぞれ女性・男性となる。彼らの文化は、この性未分化と一つの神話に支配されている。神話は、3つの神が、順に現れ、3つ目の神が現在を支配するという構造をとる。
 そして、現在・過去の地球の神話が、ある種の統治構造を構築するために編まれるのと同様に、この星の神話も、性未分化の生物的性質を利用しつつ絶妙にその統治構造の基盤になっていることが徐々に明らかになっていく。

 もっとも、それはあくまで舞台設定であり、そこにあまりこだわると、この物語を理解できなくなる。が、実は、この舞台構造こそが本作品のテーマ、少年(少女)の成長と、真実の恋の発見・喪失というテーマの基底構造を形成していることに、最後まで読むと気が付く。

 さて、冒頭のあらすじを書くと、塩の村にすむシェプシが、少年期を過ぎ、この世界の決まりに従い「詩人」と呼ばれる官吏(?)に付き従って、書記の町に旅立つ直前から、この物語が始まる。
 シェプシは、幼い頃からデゼール・ビオレを眺め、この無機質の荒野に心を「飛翔」させることを心から愛する、この世界では「変わり者」である。
 ある日、シェプシは「銀盤」と呼ばれる不思議な音を奏でるものを手に入れるのだが、実はこれは神話と、その統治構造を完結させるために重要なアイテムらしい。
 そして、その日が到来し、シェプシは「詩人」に従い、その銀盤を携えたまま書記の町に旅立つ。が…、数ヶ月にわたるその徒歩での旅の途中、シェプシは禁を破り、デゼール・ビオレに足を踏み入れ、そこで…。

 これ以上語ると、この話の核心を語ってしまいそうで、それはさけるが、このような舞台設定に興味を持たれるのならば、是非、一読をおすすめする。
 文章は、冒頭に書いたように、非常に叙情的。それは、純文学作品としてかかれた従来の作品と違い、時としてこの作品の舞台背景を語るには、舌足らずになることもある。が、それでこの作品の魅力がそがれることはないだろう。説明不足がよいとは言わないが、ある意味で、舌足らずは、この作品の神秘性に加効している要素でもある。

 ところで、叙情という言葉以上に、この作家の文章を一言で表す言葉を探すならば「焦燥感」であろう。せかされるように、前のめりにつづられる彼女の文章は、作中の主人公の「生き急ぎ」をより切実に表現する。
 このような言葉の持つ感情により、この作品は、その言い回しの難解さ、会話の出所が不明確と行った読みにくさにかかわらず、一気に読める好作品である。

 ちなみに、ファンタジー小説を読むのに抵抗をもたれる方は、この作品を読まれる前に、是非「001にやさしいゆりかご」を読まれるといいだろう。この作家が、もっとも「大衆小説」に近づけて書いた作品であるが、実は非常に名作だと、私の中では位置づけられている。
 まあ、それはまた、別の機会に。
[「永久に失ったとしたら…」(書評:紫の砂漠 松村栄子)]の続きを読む
「コムゾウ」(雑記)
25日

 結局、なんやかやで、保証書は見つからず、別宅の滞留時間が長かったため、秋葉詣でも、ミュシャ展も行かずに、近場のPCショップでDVDドライブを1台調達することになった。
 まあ、秋葉価格と大してかわらんから、電車賃が浮くだけ、いいかなっと。最初からねらいの機種は絞ってたし、価格comで、近場のPCショップが最安値近くの価格を設定していたこともあって、ミュシャは捨てがたかったモノの、行くなら1日中見てたいよなぁ~との思いで、腰を上げる直前で、へたり込んでしまった。まあ、ちょっとでも見るという選択肢もあったのだが…。
 とりあえず、元気があれば、明日、行ってきましょう^^; でも、土曜日は混むぞぉ~。しかも最終日1日前だし…。
 そう考えると…。

 などと、堂々巡り。ああぁ~、今日行っておけばよかった~><。

 せめて、もう一週間あればなぁ~。
「こっそりと」(雑記)
「雑記」 25日

【その1】 うれしかったこと。
 このブログに、初めてトラックバックがつきました。ほとんどどこにも宣伝をせず、覚え書きのつもりで書いていたものだが、見つけてトラックバックをしてもらえたことに感謝。
 トラックバック元は、『まるおの漫画生活』という、漫画紹介のページ。僕が書いていた「ルナハイツ」評に、星里もちる繋がりということで、『結婚しようよ』の書評をリンクしてもらった。ということで訪問。

 割と嗜好が重なっているかなと思ったけど、いやいや、知らない漫画もあり、参考になりました。今度行きつけの漫画喫茶で借りてみよう^^。

【その2】 評について
 一応、漫画・小説のたぐいの批評については、「完結していること」を、条件としている。完結していないものであれば、いっぱいいろいろ書きたいこともあるが、実は、「つまんね~」と思って読んでいた漫画や、見ていたアニメが、終盤で俄然おもしろくなったものもあるし、その逆もあるからだ。

 個人的に、連載中の漫画で「おもしれ~」というテンションが持続しているのは、少年サンデーの『いでじゅう』、スピリッツの『極道一直線』あたりか? 放映中のアニメでは『ああっ女神さまっ』(連載中でもありますね)がいい。
 で、見始めたはいいが、「つまんねっ」と、テンションが下がったのが、『JINKIextend』。それから、漫画では、少年サンデーの『ガッシュ』、スピリッツの『東京80's』

 最初は駄目かな? と思っていたのに、これはめっけものと思ったのが、『月詠』!

