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駄目オタ徒然草
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「♪火星~の、う~み~は~」(アニメ評:絢爛舞踏祭)
絢爛舞踏祭 ~ザ・マーズ・デイブレイク~」全26話
制作:ボンズ 監督:森邦宏
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 実に正しくジュウブナイルだ。

 義賊の海賊に、お宝。淡い恋物語も、派手なドンパチもある! 主人公はスーパーマンクラスだけど、妙にフレンドリー。彼を取り巻く仲間達、そしてライバルまでも味方につけて、最後はやっぱり正義が勝つ!

 ってなわけで、この作品が放送された時間帯、木曜午後6時半という時間帯の対象視聴者に対して、実に良質の作品が提供された。むろん、対象者は、我々アニオタプチオヤジではなく、かつてよりは多少こまっしゃくれてはいるが、未だ少年少女の心をもっている(当たり前だがw)、現実の少年少女達である。
 この作品は、もともとは同名のPS2のゲームをベースに世界観設定と、主人公をのぞく主要登場人物の設定がなされている。だから、いきなりイルカやネコがしゃべったり、当然のような顔をして、美少女(風)宇宙人が、潜水艦のクルーになっていたりしても驚いてはいけない。ましてやボールズというなんだか、ハロにインスパイヤー? みたいなメカが、主人公の操るロボットのコクピットの後ろに、まるでVガンダムのハロのように鎮座ましましていても、驚いてはいけない。これはこの世界設定の本当に重要なキーなのである。
 とりあえず、設定自体はおもしろいので、こちらのサイトで、宇宙開発史を勉強しておくのが、大人の視聴流儀かもしれない^^;
(絢爛舞踏祭の読み物風設定サイト→http://www.kenran.net/world5.html)

 さて、とはいえ、ここに全く何もその設定を書き残さなくては、ボクの覚え書きとしての機能が果たせないので、ややざっくりと世界観設定と、冒頭のあらすじを。

 時代は2252年(たぶん)の火星。このころの火星はその表面の95%を水に覆われた水の惑星である。なぜ水の惑星になったかは物語中に語られないが、上にリンクしたサイトで詳しく述べられている。
 当然火星では、陸地がほとんどないため「都市船」と呼ばれる巨大な海上都市が、人々のすみかとなっている。そして、海がその大部分を占めていれば、その交通インフラは「船」に頼らなければならず、その結果、海が人々の戦いの場にもなる。
 火星は、この当時、基本的には自治政府を持ち、大統領制を敷いているが、実際には地球政府の支配下にあり、軍隊も持たず、いいようにあしらわれている。資源を含むその実権は火星政府にはなく、火星の人々は地球に対して反感をもちながらも、従わざるを得ない。
 結果、海を我が物顔で行き交い、派遣された地球軍をも翻弄する「海賊」達は、一種の義賊として、人々の溜飲を下げていた。

 主人公は、そんな火星の都市船のひとつ、アデナの住人。名をグラムという。メカの操縦などがめっぽう得意で、腕っ節は弱くはないが、どちらかというと、軽業と逃げ足が得意。ある日、自分を兄のように慕ってくれる少年、ボンをトラブルから救うために、大立ち回りの末に海中へ……ところがもっていたペンダントが光り、主人公を救ったのが、このお話の主役メカ「希望号」。そして、同じタイミングでアデナを襲った海賊「夜明けの船」に乗り込む羽目になる。
 地球からは、主人公の幼なじみのベスティモーネも、夜明けの船討伐隊の軍人としてやってきて、さらには後に主人公をお兄ちゃんと慕う、大統領の孫娘エノラまでやってくる。この夜明けの船と主人公、そして二人のヒロインが中心となり、「宝島」や「海底2万マイル」のような、海洋ロマンが繰り広げられる。

 さて、では、実際に見ておもしろいかと言えば、おもしろいだろう。冒頭にも書いたが、ジュウブナイルとして備えていてほしい要素はふんだんに詰め込まれている。26話という尺の中で、少々の「外伝」っぽい話もあるが、しっかりと話をまとめている点は、さすがに天下のボンズ。そつがないばかりか、画面に、子供向け作品だからという手抜きの色はいっさいない。
 絵も動くし、音楽も実に小気味よい。

