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駄目オタ徒然草
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「長い長~いエピローグ」(漫画評:藍より青し)
藍より青し」文月晃 ヤングアニマルコミックス(白泉社)
 15巻(単行本未完結)
藍より青し16

 以前、アニメ版の同作品のレビューを書いた際、「エロマンガです」と書いたような気がするが、最後のクライマックス、単行本でいえば15巻以降は、そういう色合いはなくなった。
 まあ、掲載紙が「ヤングアニマル」なので、どうしても「恋愛もの」を描けば、艶っぽい絵を描かなければならなかったんだろうが、それにしても話の内容が「純情恋愛もの」だったので、あからさまに「エロ」絵を挿入している作者の努力がいじらしかったりもした。
 だから、最後に作者が一生懸命、エロを抑えてお話の決着をつけようとしているあいだ、編集としても「エロ」絵の要求は出さなかったんだと思う。アニメにもなった同作品は、掲載紙にとってはお宝だし、作者に対しても、また同誌で描いてほしいという思いもあったんだろう。

 …が、残念ながら、最後はクライマックスとしては、どうも迫力不足だったような気がする。
 理由は簡単。11巻から引っ張っていたくせに、偽花菱薫があまりにも、敵として力不足。ラスボスどころか、中ボス程度にもならない力量で、端から薫の敵ではなかったせいだろう。
 それから、これは、あくまで想像なのだが、作者は途中で話の中心をサブヒロインのティナ(以下、キャラクターは公式ウェブのページ参照)に移しているように思える。特に12巻から、15巻にかけての、ティナの描き方は、本当に力が入っていたし、読者としても感情移入がしやすかった。最終話がずっとティナ視線で描かれている点も興味深いところだ。だから、こう思うのは、僕がティナびいきだというだけの理由ではないと思う。
 葵は、ひたすら待ちの女性で、どこをどう突っついたって、微動だにせず薫を思っている。薫も誰にでも優しいところはあるが、その思いは1巻から変わらずにずっと、葵をむいている。
 一人ティナだけが、葛藤しながらも薫への思いをどうにか、なんとかしたいと思っていて、この気持ちの揺れ、苦悩が、読んでいるものにとって、おもしろい(興味深い)し、おそらく描き手としても面白かったのではないだろうか?
 そんなわけで、僕自身は、ティナエピソードがエンドとなる15巻が最終巻で、それ以降は少々長いエピローグだった(どう転んだって、こういう結末しかあり得ないという終わり方だったし)ような気もする。

 さて、最終話あたりの感想はこれくらいに。順序が逆になったが、冒頭のあらすじを、レビューらしく。

 主人公花菱(本条)薫は、明王大学(直接語られていないが、描き方からすると、彼が最終的に就く職業は弁護士のようなので)法学部に在学中。結構苦学生らしく、親からの仕送りらしいものはないが、大学から少し離れた場所に六畳一間くらいのアパートを借りて住んでいる。
 大学からの帰り、彼は鼻緒が切れて困っている着物姿のかわいい女性に出くわす。手先が器用な(それだけではないのだが)彼は、彼女の鼻緒をなおしてあげる。が、今度は、都心(新宿か、池袋?)の電車の乗り方が分からないらしい…(あの辺は、僕も最初迷いましたよ^^;)。
 行き先を聞き、自分と帰る方向が同じなので、彼女を送っていってあげることになるのだが、なれない都会に出てきた彼女は電車の中で寝てしまう。薫は、困ってしまうが、それでも眠った彼女を起こすのは忍びなく、終点まで乗っていき、その電車が折り返し、目的駅に着き、彼女が起きるまでずっと肩を貸してあげる。
 彼女は、人を捜しにきたらしいが、地理に不案内らしいので、薫は、その場所まで道案内をするのだが、彼女がたどり着いた場所は、空き地だった。
 泣き崩れる彼女。雨が降りだし、どうしようもなくなったため、近所の自分のアパートで雨宿りさせることになる。
 彼女は、思い人を訪ねてきたらしい。が、その人に会えなかった。「この人だ」と差し出す写真には、幼い頃の彼女と少年。
 「!? 葵…ちゃん?」
 写っていた少年は、薫の幼少時代の姿。彼女の尋ねてきたのは、花菱薫その人だったのだ。