 いや、実は、この月詠、設定はよくあるヴァンパイア+美少女もので、これにバトルアクションが加わると…てなぐあいで、まあ、設定とストーリーだけなら、その辺にごろごろあるものなのだが、とにかく演出がにくい! 背景を「舞台装置」風に書き割ったり、お約束シーンには、どこからともなくたらいが落ちてきたり、「続く」のテロップが、毎回こっていたり、狂言回しに使っているハイジが、説明不足になる背景をさらっと、小気味よく流したり。
 これ、DVDが出るそうなんで、機会があったら是非見てみるといい。

 と、雑記に紛れて、アニメ評なんぞをしてしまいました^^; とりあえず、最終話が終わったら、ちゃんとした評を書きたいと思うので、それまではこんなかんじで^^。
「ご~ご~あきば」(雑記)
16日

 秋葉詣での計画たてなきゃ…。

 結局近所の家電量販店やPCショップでは、らちがあかない。多分、保証書は「別宅」にあるだろうことが推測される。めんどくさい…。

 保証書取りに片道2時間ですかぁ>< 多分、保証期間切れてるよなぁ、微妙に…。
 保証期間切れてたとしても、3000円くらいで修理できるなら、それでもいいんだが、多分、無理っぽいだろうなぁと言う気分もしてます。往復の電車賃だけで…、しかも、持っていくのと持って帰るのをあわせると2往復。ということは、修理賃がX000円をこえると、新品買えちゃう…。
 後継機種も9000円切ってるし、DL対応になってるし、気分的には、ほとんど買い換えモードに入っております。

 それにしても、ちと悔しいのは、この機種結構気に入っていたこと。CCCDなんかでも、さくっとコピーしてしまえる性能を持っているし(わざわざコピーなんぞしたいアルバムなんかありませんでしたがね、CCCDでプロテクトされてるやつなんざ)、かなり静音。当時、スーパーマルチとしては破格の安さだった。

 まあ、いまやDLだし、うちのドライブの倍以上のスピードで記録するやつなんて、ごろごろあって、それなりに量販店でも扱うようなブランドパッケージで売ってたりする。
 そう考えると、「ま、いっか」とも思っちゃうんだが…。

 まあ、これでも、結構物持ちがいい方なんで、週末にでも別宅に保証書取りに行ってきますか…。もともと、近いうちに行かなきゃならなかったんだし、これもいい機会だから、ついで(どっちが^^;)に、いってまいることにします。んで、その週のうちに、秋葉詣でですね。う~ん。なんか、修理にだしに行くだけってのも、かったるいし、でもなぁ、最近買いたいパーツもないし…。どうせその翌週は、ライブで渋谷だし、そっち方面にいくのもめんどいし…。
 あ、そういえば、「ミュシャ展」上野でやってんだ! つうことで、問答無用で、来週はミュシャ見てきます(笑)。なんか、俄然、行く気満々になってきたんですが^^。
 …現金なモノです。

 で、とりあえず、レビューしたいアニメは、(お仕事PCで)もう今日見ちゃって、さっさとこれでアップしてしまおうという魂胆ですはい。明日くらいには、レビュー載せると思います。
 って、日記の日付と、カレンダーずれてるから、いつの明日だか、いまいち、読んでる人には、わかんないだろうけど、まあ、読んでる人も、そうそういないだろうから、いいでしょ。
「忘れた…」(雑記)
15日(火)

壊れた…

 日々過酷な使い方をしているDVD±R/RWドライブが壊れた。PC側からドライブ自体は認識する(内蔵型)し、通電はしてる。PC側のソフト的な操作でもドライブのトレイはイジェクトできる。
 ただ、CDも、DVDも、それぞれの±Rも、全く認識しなくなった。トレイにディスクを入れ、閉じると、7~8回ほど、アクセスランプがつき、かすかにドライブの駆動音が聞こえるがそこまで。あとは、うんともすんともいわず、ただただ沈黙あるのみ…。
 マイコンピューターから開いても、ディスクのタイトルは表示されない。ドライブアイコンをクリックしてみても、「Eドライブが空です」の表示。

 さて、どうしたものか…。

 ブツは、日立LGの±マルチ。安さに惹かれて買ったやつだが、こうなると、修理を依頼するため秋葉まで片道ウン十分は痛い。近所のPCショップに行ったが、とりあえず購入店で何とかしてくれとのこと…。保証書も、どこにやったのか分からず、かなり泣きが入っている。