 が、それはあくまでジュウブナイルとしてである。大人が、うんうん考えながら見るモノではない。謎らしきものはあるが、決して謎解きやテーマ発見がこの作品の正しい視聴姿勢だとは思われない。
 むしろ、プチオヤジ世代としては、子供の頃に見た合体ロボットものや、ヒーロー特撮ものを現代風に高度にアレンジしたものだと思ってみた方がよい。
 確かに、登場人物は物語の中で、迷い、苦しみ、自問自答する。それは、決して「子供の悩み」などではなく、まさに青年の悩みである。しかし、この作品の中には、正しく子供を導く大人達が、ちゃんと存在する。その導く方法は大人それぞれであるが、どれも皆、間違ったことはしていない(悪役側ででてくる者達も、正しく悪役であるw)。
 だから、モニターの前で視聴者はいっさい苦悶する必要はない。むしろ、このアニメの対象層を考えれば、そういったところで話を停滞させるのではなく、正しき大人によって、子供達が進むべき(と思われる)方向を指し示す方がよい。
 そして、それこそが、かつてジュウブナイルが子供達に指し示した道しるべそのものなのだと、ボクは思う。

 だから、この作品は正しい。話の深みがないとか、主人公の葛藤がないとか、そういう批判はお門違いも甚だしい。
 よって、おもしろいことはもちろんだが、この作品は、正しくジュウブナイルとして、子供達と、子供達の頃を思い出したい、青年、プチオヤジ達にお薦めの作品である。
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「最優先事項?」(アニメ評:おねがい☆ティーチャー)
「おねがい☆ティーチャー」 全13話
制作:童夢 監督:井出安軌 音楽:I've/折戸伸治
onegai

 正直に話すと、この作品に対しては、無数の勘違いをしていた。ひとつは、これが「エロゲ原作である」と思っていたこと。「普通のボーイミーツお姉さま」であると思っていたこと。「OVAである」と思っていたこと。「リビドー全開のエロアニメ」だと思っていたこと。

 ……今は反省している……。

 そもそも、なぜこの認識を覆されたかと言えば、YouTubeにあったこの動画、
http://www.youtube.com/watch?v=cQZBDlJ-1gc&search=Snow%20Angel
を、たまたま、本当にたまたま、KOTOKOのプロモ検索で見つけたからだ。この動画の一部、ヒロインの風見みずほが宇宙船らしきコクピットでホログラフディスプレイを操作していることから、「単なるラブコメ」ではないということはわかった。それだけでも驚きだった。
 加えて、その動画の質。このプロモ自体は、後で本編とは別に作られた新作であるということを知ったのだが、この作画、特に動画の質に圧倒された。どこがすごいかは、後述するが、女性をかわいく見せるための微妙な動作を、ほぼ完璧にトレースしている。これは、ただごとではない!

 あわててWikiを調べた。違う、全然違う! 思っていたような作品ではない! エロゲ原作ではなく、オリジナルアニメではないか! OVAなんかではなく、WOWOWで放映されているではないか! 確かにちょっとはエッチではあるが、それはホントに刺身のつまみたいなモノではないか!

 ちょうど、TSUTAYAの半額セールの日に気がついたので、あわててTSUTAYAに直行。借りてきましたとも! 借りてきて、見始めた。
 こっ……これは……。

 主人公の人生に関わる重大な疾患という限定条件は、新味はない。ヒロインが年上で先生というのも、まぁ、少なくはあるけど、斬新というわけでもない。そのヒロインが実は宇宙人(遭難した有人火星探索船の乗組員を助けた宇宙人とのハーフ)で、主人公とヒロインがその秘密を共有するというのも、それはそれでよくあるハナシ。それを隠すために同居(本作品の場合は結婚)するというのも目新しくはない。
 ストーリー自体、設定自体は実際に、新機軸はみつからなかった。