 実は、花菱薫は、花菱財閥の後継者。といっても、父は亡く、母(妾だったか?)も花菱家から追い出され、祖父に半ば虐待の如く薫をしつけられる。が、行き過ぎた後継者育成は、とうとう薫をして花菱家からの出奔を決意させるに至る。
 当時、薫には幼い頃何度か会っただけの「許嫁」がいた。それが、桜庭グループの一人娘「葵」だった。
 葵は、ずっと薫のことを思っていたが、ある日薫との婚約が(彼が出奔したため)破談になったことを聞かされる。そのことが信じられない葵は、薫に真意をただすべく、一人薫を訪ねてきたのだった。

 で、このあと、すったもんだのあと、二人は一緒に暮らすことになる。ただし、桜庭館とよばれる洋館に住む葵は、幼い頃から躾係兼姉として一緒に暮らしてきた雅の監視のもと、あくまで「大家」として。桜庭館の使用人が住んでいた長屋に住む薫はあくまで「下宿人」として、夜10時以降は逢瀬のできぬという、非常に健全な関係を保ったまま、同居とはほど遠い環境で生活していくことになる。

 ここに、大学入学時から薫のことを思っているティナ、薫とティナの後輩妙子が、下宿に転がり込み、薫に幼い頃優しくされてから、薫を一途に思い続ける令嬢繭がたびたび押し掛け、さらには妙子の従妹ちかが、近所の高校に入学したため、転がり込んで、はい、ハーレムのできあがり^^;

 というわけで、あとはどたばたラブコメディーの始まり始まり。

 まあ、冒頭にも書いたとおり、薫も葵もぶれることなくお互いを思い続けて、そよ風のごとき障害は立ち現れるものの、大きな災いもなく(10巻頃の、アニメ第一部の最終エピソードに相当する試練が最大のものか?)、16巻(未刊)の最終巻まで話は流れる。
 その間、薫はやや男として成長するが、まあ、葵は最初からホントになんにもぶれずにそのまま。これだけぶれずにラブコメとして成立すること自体がすごいと思わせる。
 ただ、だからそのため、もしかしたら女性としての魅力はあるのかもしれない(残念ながら、僕は魅力を感じない)が、作中の登場人物としては、もう、行動パターンが最終巻まで読めてしまうので、おもしろくもなんともなかった^^;。
 そういう意味で、この作品を引き立てている真のヒロインはティナだと思うのだが、どうでしょうかね? 彼女の葛藤と、自分につける折り合い、そして決断がホントに見ていて、ドキドキだった。

 個人的には、まあ、絵もかわいいし、なによりティナが素敵だから^^;、読んでいてそれなりに面白かったとは思うが、う~ん。
 正直に言えば、アニメの方が面白い。第二部の「~縁~」はともかくとして、第一部の全26話を見れば、それでいいかなと思う。とりあえず、「藍より青し」を見たいという方は、まずアニメを見て、誰か萌えるキャラクターがいれば、コミック版も見ればいいかな? と、思う。
 まあ、それだけアニメの質が高かったということで。

 ちなみに、最終巻は16巻だと思われるが、連載のページ数から考えると、もしかしたら、17巻まであるかもしれない。その場合には、大幅な加筆があることが予想されるので、そうなった場合には、またレビューを追加するかもしれないことは、おことわりしておく。
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「コレン=富野説」(漫画評:∀ガンダム)
∀ガンダム」全5巻 講談社マガジンZコミック
曽我篤士著(原案 富野由悠季 矢立肇)
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 ∀ガンダムについては、ノベライズとして福井晴敏氏(『ローレライ』や、『亡国のイージス』の原作者として有名)の筆によるモノや、佐藤茂氏の執筆によるモノがある(こちらは未読)が、ここで紹介するのはコミック版。多分、一番マイナーなカテゴリーだと思う。