 で、こういうときは、メーカーのサイトへ飛ぶのだが、日立LGは基本的にOEMメーカーなので、一般サポートはしていないとのこと…。う~ん、確かにパッケージ製品で買ったのだが…。
 まあ、途中に代理店が入ってOEMとか、バルク系の品物をパッケージモノっぽく売るのは、この業界ではよくあることなので、とりあえず、そのパッケージにまとめた代理店が、中間にはいるかたちになるんだろうなぁ。そうすると、そこと取引がない小売店に修理に出しても「うちでは扱っていません」ということになり…。

 さて、そうは言っても、修理せにゃこの先、ここのレビューも書けないし(いま、某アニメ(全8巻)を見てる途中)、とりあえず、お仕事でつかっている、このノートを持って帰ることになりそうだ。でも、こいつだと、いろいろ問題があるんだよなぁ…。映画やアニメを見るために、いちいち持ち帰るってのは、人としてどうなのよってことからはじまって、自宅の設定環境をこいつに取り込むのもまた一苦労。
 まあ、要はドライブ自体を修理できればいいんだが…。

 …最大の問題は…、あのドライブ、秋葉のどこで買ったのでしょう?
 わ…わすれた…。
「我思う…」(雑記帳)
雑記(3月13日)

 つらつらと、批評めいたものをいくつか書いてきたが、どうも、批評と批評の間(時間)が長くなると、余り気持ちのいい物ではない。
 というわけで、この「雑記」と記されるものは、間があいた日の埋め合わせ文書としてカテゴライズすることにする。カレンダーの浮いた日付を埋めるので、書いた日と、カレンダーに埋め込まれている日付がずれることがあるが、まあ、あんまり気にすることもなかろう。

 さて、雑記なので何を書いてもいいというルールにして、今回は、私の批評文について。

 いくつかの批評を読み比べていただいた方なら、わかると思うが、批評によって、私は文体を変えている。変えていると言うより、変わっているといった方が正しいかもしれない。
 割と、ほめるときには、小難しい言葉を使い、だである調の堅苦しい文章を書くことが多く、逆に、ちょっとくさす場合には、話し言葉や、軽妙な口調を使う場合が多い。

 なぜだろう? と、少し自己分析してみた。
 どうも、それぞれの制作者に気を遣っているようなのだ。もちろん、この自己分析が当を得ているかは不明だし、そもそも客観的な自己分析などあり得ないと思っている以上、反論をいただければ諾するほかない。

 ただ、そのように思ったのは訳がある。
 元々、私自身が絵を描き、文章を書く人間だ(それで、糧を得ているという意味ではない)。実はそういう人間というのは、自分の作品の欠点を、他人以上にわかっているのである。もちろん、私は、マーケットを意識して作品を発表する、私の批評の餌食になる人たちとは違う。私は、発表という形式をとらずに、あるいは発表するにしても、その制約がなく、また、自分の好きなものだけやればそれで事足りるという気軽な「制作者」である。
 そういう制作者でさえ、自分の欠点はよく見える。
 しかも、商業的な対価を得る制作者というのは、時間と対価を天秤にかけ、その釣り合う範囲でしか、発表することを許されない。

 私の批評の対象は、まさにこういう人たちの作品なのである。
 そうだとすると、その制約の範囲の中で、(少なくとも私の目からは)すばらしい作品を提示してもらったと思えるものに対しては、襟を正し、これに対峙する必要があると、あるいは、無意識に思っているのかもしれない。
 逆に、その制約に負けちゃいましたね^^;と、(これも、少なくとも私にとってはだが)思える作品には、ちょっと、軽妙に語り「気にすんなよ、わかってるはずだからさ」と、そんな気分に、あるいはなっているのかと思える。

 まあ、今後、どう変わるかわかりませんがね。

 そもそも、この分析が思いつきでしかない…、そういう代物でもあるわけだし。本来、批評や分析なんて、時間の流れで、いくらでも変わる。まあ、それを言っちゃ、おしまいなのだが、まとめとして、そうしておこう。
 とりあえず、自分の批評に制約を課さないためにも^^。
「約束果たさぬはお約束也」(アニメ評:真月譚 月姫)
「真月譚 月姫」Type-Moon
DVD 全6巻 3月6日

 当初は、なんの予備知識も持たずに、たまたまレンタルビデオ屋で、何か目新しいものがないか探していたら、幻想的な表紙と、訳のわからん作品紹介が目にとまり、とりあえず1巻を借りてきたのが始まり。