 では、何がこの作品の魅力かといえば、まず、キャラクターの造形がその最大のものだろう。
 なんといってもヒロインの風見みずほのキャラクターが秀逸。若いのから年寄りまでの男性の普遍的願望…というより、妄想を形にしたら、こういうものができましたという、まさにそのもの。
 頭はいいが出しゃばらない。抜けているところも見せてくれて、それがまた愛嬌がある。尽くすし嫉妬もしてくれるが、引いてほしいときには引く。もちろん、容貌・スタイルともに文句なし。めがねも似合う(笑)。何より一途。適度にエッチ^^;。
 もちろん設定だけではない。その設定を具現化する「絵」がまたすばらしい。例えば、抱きついてくるその瞬間、わ~っと、一直線にくるのではなく、目の前での「ため」を、ちゃんと絵で表現している。振り向き見上げる顔の動き一つとっても、まずあごを引いてから、視線だけ上げ、その上で軽く上向きの顔の動きを入れる。
 万事、この調子でやられる。二次元は二次元と分別が付いている僕でさえ、どきどきしてしまった(笑)。これだけ破壊力があるキャラクターなので、主人公に感情移入できる部分が少なくても(というより、この主人公はよくよく見ると、ひどいジゴロだ^^;)、このヒロインとの共感を得るために強制的に感情移入しなければならないシステムになっている^^;
 キャラの描き方といえば、声を当てている井上喜久子さんが本当にぴったりと役にはまっている。ベルダンディーでは「ババくせぇ女神さま…」と思っていたのが、すごくつやのある演技をしていて驚いた。この人、その声質の割にはこういう生々しい色気のある役の方がはまり役なんだなぁと思う。

 それから、もう一つの魅力はその「背景」にある。この舞台は実際にある場所を写真で撮り、そこから背景を描き起こすという、最近の恋愛シミュレーションでよく使われる(らしい)やり方で背景が描かれているようだ。
 で、その描かれ方がまた美しい。舞台は夏なのだが、夏の熱気やにおいまで伝わってきそうなほどに、光と色のつやが見事に表現されている。
 実際に、この場所はこの作品の放映後、ファンが多く訪れ、その行為は「聖地巡礼」と言われるらしい。現に彼らの聖地巡礼報告ブログで写真を見るに、とても美しい風景の場所だ。本名で加入しているmixi(当然、オタ趣味は極力隠している(苦笑))のマイミクが、この半年間で2人も聖地巡礼しているのには、おどろいたが…。
 そのうち一人は↓
http://blackleg.blog57.fc2.com/blog-entry-8.html
 またあんたか、くろさん!w

 さらには、音楽もいい。あんまり説明の要もないと思うがI'veが、初めてメジャー作品に関わり、その所属歌姫のKOTOKOと川田まみをフューチャーして、物語のテンポを良くしている。
 音楽といえば、そのオープニングのアニメーションがすばらしい。一見何気ないキャラクターの紹介のように見えるが、よく見てみると、カメラを振ったときの微妙なブレや、ピント合わせのタイミングなどが再現されている。ヒロインたちも、カメラに向けて話しかけるような動作で演技をしている。ちょうど視聴者がハンドカメラでヒロインたちを写しているようなそんな錯覚を起こさせる。これでつかみはOKという感じ。

 ということで、この作品は、キャラクター造形、背景、音楽が、見事にコラボレートしてできあがった、すばらしい一面を持つ。

 ただ、ストーリーはというと、かなりきついなぁと…。おもしろくないとは言わないけど、せっかく用意した主人公の限定条件が「難病」以上の道具になり得ていない。3年間の停滞(最低限の生命維持機能だけを残して、そのほかの活動が停止する。主人公はこの発作のため3年間眠っていた)が主人公に与えたであろう心理的負担がなかなか目に見えて主人公のハードルにはならない。むしろ病気そのものがハードルであるならば、「停滞」という症状で、実年齢より3つ下という設定を入れる必要があったのだろうか? 確かに「停滞」と「加速」というキーワードで、物語の機軸にはなっているけれども、本来ならば(ネタバレ→)「姉」の死ということから生まれた主人公内面の原因の発見があまりにも唐突であったし、それを克服することへのヒロインのかかわりがもう一つしっくりこなかった。