 さて、ガンダムシリーズをここで紹介するのは、少々このページの趣旨とは異なるように思うのだが、個人的にはVガンダムと並んで、大好きなガンダムなので、何らかの形で思ったことを残しておきたいと思ったのと、今日、漫画喫茶で表題の書籍を一気読みしたことが、ここにいま書く理由。

 まずは、元々の原作(?)である、アニメ版のことを語らねばならないだろうから、そこから。
 ∀は、『ガンダム』という名のテレビシリーズとしては、富野御大が最後に関わった作品だということは、まあ、こんなページを見ている方なら常識の部類だと思う。ただ、作品としては富野御大自分が心ならずも生み出してしまった鬼子『Vガンダム』に影響を受け、世に生み出され、しかも、大絶賛のもと社会現象にまでなった『新世紀エヴァンゲリオン』に、対するアンチテーゼとしての作品でもあるらしい。
 らしいと書いたのは、御大自身の著書『∀の癒し
icon』に、そのものズバリではないが、それらしき記述があるからとだけ(記憶あいまいだが…)言っておこう。
 よく、エヴァは、庵野秀明氏が「デビルマン」に影響を受けて生み出された作品だと言われるが、よく見てみると、表現技法や、作品全体に流れる人間関係など、実はVガンダムにインスピレーションを受けているとおぼしき表現が多々ある。これも、あいまいな記憶だが、Vガンダムには、GAINAXが、一部制作に加わっていたはず。
 まあ、その辺の考証は、もっと詳しいページがあると思うので、そちらを参照すればよろし。

 ∀のあらすじに関しては、ここでは省く。一言で言えば、「竹取物語のその後」である。
 まず、この作品は、それまでの富野ガンダムと同じく、宇宙(そら)に上がってしまった人と、上がらなかった人の反目と葛藤をバックボーンにしている。が、異なるのは、それまでのガンダムが、「人は分かり合えるのか?」というテーマを、ニュータイプという道具をつかって、戦いの果てに、パンドラの箱に残ったたった一つの「希望」を見せて終えるのと異なり、この作品が、結局、分かり合えないからこそ人であり、分かり合える者に分かってもらえれば、人はそれが一番幸せになれる道なのだと、ある意味突き放している点が異なると思える。
 まあ、かなり抽象的な言い回しだが、アニメ版のエンディングを見れば、それまでのガンダムが「みんなのもと」に集い終えているのに比べて、∀が一人一人の、幸せ、悲しみ、癒しを描いて、フェードアウトしている点を挙げれば分かってもらえるかもしれない。

 ただ、だから、この作品は「優しさ」がないとは、思わないでほしい。むしろ、きっぱりと、「分かり合えない」からこそ、人が人に優しくできることを示唆しているだけ、この作品の本質に「優しさ」があると言える。
 そう、下手に、分かり合えるという幻想をがあるから、「なぜ分かってくれない!」という、恨みが生まれる。下手にニュータイプなどという人の革新の本質を「理解」に求める道具として使ったために、これはもう、亡霊のようにガンダム世界につきまってしまい、遂げられない想いとして、それ自体が戦争の引き金となってしまう結果となっている。
 パンドラの箱に残った「希望」は、たった一つの人間への祝福ではなく、「希望」などというモノがあるため、人は欲望をもとめ人を押しのけ、人に先んじようとし、人を害する。だから「希望」こそが、まさに、パンドラの箱にあった最悪の災厄であるという逸話を思い出す。
 これを、富野御大は一旦、Vガンダムで断ち切ろうとするが、その代わりに「エンゼルヘイロー」という、「理解」を強いる道具まで持ち出す矛盾をかかえる羽目になり、結果として物語世界その物の破壊を来すことになる。