 いきなり(だったと思う、1巻は、えらい前に借りたから(^^;)幻想的メロディーと、ハイクオリティーな動画のオープニングがスタート。
 主人公は…、なにこれ? ずいぶん古くさい絵だなぁ~と思うも、女性陣の絵はどれも美麗。特にアルクェイドは、美しいねぇ~。久しぶりにでっかい目玉の、ばけもん顔じゃない女の子がヒロインかぁ~。うれしいねぇ~(最近じゃ、ガンダムってタイトルの作品まで、顔の25%を目玉で占める化け物しか出てこないからなぁ~)。って、思ってたら、この娘、正真正銘の化け物(ヴァンパイア)でした…。とほほ…。

 まあ、冗談はさておき、このアルクェイドが、主人公に殺されるところから、物語は始まるのだけど、殺した相手に復讐(ってことは生き返るんですね、ヴァンパイアだから)するために、そいつを待ち伏せする間に、思いが募ったらしい。
 主人公は、主人公で、殺したかどうか定かでないらしく、なんだかのーてんきなやつなのだが、そこはそれ、お約束通り、お互い惹かれあい、(ここは、ネタバレね→)そして、ある意味、二人にとっての宿敵ロアを、最終巻でやっつけるのでした、めでたしめでたし。

 …そんな話。

 これも、最初から落ちが見えてる話だったなぁ…。いや、だから駄作だっていう気は、さらさら無い。むしろ、かなり高い作画のクオリティーを、12話ず~っと保って、最終巻も幻想的な話を、きれいな画面で纏めたっていう意味では、かなりの秀作。
 確かに、最初に志貴(主人公)が、アルクェイドを殺した理由が、最後までよくわからなかったとか、青子さんが、いったい何者だったのかとか、妹の秋葉が、「炎」の術を使うけど、ほかにどんな異能を持っているのかとか、遠野の血が、いったいどういうものなのかとか、遠野の先代がなんで、あんな皆殺しをやったのかとか、アルクェイドは、なんであんなにかわいいのかとか(ぉ、そういう謎を、結局全部ほっぽり出したのは、いただけないんですがね。
 でも、それを差し引いても、(ほんの少し)余りある、幻想的なよい作品だったと思います。(謎の志貴の能力も、(ネタバレ→)妹に生き返らせてもらったからだって、説明はあったし、片づけられる謎は、できる限り片づけようと、努力の跡は観られるからよし)

 で、あと、戦いに行く前と戦いが終わった後の、志貴とアルクェイドのエピソードがお約束通りなのは、ちょっとね。しかも、もうちょっと引っ張れよというくらい、あっさりと流してるし、ここで、お涙ちょうだいしなきゃ駄目だろってくらい、重要なポイントだと思うんですが…。

 まあ、正直、1巻を見終わって、ストーリーはこうなるだろうという予想の範囲内で、話が6巻までに全部詰まっているから、それほど、いらいらすることもなかったし、ただただ、アルクェイドの、コケティッシュな笑顔を観たいがために後は、もう惰性でDVDをまったり借りてたようなもんだから、最終巻のノンテロップOPと、EDはいかったし、何せもう、画面が美麗。ちょっとカメラワークが単調で、OPとかEDで、あれだけカメラ回り込ませたり、別シーンシンクロさせたりやってんだから、凝れよ! と言う微々たる不満以外は、特になし(って、結構不満いってますが^^;)。

 まあ、欲を言えば、あの同級生のエピソードは無駄かな? 12話に全部納めるためにも、あれは切り落としてよかったのかと。特に全体のストーリーに影響なかったし。それより、シエルとアルクェイドの絡みとか、そもそも、もっとアルクェイドを前面に押し出すとか…(もう、駄目批評の典型になってきたような…)。

 で、結論を言うと、アルクェイドで、いわゆる「萌え」を感じる人ならば、観て損はないと思いますね。あと、アニメは動かなきゃ駄目! とか、作画が回によってばらつきあると、それだけで殺意を感じるとか、そういう人には最適なアニメだと思います(俺か?)。
 それ以外の人は…う~ん、今ひとつ、おすすめできないですね。


 と、まあ、アニメを観てこの辺の感想を持った後、さっそく「月姫」でググってみました。
 ああ、ゲームの原作があったんだ。お、それも同人…。なんと営利法人に成り上がってますよ、原作会社。で、「月姫」は絶版? ふぅ~ん。まあ、Yahooオークションあたりで、買えばいいかな(←3本目のギャルゲーにチャレンジする気満々らしい^^;)。え~っと、18禁だったみたいだし~、この辺で…、お、あったあった…えっ…、えええええええっ、ええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!