 そういう意味で、この作品はどの部分を切り取ってもすばらしいのだが、全体としてみれば平凡な作品になっているのではないかと思う。
 とはいえ、僕は好きですよ、この作品^^

 そうそう、テレビ未放送の13話は、ストーリーとしての重要性は全くないし、雰囲気もエロっぽく作られているので、あまりおすすめはしない。12話までの作品としてみた方がよいと思う。

 ちなみに、この続編として作られた「おねがい☆ツインズ」は、この作品とは全く逆で、ヒロインに魅力は感じられなかったけれども、その設定とストーリーの作り方が意外性に満ちていて、おもしろかったというのが、ぼくの印象。
 これも、近いうちに感想を書きます^^。
「大嘘は、理詰めで」(アニメ評:R.O.D)
※ リンク等、未完です。とりあえず、アップ。後日修正(この注意書きがとれたら、完成版です)

「R.O.D」

 うわぁっ、なにこれ! なんでこんな凄いの? っていうか、これ、今まで見逃していたって、アニオタとして、もう首くくらなきゃいけないくらい、罪じゃねぇ?
 と、頭を抱えながら、うずくまってしまうくらい衝撃的であった。いや、正直、言い過ぎとか表現過剰というか、そういう意識はない。真剣に、すごい、これ。

 たぶん、もし仮に、ボクのこのブログを、丁寧に読んでいる方がおられれば、ボクの嗜好として、とにかくアニメは「動く」ことが、まず第一義であることとしていることにお気づきかと思う。しかも、求める「動き」は「リアリティー」をもって動くものではなく(そんなものは、人間の俳優がやった特撮映画に任せなさい)、如何に荒唐無稽な動きを、さも、当然の如く描き出すかにあるといっていい。
 冒頭、偉人軍団のホワイトハウス襲撃あたりは、それでも冷静でいられた。が、読子(主人公)が、ファーブルの乗った巨大バッタを、鞄から出した紙の束を操って、強引に引き留めるシーンで、ふるえが来た。「…アルバトロスや…」とつぶやく。もちろん、アニオタなら常識、宮崎駿の伝説の作品、新ルパン三世145話「死の翼アルバトロス」のこと。

 それは、こんな感じ…。

 東京の神保町とおぼしき街角で、「die "unsterbliche Liebe"」なる本を買い求め、路上で本にほおずるをする主人公、読子。そこに轟音とともに、スズメバチの大群があらわれる。逃げまどう人々。もちろん、モブの一人一人、ちゃんと独立して「演技」をしてる。襲いかかるハチの大群に、読子は目の前に倒れたトラックから散乱したチラシを「異能」で楯に変え防ぐ。もちろん、柔らかい紙が、一瞬にして硬質になる瞬間をしっかり表現して、それだけで読子の異能を視聴者に説明する手腕はお見事。
 遅れて地響きとともに現れる巨大バッタ。しっかりと、重量物が動く際の反動やためを表現し、その上で、昆虫らしい動きも見せる。
 バッタの上に乗る怪しげな老人(ファーブル)が、バッタに命じて読子の本を奪い取る。食い下がる読子、ふりほどくバッタ。しりもちをつき、地面に落とされる読子は、飛び去るバッタに、目の前に転がっていた「紙テープ」をロープ代わりにバッタの足に巻き付ける。紙がロープに、そして、ワイヤーになる表現もまた見事。
 紙テープの一端を地面に突き刺すと、紙テープはたわみ、伸びきった紙テープの先で、バッタは反動をつけて、引き戻される動き。ちゃんと物理的に理にかなった動きを見せるから、バッタの重量物としての存在、ワイヤー化した紙テープの堅牢性がものの見事に表現されている。こういう「大嘘」をつくときは、大嘘のほかは徹底的に理詰め手表現しないと、何となく、全体に弛緩した表現になるのだが、その辺のツボを押さえた演出は、本当に繰り返すが、見事としか言いようがない。