 ∀は、Vガンダムで破壊してしまったガンダムという世界を、もう一度、富野御大自身が再構築した世界である。

 さて、ご託はこの辺まで。漫画の書評に移ろう。

 作品のキャラクター描写は、アニメの雰囲気をうまく再現している。特に、ロランは、アニメ以上にロランというキャラクターを明確にしているように思われる。例えば、ロランがムーンレイスであることを告白する理由が、義憤からだけではなく、親友を助けるためと、より人間くさいエピソードになっていて、感情移入としては、こちらの方がしやすいと思える。
 また、アニメでは52話であるモノを5巻にまとめているため、中米編や、ヴィルゲイムの逸話、核発掘のエピソード等をはしょっているが、その分、ストーリー展開に勢いがある。そのはしょった部分については、グェンをウィルの子孫とすること等で、整合性を持たせているし、後に核を宇宙に持っていく話も、グェンの策略とすることで、後のグェンの行動をより理解しやすいモノとしている。

 もちろん、この物語のもう一つのコアである、キエルとディアナの成長も実にうまくポイントを抑えて描写している。「建国のダストブロー」にあたるエピソードが無く、その代わりにアグリッパ一派に利用されることに必死にあらがうが、どうにもならないキエルの葛藤が描かれており、キエルがより人間らしく描かれている。また、アニメとストーリー展開を変えているが、漫画の方がキエルがハリーに、ディアナがロランに想いを寄せる感情の動きの描写がうまい。

 残念な点も、もちろんある。コレンが、早々に舞台から撤収することがその一つ。黒歴史の生き証人として、白い悪魔の幻影に対して、これを何とか粉砕しようと、徒手空拳をふるい、そして、最後の最後に、∀とターンエックスを向こうに立ち回りを演じる彼こそが、富野御大そのものだというのが、僕の印象なのだが、彼がいなくなったため、ガンダムの亡霊を断ち切るという、富野御大自身の思いは、マンガには表現されていない。まあ、この媒体自体には、直接富野御大が関わっていないから、それはそれでいいのかもしれない。
 また、福井∀が『復活の日』(小松左京原作)のようなエンディングで、ある種一番のリアリティーを、アニメ版エンディングが、先に述べたような終わり方で、ある種の癒しを与えているのに比べて、マンガのエンディング自体は、「待つソシエと、ロランが生きている暗示」で、それまで描いてきた「キエルとディアナ」がある意味ほっぽり出されている点、最後だけはずしたかな? という感がある。
 確かに、ソシエはアニメ以上にかなりクローズアップされて描かれていたが、しかし、たとえロランが生きていたとしても、戻る場所はソシエでは無かろうと、そう思えてしまうから、このすれ違い感が、どうもうまく咀嚼できない。

 さて、マンガ版の感想はこんな感じ。

 ∀に関してはもっと語れる(Vガンダムも^^;)のだが、今回は、できるだけ「抽象化」できる部分だけ、書くことにした。もし、まだ未見の人がいれば、是非見てもらいたいと言うことと、マンガの書評なのに、これ以上語ると、「牛が」とか、「洗濯物が」とか、語り出しそうで、ちょっと、それは…と、思うのが理由。

 とはいえ、アニメ未見の人も、アニメを見た人も、是非一読をお薦めするマンガであることだけは、最後にはっきり書いておこうと思う。
「その天才の萌芽に出会えた僥倖」(漫画評:ゆんぼくん)
「ゆんぼくん」西原理恵子 全5巻
バンブーコミック(竹書房)

 友人に貸したまま、返ってこない…。ということで、うろ覚えながら…。

 今更紹介するまでもなく、今や押しも押されぬ、ベストセラー漫画家。紀行漫画・エッセイ漫画、著者をおちょくる挿絵画家。おそらく希代の天才作家。あるいは思想家であり、あるいは詩人。

 そんな彼女がまだほとんど無名だった頃、竹書房の4コマ漫画誌に初めて連載作品を持ったのが、この作品。連載誌の名前も忘れたし、そもそも、当初、なぜ、この作品に心を奪わ、単行本まで買ったのかは憶えていない。
 ただ、気がついたら、当時出版されてすぐの単行本第1巻を買っていた。
 だいたい、お世辞にも「上手な絵」とはいえない、この作品に惹かれたのは、逆説的ではあるが、その絵の美しさ故だった。コマの中央に「す~っ」と、穏やかな曲線が2本。彼女の描く山の稜線である。勢いのある縦線を何本か並べて、林。犬のジョンは、平面的な犬らしき顔の輪郭の真ん中に黒丸が二つ。主人公のゆんぼでさえ、このジョンと同じようなシンプルなラインで描かれている。
 しかし、そこにはあふれるほどの情感がこもっていた。美しい(が、時として残酷な)自然が、写真よりも鮮やかに目の前に広がる。ジョンも、ゆんぼも、誰でも描けるようなラインで描かれているにもかかわらず、その表情は誰にもまねできないほどに豊かだった。