 会社設立できるはずだわ…^^;

 発売当時、2500円だった品物が、さむまむえ~んなり!!!! さらに、未開封品なら1万円のプレミア(爆笑)。
 う~ん、版権の問題もあるのだろうが、あんたら、「月姫」、復刻しなはれw と言うわけで、ギャルゲー3本目は、さらに先になるでしょう。

 いい年して「萌え」かけたけど、見事鎮火。
 めでたし、めでたし。

※ ちなみに、今までやったギャルゲーってのは、センチメンタルグラフティーと、AIRです。
「ラスボスは、最後に…」(漫画評:ルナハイツ 星里もちる)
『ルナハイツ』星里もちる(小学館 BIC COMIC)
全4巻 2005/03/04 読了

 2巻まで読んでいたのですが、昨日古本屋で見つけたので、最終巻まで、一気に読んでみました。
 まあ、読み始めたときから、結末はわかっていたので、そこまでどうエピソードを盛り上げていくかってのに、注目したんですが、う~ん…。

 正直、星里もちるは、「結婚しようよ」のころから大好きですし、安心して読めると言う意味では(下手な終わらせ方はしないってことね)、Happy Endを目指して淡々と読めばいいわけですから、気楽に読めますよね。
 ただ、この人のいいところは、そういう風に淡々と読ませる話の中に、ちゃんと「泣かせどころ」をちりばめて、「印象」を植え付ける技術が確立しているということです。

 …が、なんですか、今回のは? 格闘技の試合?
 いや、確かに、主人公、南條の武術の腕が並々ならぬレベルのものだという伏線はありましたよ。それが南條のパーソナリティーとして、いくつかの重要なエピソードのトリガーにはなっています。ですが、まさかそれで、最後のヤマを持ってくるとは思いませんでした。
 っていうか、打ち切り?

 正直、「本気のしるし」と「気になる嫁さん」が失敗作で(後者なんか、全く印象に残っていない)、「オムライス」の頃のあの勢いが、消えちゃって正直、もう駄目かなぁなんて、思ってたんです。
 でも、今回の「ルナハイツ」は、出だしが、「結婚しようよ」や、彼の最高傑作「夢かもしんない」のように、いきなり冷や水ぶっかけパターンで、久しぶりに、安心してことの成り行きを見守れるなぁ~と、思っていたんですよ。いい意味での原点回帰ね。
 …が、やっぱり、どこか今までの殻を破ろうなんて、そういう気負いがマイナスの方に、3巻終わり頃から出ちゃいましたね。
 1巻を読んでいる途中で、婚約破棄した相手は、話の佳境で出てきて、うまく行き始めたまどりと南條の中を引っかき回すだろうってのは、だいたい予想できたんですが、2巻で出たときには、正直「あれ、早すぎないか?」と悪い予感…。
 案の定、元婚約者友美を、そうそうに引っ張り出してしまったため、まどりと南條の仲が、いい感じになる前に二人の仲がうやむやになり、その後出てくるライバルらしき新入社員や、りんとの三角関係が、ち~っとも盛り上がらず、挙げ句の果てに格闘技…。
 ここは、声を大にしていいたい、ラスボスは部長じゃなくて、友美だろうがぁ^^;。

 おかげで3巻4巻の中途半端なこと…。

 もしかしたら、いえ、ホントにもしかしたらなんだけど、1巻3巻4巻2巻の順に、だいたい話を並び替えると、これ、作者の当初意図していた話の流れなんじゃないかなぁ~と、思わないでもないですね。
 その辺は、本人に聞いてみなければわからないのだけどね。

 まあ、でも、いやな迷いというか、気負いがあった「本気のしるし」や「気になる嫁さん」の頃の、スランプというか、らしからぬ作風で腰砕けだった時期よりは、ずっといい作品であることも確か。

 読後感は、悪くはないですね。
 とりあえず、今作は、その辺まで復帰したかな?

 次回作に期待!
「船長、そっちは反対です!」(映画評:映画版 AIR)
 宝の在処は、誰もが知っていた。
 ただ、その船のクルー以外は…。
 
 「劇場版 AIR」 2月10日 池袋サンシャインシネマ

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 レビューを書こうと思ったら、たいがいのことは、既に誰かが書いていた。だから改めて書く必要もないかと思うが、ここは僕の覚え書きの場所だから、ひねくれた文章で、似たようなことをつらつらと書き殴ろう。

 さて、残念ながら「ゲーム AIRの映画化」という点では、明らかに失敗作である。もっとも、括弧の中の限定をとれば、それなりによくできたラブストーリーだと思う。
 ただ、残念なのは、わざわざこの映画に足を運ぶ客層は、括弧の中を前提として見に来る人がほとんどだということだろう。

 昔、といっても、十数年前、「Summer Story」という映画があった。あの「モーリス」で主役を演じたジェームズ・ウィルビーが主演と聞いて、いやな予感はしていたのだが、とんでもない作品だった…。
 いや、ラブストーリーとしては、まずまずだったのだが、僕は、その原作、ゴールズ・ワージーの「林檎の木」をこよなく愛していた。原作の、あの繊細な、そしてあまりにも残酷な、また、その背景にある重層な社会背景を描ききる迫力に、圧倒されたのだ。
 ところが…、映画は、おつむの弱い田舎娘と、のーてんきな都会の若者の、一夏のらぶあふぇあ~(死語)を、なんにも考えずに描ききっていた…。
 いや、繰り返すが、ラブストーリーとしては、まずまずだった。ただ、原作のあの繊細であるにもかかわらず重厚な雰囲気がみじんもなかっただけだ。

 「劇場版 AIR」を見て、真っ先に思い出したのが、この「Summer Story」の感想だった。デジャビュ?