 もちろん、作品の一部に、こういう目を引く動きを見せる作品は、少なくない。が、この作品は、このクオリティーで、3話正味100分、全編を飾っている。まあ、「かみちゅ」の1・2話のクオリティーを、最終話まで維持できたくらい奇跡的なことだと思う(あの1・2話も凄かったねぇ)。
 また、キャラクター達の魅力的なこと! いや、お約束だって、わかってんだよ。わかっているけど、一つ一つの行動に、素直に感情移入できてしまう説得力って、どこから生まれるんだろう? それは、一つには、演じる声優も含めた、ちょっとした動作、表情、しゃべり方、目線、そういった、細やかな演技を積み重ねた果てに、視聴者に提示されるそのキャラクターの属性、内面、語られざる歴史が、きっちり伝えられているからだと思う。ジョーカーが、敵要塞で消息を絶った読子達を切り捨てる非情な決断をするところだって、それ以前にナンシーに対する猜疑から、冷徹な命令を  に、さらっと、笑顔で下す辺りから(あるいは、読子が命令で出頭してきた際に指令を下す辺りから)着々とキャラ造形しているわけで、まあ、この辺は、物語をきっちり作る演出家としては、当たり前なのに、あまりにも、従来のアニメで置き去りにされがちなことかと…。

 さらに、ストーリーも、なかなか魅せる。ネタバレになるから詳しくは書かないが、この約100分の中で、メインに描写される読子、ナンシーの二人の、無いようでいて実は濃厚な精神的接点を、軸に、二人が接近して、接近して、そして引き裂かれる過程が、説得力を持って描かれている。しかも、ナンシーが、時に冷たく、時に親密に、読み子に接するその揺れる(?)心の説明も、実に面白い謎解きとして提示される。
 一方、「結末にがっくり」という評を、この作品を視聴後巡回したレビューで見たことがあるが、う~ん、そうかな? 事件の結末に関しては、見え見えの展開ではあるけど、その展開を魅せるのではなく、その揺れる「彼女」の心理の表現にあるわけで、しかもその展開に気がつかない「もう一人の彼女」の天然っぷりが、最後までこの作品に優しさを与えている。しかも、それが、この作品の「エピローグ」に、スッとつながる要因になっていると思うと、やはり、脚本のこの結末のあっけなさは「確信犯」ではなかったかと思う。
 どうも、ネタバレを回避して書くと、もう、どうしようもないくらい、わかりにくいなぁ…。ただ、この作品については、未見の人は是非見てもらいたいから、結末が「見え見え」である以上、ネタバレになることをあまりはっきり書くことで、その意欲を失わせるのは残念だから、このくらいにしておく。

 あとですね、まあ、これはお約束なんだが「めがねっ娘」「どじっ娘」の、記号は、ちょいと前面に押し出しすぎなのが、鼻につくけど、それは、それで、もうしかたないかと。

 さて、この作品には続編がある。R.O.D ~the TV~がそれ。が、こっちは、制作会社も主人公も違って(途中で読子も出てくるらしい)、どうも微妙に、作品の印象がちがうっぽいが、是非、見てみたいと思って既に視聴準備は整っている。
 あとは…、時間、ください(泣)。

 それから、冒頭のあらすじについては、途中で描写したファーブル対読子で、代替するので、省略^^;。
「ロリロリSFアニメ」(アニメ評:エイリアン9)
※ リンク等、未完です。とりあえず、アップ。後日修正(この注意書きがとれたら、完成版です)

エイリアン9

 ちょうど、この作品が世に生まれた2001年は、少なくともボクの記憶と認識では、アニメ業界がやっと「新世紀エヴァンゲリオン」の呪縛から逃れられた1年だったと思う。
 破壊的なヒットを生んだエヴァは、だがしかし、エヴァ的なものを狙う「柳の下」組の、その類似作品から、アンチ作品まで、その影響を与えないものはなかったと言ってもいい。
 数年間は、たぶんこの呪縛の元、ナニを作っても「エヴァの二番煎じ」「エヴァ的な転換についてこれないもの」で片づけられていたような気がする。