 しかも、当初は単に暴力的なギャグで笑わせていたにもかかわらず、何話かに1本、妙に哲学的な、また、心の奥底の一番敏感なところにふれるような、そんなストーリーが織り込まれ、この作品の「品格」を、単なる4コマどたばたで終わらせない味わい深く気高いものにしていた。

 そして、3巻あたりから、彼女の作家性がその本性を見せ出す。主人公ゆんぼは、いわゆる「私生児」である。天真爛漫な「母ちゃん」が、誰も彼らを知らない「田舎」で、女手一つで彼を育てる。
 そして、この作家は、後の彼女の作品「ぼくんち」でも、それを、より先鋭化して表すように、「田舎=純朴な人々」などと言うステレオタイプな描き方は、いっさいしない。
 彼女の描く「田舎」の人々は、残酷である。人が少なく、そのつきあいが濃密であるが故に、プライベートや、隠し事などはできない。言われてみれば当たり前であるが、だから助け合いの心と同時に、一度レッテルを貼られると、一生、いや、末代までそのレッテルを貼られたまま生きていかなければならない関係を背負うことになる。
 例えば、ゆんぼの友達の「こいでくん」は、駄目な父親に育てられ、だから馬鹿だと、村の誰もが知っている。子供たちも、それを知っているため、彼を仲間はずれにする。ただ、こいでくんは、それを知っているけれども、それでもゆんぼと友達になりたいと思い、一生懸命彼と、その友達の○○(名前忘れた~、単行本返せ~~~>友人)に気に入られるよう振る舞う。最初は疎ましがっていたゆんぼたちが、そうすることによってちくりと痛む自分の心に気がついていく。
 実は、このエピソードだって、単なる学校の話であれば、この辺は別に珍しい筋立てでもない。が、西原がこの物語を、田舎の村においたため、この人間関係のひずみが、子供社会だけでなく、大人も含めたコミュニティー全体のひずみとして、子供たちにその理不尽性を持って襲いかかる。
 そんな理不尽な世界の中で、ゆんぼたちは、レッテルではなく人としての関係、そして、その関係を築くものの本質を学んでいく。もちろん、ここの登場人物が、そんな深遠なことを考えているわけではない。「人間としての本能」をもって、生きていく上で学び取るのだ。

 おそらく、西原は、そこまで考えて、この作品を描いている。

 それに気がついたのは、ようやく5巻になってから。ゆんぼが村を出ていく物語が描かれている頃。泥棒行脚をし、日雇い人夫となり、彼が帰る場所は、誰もいないアパートに行き着く。誰も彼を知らないが、人間関係のひずみはいっさいおそってこないたった一人の城をもったとき、これは、「田舎」の写し鏡なのだとわかった。
 彼女が、4巻までかけて描いた「田舎」という、清濁併せ持つ濃密な人間関係の社会。そして、そこにこそ人間の本質が現れるのだと言うことを、読解力に弱く、飲み込みの悪い僕という読者に、「これでもか!」と思い知らせるため、彼女が懇切丁寧に描いた反転世界が、それだった。
 本当に、恐れ入った。彼女は天才だ! と、思った瞬間。

 この作品は、漫画を読むのなら、絶対に一度は読んでおかなければならない必読書だと、僕は思う。

 ちなみに、オリジナル版は、現在絶版でおそらく古本屋でしか手に入らない。ダイジェスト版が、「ものがたりゆんぼくん」として出ているらしいが、読むなら是非オリジナル版を探して読んでほしい。最初の頃の、あの、暴力どたばたの合間にふっと現れる、深遠な世界。その感覚は、この作品を読む際に是非体感してほしい一瞬だからだ。
「ちぇいんぐ!」(漫画評:ウィングマン)
「ウィングマン」桂正和
ジャンプコミック(集英社)