 さて、具体的に何がどうか…といえば、まず、原作「AIR」のテーマは、家族愛だと言うことは、まあ、AIRを遊んだことがある者なら、犬が「わん」と鳴くほどに、当たり前の事実である(決して「ピコピコ」ではない…)。これはいい。
 ただ、それと同時に、この物語は、1000年前にかかった呪いを、そののろいがかけられるのを目の当たりにしながら、何もできなかった「柳也」「裏葉」の無念が、時を越え、親から子、子からその子へと続くという、もう一つの血の絆も、テーマになっている。
 そして、前者を横糸、後者を縦糸にして初めて、AIRという、美しいタペストリーがおりあがるのに、スクリーンに映ったのは美しいけれども、ただそれだけの横糸2本だった。いったい何のために2つの物語を並行的に語ったのか…。

 また、監督はたとえば、病気でやつれた顔を往人に悟られないよう、観鈴がある日を境に、帽子をかぶっているような、そんな細やかな描写に気を配ったと、パンフレットで語っていたが、往人は、観鈴のうちに居候してるんですが…。多分バレバレだと…。そこには、原作で往人が、観鈴の家を離れるに離れられなくなった理由など、一顧だにされていないという、痛い現実が現れている。

 それから、まだある! 原作では、往人の人形芸に子供たちが集まらないのは、彼に「何かが足りないから」と、そういうニュアンスで描かれていて、観鈴と一緒にいるうちに、それが何か、徐々にわかり始める。そういう往人の変化が、原作の第1部のあのクライマックスに、連なるわけなんだが、矢吹ジョーばりに軽やかにバスから飛び降りた往人は、行く先々で子供たちの人気者…。
 …えっ?

 はい。世界観そのものが変わっています。

 もちろん、世界観を変えて、クリエーター、ここでは出崎監督の表現したいものを描く手法は、ありだと思う。むしろ、物作りの主体として、そう思わない方がおかしい。
 ただ、そうなら、原作、あるいは原型をちゃんと理解してほしいと思う。

 たとえば、「カリオストロの城」のルパン一家、銭形警部、彼らがテレビシリーズとかなり違ったパーソナリティーを持って描かれていることを否定する人はいないだろう。そして、そこに描かれる彼らの関係も、また、テレビシリーズとは異なる。ここでは、ルパンの世界観が書き換えられている。
 ところが、そこに違和感を感じないのは、宮崎監督が、テレビシリーズの彼らと、彼らの背景をきっちりと理解した上で、Ifのルパン世界を、しっかり土台から作り替えているからだといえる。そしてその上で絶対に守るべき約束、「ルパンは、一番重要なものは盗まない」という、不文律は、決して破らなかったことに、かの作品の「世界観」を変えてもなお、ルパン足り得たすべてが凝縮されているといえる。

 さて、翻って、「劇場版 AIR」であるが、さっき書いた縦糸、つまり物語の始まりたる呪いと、それを伝える血の絆、これが、往人のパーソナリティーを形作り、そしてそれが観鈴へと連なり因果の終焉を迎える。この細く哀しい縦糸、これこそが、AIRを1000年の物語とした、もっとも根底にあるものだといえるから、これをはしょった時点で、もはや「劇場版 AIR」は、AIRとは、呼べない代物になったのだろ。

 繰り返すが、ラブストーリーとして、そう、単なるラブストーリーとして、この作品を見るなら、「秀」の文字を与えてもいい。
 ただ、この作品自体に「駄作」という呪いがかけられたのは、1000年前より連なる「翼人」の呪いの縦糸を切ろうとしたことに起因するのであり、まさに、それがためこの作品自体に「呪い」が、かけられたといえるだろう。

 パンフレットを読んでいるとわかるのだが、船が丘を目指していることに、薄々気づいていたクルーが一人いた。その壮絶な「後悔」日記が、見開き2ページで、遺書のごとく描かれている。
 もし、もし仮に、このクルー(脚本家)が、船長(監督)を説き伏せ、今一度、宝の島を目指す方向を示し得る力量があれば、きっと、この船は、宝の山とは言わないまでも、幾ばくかの輝く栄冠を手に入れられたに違いない。