 そんな中で、翌年「千年女優」という、衝撃的な劇場作品を生みだしたGENCOがこの年、新しく生まれたAT-Xというアニメ専門チャンネルという媒体を利用して制作したのが、この「エイリアン9」と「フィギュア17」。
 実際この2作品のクオリティーは、当時放映されていた作品の中でも桁違いだったと思う。だが、残念ながら媒体の性質、それから、扱った世界観から、「ロリアニメ」の烙印が押されたのが理由なのか、いわゆる「一般世界」的には、ヒットをしたとはいえないだろう。

 そんな、ちょっと不当な評価を受けつつも、この作品の完成度が非常に高いことだけはまちがいがない。それは、実際に作品を見れば一目瞭然なのだが、こんどは、もっと致命的な欠陥にぶち当たることになる。「完結していない」のだ。
 もちろん、作品として、すなわち30分×4話という枠の中で、この作品が当初目指していた、原作の第1部の最後まできっちりけりをつけているのだから「未完」という評価は不当かもしれない。が、しかし、原作、富沢ひとしのハードSF世界は、このアニメ化された第1部が終了した時点から一気に大展開される。まさに第4話のサブタイトル「はじまりのおわり」通りなのだ。
 実は、もしかしたら、続編の制作の企画自体はなくはなかったのかもしれない。というのも、最終話のエンディングで、くみが惨殺(ある意味一命は取り留めるのだが……)されるシーンがワンカットはいっている。この事件は、原作では第2部の大事なターニングポイントの一つである。これをきっかけに、エイリアンが空から振ってくる理由、なぜ小学校に「エイリアン対策係」が設けられているのか、ボーグとは何か? が、少しずつあかされていき、そして、世界(?)的なパラダイムシフトに、主人公の大谷ゆりと、2人の対策係の少女達がまきこまれていくことになる。
 あえて、最終話にこのエピソードを挿入するのだから、原作の販促の意味でもない限り、視聴者は、訳がわからなくなるばかりか、続編の期待は高まるはずである。
 が、残念ながら、続編の制作は、5年たった現在でも聞こえてこない。おそらく、今後も制作されることはないだろう。なぜなら、世界観があまりにも残酷で不条理だから。
 さらに、この作品のテロップを見ていると、実はIGや、タツノコ、J.C.STAFF(共同制作になっている)、GAINAXと、そうそうたる制作会社が関わっていることがわかる。すばらしいクオリティーの作品ができるはずだ……。逆に言えば、半端な力の入れようでは、どうしても、続編は「見劣り」してしまうことになる。このへんも、続編の制作されない理由かもしれない。

 さて、前置きが長くなったが、この作品の魅力は、なんと言っても、動く絵である。富沢ひとしの描く「少女」は、非常に動かしにくいように思える。が、劇的に動き回るキャラクター達は、あたりまえのように、何の矛盾もないような流麗な動きを見せる。横顔に鼻の稜線がない顔を、どうやったら、あんなにリアリティーを持たせられるのか……。
 そのキャラクターのデフォルメから、一見アニメ的な動きをしているようにも見えるが、実は、非常にしっかりとした作用反作用、反動と抵抗の物理運動、人体の正確な動きを見せる。そのうえでの、デフォルメしたオーバーアクションは、そこにキャラクターの動きの矛盾を感じさせない巧妙さがある。
 また、当然のことながら、富沢ひとしが描く、不条理且つシュールな世界を、十分理解したシナリオが、原作に忠実に展開されている。
 カット割りも、実にこったものが多い。俯瞰からあおり、遠景を光と陰で描き、少女達の心象風景を鮮やかに浮かび上がらせる。もちろん、キャラクター達の表情もいい。富沢ひとしが描くキャラクター達の実に豊かな表情を忠実に動画として再現している。
 声優もいい。実は一人は、当時中学生だか、高校生だかで、新人公募で引っかかったらしいのだが、いやいや、実に堂に入った演技を見せている。単に話題性だけで彼女が選ばれたわけではないようだ。