 私が少年時代に、夢中になって読んでいた作品で、思い出深い。私自身、当時、少々絵がうまかったので、あおいや、美紅(いずれも作品中のヒロイン)の絵を描いて、友達にあげていたことを記憶している。
 このころ、少年ジャンプは、奇面組、シティーハンター(キャッツアイだったかな?)、Drスランプなど、そうそうたる連載陣がひしめき合っており、編集部としても、新人で冒険がしやすかったのかと思われる。
 そのチャンスを見事に射止めた桂正和氏、で、その魅力に、一発で虜にされた私、まあ、時代感覚にマッチしてたのかなぁ?

 さて、ウィングマンの魅力を語るについて、たぶん当時の感覚で行けば「えっと、うんと、とにかくすごくおもしろい!」で、終わると思うが、そこはそれ、大人の分析をしながら語りましょう。
 残念ながら、手元に単行本がないので、嘘・記憶違いがあるかもしれないが、その辺は、ご容赦を。

 物語は、健太(主人公)の登校中、電柱の上から水着姿の美少女(あおい)がふってくるところから始まる。健太自身は、ヒーローにあこがれ、自ら考案した「ウィングマン」の着ぐるみをきて、日夜ヒーローごっこをする中学生(コスプレオタクのはしりですな^^;)。確か、記憶間違いでなければ、落ちてきたあおいの持っていた、奇妙な形のペンとノートで、ウィングマンの落書きをするのだが…。
 実は、これは、あおい(ポドリムス人・異次元の住人)が、開発者たるその父から託され、三次元に持って逃げてきた発明品で、書いたことが現実になる力を持つ「ドリームノート」であった(描いたことが現実になる…、と言うより、描いたことしか現実にならないというのが、ミソでこの辺が、連載当初いい演出になっていた)。
 と言うことで、健太は、正真正銘ウィングマンになることになるのだが…。当然、この発明品をあおいが持って逃げたのは、この力を利用して、ポドリムスを支配しようとする悪人がいるわけで、ドリームノートを奪いにくる刺客が、次々と健太を襲う。健太自身は試行錯誤し、あおいに助けられながら、徐々に真のヒーローになっていくという物語。

 ところで、当時連載を最初から見ていたものにとっては、ちょっと、おもしろい演出が記憶にある。連載第一回は、確か、巻頭フルカラー、残り全部2色カラー刷り。で、この当時のジャンプの二色と言えば、「赤・黒」だった。当然、最初にコスプレをしている健太のウィングマンコスチュームは「赤」。もちろん、第2回以降はモノクロなのだが、モノクロで「赤」を表現する場合には、ふつう、ベタか、かなり濃いめのトーンを使うことになる。が、これでは赤と黒の区別は二話以降の読者(単行本の読者も)には、よくわからない。
 で、桂正和氏が考えたのは、「ドリームノートに黒く書いちゃったから、コスチュームは黒」。これは、単行本ではよくわからないが、当時の連載を読んでいたものにとっては、「なるほど!」の演出だった。
 また、ウィングマンのパワーアップの結果、必殺技を出す過程として、ウィングマンの顔、胸の飾りが、青→黄→赤に変わる演出があったが、この技の初出のときも、確か巻頭カラーだったような気がする。
 この辺は、いかに絵を説得力を持ってみせるか、そして、それを魅せるタイミングをつかむかという、氏の並々ならぬ努力が現れているといえる。