 残念!
「光あれ!」(映画評:雲のむこう、約束の場所)
書きだめ分を、アップします。
だいぶ前に書いたやつですが…。

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雲のむこう、約束の場所」11月23日 渋谷

 「ほしのこえ」の新海誠作品と言うことで、非常に期待して渋谷(シネマライズ)まで出かけた。片道1時間15分、590円。入場料1500円(学割^^;)は、それでも高いと思えない作品だったと思う。
 冒頭、20代後半の主人公ヒロキが、かつて思い人を乗せて飛び立った地に戻るところから物語は始まる。彼の現在の背景はしかし、その後一切描かれないまま、物語は幕を閉じることになる。この演出には不満を感じる人も多いかもしれないが、僕はそれでいいと思う。いきなり結論にもっていって恐縮だが、"あのあと"何があったか、2人、いや3人がどうなったか、それは詳しく説明すべきことではないはずだからだ。
 2人は飛び立ち、1人は見送った。そして"その人"は、戻ってきた。それがこの物語の全てだからだ。理由はもう一つ、それは最後に語ろう。

 さて、この物語を語る上で、欠かせない共通言語が必要だ。それは、冒頭に書いた「ほしのこえ」。知る人ぞ知る新海誠を世に知らしめた記念碑的な作品として、アニメに造詣が深い人のみならず、映像作品にめざとい人ならば、1度は見たことがあるだろう。
 この作品では、テーマとして、物理的、時間的距離を置いた二人の恋人の「想い」を扱う。想いは昇華し、互いに自分の置かれている場所にしっかりと立ち、そしてそれぞれの方法で、一緒にいたいと思うところで、finとなる。
 誤解を恐れずに言えば、この「ほしのこえ」は作品としては完結していても、テーマとしては視聴者にボールを投げたところで終わっている。二人が共有できたのは「想い」でしかなかったからだ。想いを共有した二人を、では、どのような試練を課して、どういう結末を与えるか。その点に関しては、語らぬままに終わっている。これは物語としては、作者のテーマの提示でしかない。テーマに対して、どうするか、作者の言葉がそこにはない。
 そう、この「雲のむこう、約束の場所」は、新海誠が、そのテーマ、言い換えれば広げた風呂敷をどう閉じるかを見せた作品だと言える。形を変えた「ほしのこえ」が、くしくもヒロキがその羽を広げ、飛び立つ瞬間までに再現される。
 ねむり姫を演じるサユリは、ほしのこえのミカコ同様、彼女と、彼女を想う人の思惑をこえたところで、世界を救う立場に立たされたことによって、想い人の前から姿を消す。主人公のヒロキは、彼女が消えた日常の喪失感ゆえ、たどり着く場所、約束の場所から逃げようとする。そうやって逃げていく主人公を、もう一度「いるべき場所」に戻そうとするのは、「ほしのこえ」の携帯メールのように"彼方"から届く夢のメッセージ。
 ヒロキは"届かぬメール"ではなく、届いた夢の約束で、二人がいるべき場所をもう一度取り戻そうとする。これは、新海誠が意識していたか、していなかったかは別として、サユリが運び出された病室に残っていた、サユリの夢と、ヒロキが邂逅し、そして廃駅に二人が飛ぶシーンに全て表現されている。やっぱり、想いが重なれば、人は変われるんだ、いや、本当に自分がいるべき場所に帰れるんだという「ほしのこえ」のテーマを、再現している。実際に、この映画を見た人で、このシーンに鳥肌だった人は少なくないはず。それだけ、この瞬間にメッセージ性が凝縮されていると言っていい、「ほしのこえ」の「ここにいるよ」という、言葉を、「そこにいるのか?」というヒロキの言葉に代えて、ここにある。これが、「ほしのこえ」のリメークだという、僕の解釈。

 さて、たぶん、そこで終わっていれば、僕は新海誠に失望したまま映画館を出たことは間違いない。
 彼は「ほしのこえ」で積み残した宿題を、しかし、ここで鮮やかに…いや、多少泥臭く、ほんの少し照れくさいやり方で、片づけてくれた。
 主人公ヒロキは、彼女との2度目の約束を、愚直なまでに実現しようとする。それは、約束から逃げてしまった後悔と彼女への思いの再確認の結果。道を分かってしまったタクヤに、彼女への思いと、そして後悔をうち明け、その協力を仰ごうとすることにより、ヒロキは、自分の想いを再確認する。全てをうち明け、そして、それにより心動かされる親友の協力を得る。
 いや、本当は、タクヤもそのパイロットの席に座りたかったのかもしれない。が、彼は守るべき者、想うべき人を既に得ていたから、その席をヒロキに譲った。それが、サユリへの彼なりの約束の果たし方だったに違いない。だって、守るべき人に気がつくその前に、タクヤは彼のやり方で、塔に向かっているのだから。そのせいでうけた傷が、彼をパイロット席からおろし、守るべき人に気づかせたのは、皮肉なのか幸福なのか、分からないけど。
 そして、全ての想いが、もう一度約束の場所に集約される。かつてサユリが音楽室で二人にきかせたバイオリンをヒロキが彼らの翼の前で奏でるとき、想いの結晶としてのその映像が、あまりにも美しい。美しさに涙が出る瞬間。この作品のもう一つのキモ。新海誠の作品は、あらゆる光と影を演出として使うが、この瞬間にその全ての結実がある。そして、それはまた、かつてサユリが同じ曲を弾いた音楽室の夕日の赤、つまり、これから訪れる闇へのレクイエムに対比し、夜明けに向けた序曲の蒼としても光のコントラストを描き出す。聴く者、聴かせるものの立場が変わるが、タクヤはいつも聴く側。「一途だな」という傍観者の立場を選んだタクヤの言葉、その一言が、泥臭い解決の仕方しかできないヒロキの全てを表しているのだろう。
 たぶん、このシーンを見るだけで、この作品に払った入場料の半分はペイできるだろう。それほどまでに美しく切なく、またすがすがしい。