 と、まあ、この作品の魅力は、文字で書くよりもやはり現物を見てほしいと思う。と言うわけで冒頭のあらすじを。
 主人公大谷ゆりは、平凡(?)な小学6年生。彼女が通う第9小学校では、毎年6年生の各クラスから「エイリアン対策係」が、半ばもっともいやな役として、投票で決せられるが、6年椿組では、ゆりがこの大役を、圧倒的多数の投票で任ぜられることになった。
 エイリアン対策係は、ボーグと呼ばれる手足をもがれたカエルに羽が生えたような共生生物を頭に載せて、空から学校をめがけて降ってくるエイリアンを捕獲することをその役割とする。
 このボーグが、また気持ち悪く、これがエイリアン対策係をして、「もっともいやな係」とされるゆえんらしい。が、このボーグ、羽からワイヤー状のドリルを展開して、攻撃防御ともに、絶大な威力を発揮するので、ちょっと運動能力のある子であれば、フルメタルジャケット並みの活躍ができる。
 が、大谷ゆりは平凡……より、かなり劣るので、いつも、ほかのエイリアン対策係のくみ、かすみの足を引っ張ることに……。
 で、どうも、このエイリアン対策係というのは、学校ぐるみで展開される、いや、ほかの小学校にもあるようで、街、もしくは国家ぐるみで展開される極秘プロジェクトの一翼を担っているようなのである(アニメ版では、明らかにされないが、マンガ版ではその実体が明らかになる)。

 ゆりは、くみ、かすみとともに、立派なエイリアン対策係になれるか? さて、あとは本編をごらんあれ^^
 ロリアニメなんか~と言う方にこそ、見てもらいたい作品ではある。某サイトの批評で見た「ロリの皮をかぶったハードSF」という評価が、一番ぴんとくるので、あえてここで、書き残しておこう。
「泣くまではいたらず」(アニメ評:イリヤの空UFOの夏)
イリヤの空、UFOの夏」全6話 東映アニメーション
監督:伊藤尚往 原作:秋山瑞人
キャラデザイン:駒都えーじ
iriyaDVD


 最上のダイジェスト版。それが、この作品に対するボクの評価。

 確かに、文庫本4冊の話を1クール分に引き延ばしたところで、果たして充実した作品になるかは疑問ではある。が、だからといって、30分枠の半クール、6話に納めきれる話でもなかっただろう。

 映像は、さすが老舗の東映アニメーションだけあって、実に美しく、丁寧な作りに仕上がっている。監督・演出についても、原作ありの作品を仕上げるノウハウを心得ていて、原作の雰囲気を壊すことなく、各エピソードとキャラクターを組み立てている。

 たとえば、この作品の中盤のヤマである、浅羽とイリヤのマイムマイムに至る話の流れは、イリヤのうちに秘めた想いと、これに応えたい浅羽に、何とかして、浅羽の心を引き留めたい秋穂の行動をからめ、原作のテンポよい流れを彷彿させる作りになっている。
 また、"その時"の映像も、ブラックマンタのCGが、丁寧に描きこまれた背景、浅羽のダンスと、なんの違和感もなくシンクロしており、本当に「アニメーション」という語源、すなわち「命を吹き込む」という意味を、久しぶりに思い出させる作りだった。

 さらに言えば、キャラクター達に「モノローグ」をさせないという、一貫した方針なのか、各キャラクター共に、表情で心情を語らせている。これが実にうまい。キャラクターデザインが、駒都えーじということで、表情つけにくいよなぁ~と、思っていたのだが、そんな心配はみじんも感じさせないほどに、キャラの表情が生き生きとしていた(少年少女達の声優陣が、やや力量不足ではあったが)。圧巻は、秋穂とイリヤの大食い対決。秋穂が、だんだん真剣にイリヤに対峙していく過程、イリヤが徐々に感情をむき出しにし始める変化。これを、モノローグなしで、キャラの表情だけで、しっかりと表現していた。