 さらに、ストーリーは、だいたい3部作になっていたと思う。が、中盤以降は、編集部の意向なのか、健太の成長よりも、ラブコメ色が強くなってきている。この辺は、氏もかなり四苦八苦していたようで、連載当初のはちゃめちゃぶりが、影を潜めて、私自身は、おもしろくなくなったなぁ~と、思い始めた頃。実は、このころにアニメ化され、1年間にわたって放映されたのだが、これがまた、ひどい出来で…。
 そして、最終回に向けて、最後の巨大な敵が現れたあたりから、ラブコメ色は、美紅・あおいと、広野健太の関係描写に収斂され、この辺から、氏も慣れてきたのか、人物描写が非常に緻密になって、再度、おもしろくなってきた(シリアスになってきたともいえる)。
 ただ、中盤のラブコメ路線と、アニメの失敗で離れたファンは、どうも帰ってこなかったようで、この巨大敵(ライエルと言う名前だったらしい、今、ネットで調べた)編で、この作品は打ち切りになる。もっとも、そのおかげで、強さのインフレーションはドラゴンボールのようにはならず、まっとうな作品として、終えることができた。
 また、中盤から、終盤にかけて描いてきたラブコメのおかげで、最終話のあおいと健太のやりとりが、非常に説得力を持って感情移入させられたのが印象に残る。当時子供心に、「あおいさんラヴ!」だったので、マジ泣きした覚えが…。
 しかも、この最終話、実はジャンプ連載から単行本になるに際して、確か当時数えた記憶では、20ページ近い加筆がなされている。

 おそらく、桂正和氏の出世作と言えば、「電影少女」(私は未読です)だと思うが、そのラブコメ描写については、このウィングマンで、相当たたかれ、苦しめられた結果収得したものと思われる。だから、やはり、このウィングマンがあったからこそ、今の桂正和があるかと思う。
 実をいうと、氏の漫画は、このウィングマンと、その後、単行本2巻分でうち切られてしまった「ヴァンダー」しか読んでいない。ラブコメがあまり好きでなかったので、「電影少女」以降は、すっかりご無沙汰しているのだが、最近、またヒーローものを書き始めた様子。ただ、今度は、ちょっと大人のヒーローらしい。
 氏が、連載当初、なにかのインタビューで答えていたもので、非常に印象に残ったのが、「変身ヒーローが、描きたかったんですよ」という、非常にまっすぐで、純粋な発言だった。
 だから、氏が「ヒーローもの」に帰ってきたのを、喜びたい。

 で、以降の作品はしらないから、何ともいえないが、とにかく、この作品(特に前半)は、作家が、描きたいものを、描きたいように描く喜びというものが、まっすぐに伝わってくるので、是非、物づくりに携わっている人に読んでもらいたい作品。
 もちろん、そういう人でなくても、画面から「楽しさ」が伝わってくる、数少ない作品なので、是非、ご一読を。

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 このレビューを作成する途中で、ウィングマン(あちらのページではウイングマンという表記になっている。アップされている単行本のタイトルロゴはどっちにも見えるので、どっちが正しいってことはないと思います)について、とっても詳しく紹介しているページを発見しました。
http://www015.upp.so-net.ne.jp/wingman/index.html
 未だに、根強い人気を誇る作品なんですね。ちょっと感激。
「スペル星人…?」(マンガ評:宇宙家族カールビンソン)
「宇宙家族カールビンソン」 あさりよしとお 全13巻
講談社アフタヌーンコミックス

 このレビューには、あまり「ギャグ」ものを紹介してこなかった。別に嫌いなわけではない。子供の頃、最初に買ったコミック単行本が「すすめパイレーツ」だったことを考えると、むしろギャグマンガの方がすきといえる。
 ただ、ギャグマンガというのは、レビューが非常に難しい。というのも、「笑いのツボ」というのは、個性が如実に表れ、笑いの沸点が100人いれば、100通りあると思われるからだ。
 例えば、わかりやすい例えで言えば、私自身の感性として、最近のお笑い芸人で、長井秀和は、ちっともおもしろいとは思わないが、波田陽区は非常にツボにはまる。青木さやかはつまらないが、友近は笑える。ただ、どうして、そうなのかは説明できないし、説明できたとしても、話した相手に共感を持ってもらえるかは疑問だ。