 そして、戦争が始まった…。

 作品冒頭に、成人した主人公が「戦争の前、かつて蝦夷と呼ばれた島に…」と、独白するように、この戦争はあっという間に終わる。始めなければ終わってしまう戦争。ユニオンが何をしようとしていたのかは、実は分からない。平行世界に現実の世界を取り込もうとしていたのか、それは結果にすぎず、全く別の目的を持っていたのか、それすら語られない。しかし、このとき戦争が始まり、その結果(壊したのは軍ではないが)塔が壊されることで、あっけなく戦争はその目的を失い、終結したことは想像に難くない。いや、戦争が終わらなければ世界は壊れていたのだし、それ以前に戦争が始まらなければ、世界が裏返ってしまっていたのだから、これは予定調和でしかないのだが…。
 戦争のさなかに飛び立つ彼らの翼、見送るタクヤ。眠り続けるサユリ、二人の想い、三人の約束を載せた操縦桿を握り、飛び立つシーンは圧巻。想いのため、たった一つの約束のため、それが例え、世界を裏切ることだとしても、それを果たすべきなんだ。そうしなければ、前に進めないんだ、新海誠は「ほしのこえ」で広げたテーマにそう答える。そして、それはきっと得られる。翼は必ず天に届く。僕が泥臭いとか、照れくさいというのは愚直なまでに、「だから、その想いは、必ず叶えられるんだ!」叫んでる新海誠の声が聞こえるから。
 でもね、それは彼が「雲のむこう、約束の場所」に到達した、彼自身の、来し方を知っていれば、掛け値なしに頷けると想うのだよ。
 ヒロキと、サユリと、タクヤと、そして新海誠の想いは、塔の頂に到達する。それは美しいことこのうえない。そこで目を覚ますねむり姫。思いはきっと叶う、約束はきっとかなえられる。映像という世界にたった一人で飛び込んだ新海誠に、眠っていた映像の女神が、「ずっとあなたがすきだった」という瞬間が重なる。

 そして、ヒロキと新海誠は塔を破壊する。

 映画を見たあと、いくつかのレビューを見た。曰く「ほしのこえ」とテイストが同じ。曰く、恋愛ものとしてはいいが。曰く…。
 そりゃそうだ。だって、新海誠は「ほしのこえ」を片づけたかったのだからと、僕は推測する。
 曰く、次回はもっと違うものを。
 心配しなくていいと想う。新海誠は「塔」を破壊したのだから。そして、冒頭のシーン。目覚めたねむり姫を載せた飛行機が戻ってきてから、そのときまでの物語が、何もない。それでいいんだよ。だって、新海誠の次の作品はまだ世に問われていないんだから。

 さて、この作品を語る上で、もう一点だけ、付け加えることがある。それは天門の音楽。「ほしのこえ」と同様、彼が新海誠作品に厚みを与えている。新海誠が「光」のアーティストだとすると、天門は「時間」のアーティストだといえる。
 彼の音楽は、ひどく目立つ。ホントはBGMなのだから、作品を置いて目立ってはいけないはずなのだが、そうではなくて、音楽が新海誠の映像の時間と瞬間を浮かび上がらせていると言っていい。映像に厚みを加える、その厚みを感じられるという意味で、目立つのだろう。
 そして、その「音」が使われたその映像のその瞬間にしかしっくりこないだろうと言う意味で、まさに「時間」を操っていると言っていい。もちろん、メロディーが美しいのは言うに及ばず。

 と、言うわけで、持って回った説教をされる某有名監督のアニメ作品に辟易している方は、是非機会を見つけてこの作品を見てほしい。某監督が「カリオストロの城」でみせた泥臭いかもしれないが、映像にかけた若い情熱、瑞々しさを、もしかしたら、見いだせるかもしれない。少なくとも、僕はそれを見つけたから。

混沌へようこそ
 とりあえず、友人が作っていたブログを見て、「いいな~」と思ったのが、このページ始めるきっかけ。
 誰かに見せるつもりはないけど、そのうち、量がたまってきたら知り合いに「つくったよ~」とか、報告するんだろうなぁ…。

さて、自己紹介。

年齢 けっこういってる
性別 おのこ
職業 準備中(謎)
趣味 見ること
好きなこと きもちいいこと
嫌いなこと 人にものを頼まれること

さて、どうなりますやら…。
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