 ただ、主人公の浅羽に関してだけは、この手法を採ったおかげで、実に優等生的なキャラクターになってしまっているのが残念。原作を読めばわかるのだが、彼はかなり「へたれ」で(と言うより、この世代の、普通の男の子として、当たり前の個性)、そのまどろっこしさが、読者に共感と、いらいらを募らせるのだが、これはさすがに、表情だけで表現するのは、きつかったように思える。
 逆に言えば、こういった主人公の表現の淡泊さが、この作品において、主人公の不在、すなわち、視聴者が共感を寄せる一人称視点の欠如を生じさせたように思える。
 これが、最初に述べた、「最上のダイジェスト」の所以の一つ。

 もう一つ。原作がもつ、浅羽とイリヤを取り巻く他のキャラクター、特にこの物語のある意味でのキーパーソンである、水前寺について語られることが、あまりにも少なかったように思える。水前寺は、原作を読んでいないと、単なる鉄砲玉でしかないのだが、実は、この水前寺こそが、この物語の中心にいると言っていい。全ての鍵を握る位置に、必ず水前寺がいる。また、浅羽との関係も、アニメで語られない重要なエピソードとして、彼の実家での話が入るのだが、これがないため、浅羽と水前寺の関係性が、かなり異様に思える。
 加えて、大人側、つまり、榎本達の背景説明がすっぽり抜けている。原作の感想にも書いたのだが、おそらく僕らの世代(プチオヤジ世代)は、この榎本視線から原作を俯瞰することになるだろうし、原作者自身も、その視点から描いているような節がある。
 そうだとすると、ある意味、そこに視聴者がおくはずの、もう一つの主観。すなわち、榎本の主観で作品世界を眺めることもできなくなっている。これが、やはり、「最上のダイジェスト」と言った意味。
 まあ、この辺は6話に納めると予定された時点で、致し方ないのだが、ブラックマンタをぶんぶん飛ばすくらいなら、ちょっと、そういう説明を、エヴァンゲリオンじゃないけど、オープニングに差し込むこともできたんじゃないかと思う。まあ、あのブラックマンタの映像を作ったら、毎回見せたくなる気持ちもわかるけど…(残念ながら、オープニングで、あれだけブラックマンタがぶんぶん飛べば、その神秘性もヘッタクレも無くなるような気がする)。

 さて、足りない部分をつらつらと書くことになってしまったが、これはひとえに「6話完結」という、十字架を背負ってしまったことに起因するのであって、その中で、この作品を、これだけクオリティーの高いものに仕上げたスタッフの技量は、やはりすばらしいと思う(6巻は、若干絵が乱れていたような気もするが、まあ、いいでしょう。タイコンデロガのシーンは、それでもかなり気合いが入っていたし…)。
 できれば、無理を承知で、13話1クールの尺で見たかった。

 もし、ここをご覧になっている方が、この作品に興味を持たれたのならば、一つ、うまい見方を伝授しよう。
 原作とアニメ、両方見るべし!
 もちろん、「うまい見方」などというのだから、どっちかを先によめなどと、ありきたりのことは言わない。

 まず、アニメの4話(もしくは3話でもいい)まで見る。その上で、原作を一気に全巻読むべし。そして、その余韻が残っているうちに、アニメの残りの(4話)5話・6話を視聴せよ。
 おそらく、アニメを全巻見たあとで原作を読むと、目がストーリーだけを追って、原作者の秋山氏がそこかしこに書いた伏線や、表現の妙を堪能する機会を逸するような気がする。特に、原作の3巻からのエピソードは、先に物語の「オチ」を知っていると、ひどくまどろっこしく思えるはず(特にアニメの5巻は、とばしすぎで…)。
 ボク自身は、偶然にも上に書いたような順番で見てしまったので、この「作品」を十分に堪能できたと思う。

 ところで、冒頭のあらすじだが、原作の感想の方に書いたので、こっちでは省略することにして、今日はこの辺で。
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