 で、その中で、比較的説明しやすい笑いと言うことで、この作品をまず、レビューのまな板に載せることにした。

 本作は、3つのパラレルワールドがある。これは、連載された雑誌が3つあったからである。まずはアニメージュ(徳間書店)に、連載されていた(らしい)、「元祖 宇宙家族カールビンソン」。単行本は1巻のみ。
 そして、廃刊になって現在存在しない「少年キャプテン」(徳間書店)に掲載された、「宇宙家族カールビンソン」。こちらは、現在講談社アフタヌーンコミックから「SC版 宇宙家族カールビンソン」として、出版されている。
 さらに、少年キャプテンが廃刊となって、版権が移転した先の講談社「アフタヌーン」に連載された、「宇宙家族カールビンソン」。
 で、ファンの間では「カールビンソン」と言えば、少年キャプテンに連載されていたものをいうのが、一般的だ。これは、連載期間が長く、その舞台背景が確立されていること、アニメージュ版が、あくまで、SC版の「パイロットフィルム」的な世界設定であること、アフタヌーン番の「カールビンソン」が、1巻分執筆後、作者の意向(と思われる)によって、実質的にうち切られていることによる。

 さて、この「宇宙家族カールビンソン」の魅力は、作者のあさりよしとお氏が有する、映画・漫画・アニメ業界のマニアック楽屋ネタを、普通の人が元ネタをしらなくても笑えるように構成し、魅せる点にある。
 マニアックネタと言えば、久米田康治の「勝手に改蔵」が、最近ではメジャーだが、「宇宙家族カールビンソン」が、彼の作品と異なるのは、まさに上記の点にある。
 また、この作品では、マニアックネタを披露するものの、マニアックネタ自体がテーマではなく、あくまで登場人物たちの異常な関係性を、ほのぼのと描くことにある。マニアックネタは、あくまで付加価値であり、読者はそこで描かれる主人公たちの不条理ではあるが、変にほのぼのとした世界を生ぬるく見守りつつ、くすくすと笑うことになる。

 さて、では、冒頭のあらすじ…、と言うより、ギャグマンガなんだから、舞台設定と言った方がいいかな?(ちなみに、設定はあくまで少年キャプテン版のものです)
 はるか未来、宇宙をどさ周りする旅の芸人一座の宇宙船が、惑星アニカ上空で、謎の宇宙船と衝突する。謎の宇宙船は大破、謎の宇宙船の乗員はほぼ全滅、たった一人生存していた赤ん坊を、この旅の一座が引き取って、謎の宇宙船の星の民が彼女(生き残りの赤ん坊)を見つけにくるまで、この惑星アニカで、謎の宇宙船に残っていた彼女の母星の文化のデータを再現しながら、育てることになる。
 その赤ん坊の母なる星は…「地球」。旅のどさ周り一座の座長は、巨大なネズミ型生物、彼女が母親役を。父親役は、退役軍人の大量殺戮ロボット(ただし、記憶をなくして、天然ボケになっている。たまに、過去の遺物たるオプションの破壊兵器を異空間から呼び出して、装備する…)。ペットのリスのたーくんは、リスとは名ばかり、脳みそむき出しの頭に、神経節だけの体。と、かなりきている配役。彼らが再現する地球の文化も、かなりずれている。その中ですくすく育つ赤ん坊は、「コロナ」と名付けられ、元気に育っていく。
 キャプテンが廃刊になる直前には、家族で出かけたほかの星の市場で、地球人の宇宙飛行士とすれ違ったり、おとうさんが、なぜ、天然ボケになってしまったのかが語られたりと、物語が動き始めていたので、打ち切りは非常に残念だった。
 まあ、この話を終えるなら、たった一つの結末しかなかったと思われるので、それはまた、永遠にこの物語が途絶えてしまったのは、ある意味幸せなのかもしれない。

 と言うわけで、この漫画は老若男女、誰でも楽しめるが、特に30~40歳くらいの方で、我こそは博識と思われる方に読んでいただきたい。たぶん、少なくとも中盤以降は、その層がマニアックネタのターゲットになっている。
 ちなみに、12話は当初欠番になっていたが、後に「幻の」という冠をつけて掲載されたタイトルが、「遊星より愛を込めて」…。これで笑えた人は、確実に全編通じて楽しめるので、是非ご一読を(ちなみに、同エピソード自体が、あの作品の12話のパロディーになっています)。